隠し里

聖書の言葉。
イタリア語と日本語を記載しました。

年間第18主日 ルカによる福音書 12.13-21

2022-07-31 10:45:05 | 典礼

Or uno della folla gli disse: Maestro, di’ a mio fratello che divida con me l’eredità.

Ma Gesù gli rispose: O uomo, chi mi ha costituito su voi giudice o spartitore? Poi disse loro:

Badate e guardatevi da ogni avarizia; perché non è dall’abbondanza de’ beni che uno possiede, ch’egli ha la sua vita.

E disse loro questa parabola: La campagna d’un certo uomo ricco fruttò copiosamente;

ed egli ragionava così fra sé medesimo: Che farò, poiché non ho dove riporre i miei raccolti? E disse:

Questo farò: demolirò i miei granai e ne fabbricherò dei più vasti, e vi raccoglierò tutto il mio grano e i miei beni,

e dirò all’anima mia: Anima, tu hai molti beni riposti per molti anni; riposati, mangia, bevi, godi.

Ma Dio gli disse: Stolto, questa notte stessa l’anima tua ti sarà ridomandata; e quel che hai preparato, di chi sarà?

Così è di chi tesoreggia per sé, e non è ricco in vista di Dio.

 

 

群衆の中のひとりがイエスに言った、「先生、わたしの兄弟に、遺産を分けてくれるようにおっしゃってください」。

彼に言われた、「人よ、だれがわたしをあなたがたの裁判人または分配人に立てたのか」。

それから人々にむかって言われた、「あらゆる貪欲に対してよくよく警戒しなさい。たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらないのである」。

そこで一つの譬を語られた、「ある金持の畑が豊作であった。

そこで彼は心の中で、『どうしようか、わたしの作物をしまっておく所がないのだが』と思いめぐらして

言った、『こうしよう。わたしの倉を取りこわし、もっと大きいのを建てて、そこに穀物や食糧を全部しまい込もう。

そして自分の魂に言おう。たましいよ、おまえには長年分の食糧がたくさんたくわえてある。さあ安心せよ、食え、飲め、楽しめ』。

すると神が彼に言われた、『愚かな者よ、あなたの魂は今夜のうちにも取り去られるであろう。そしたら、あなたが用意した物は、だれのものになるのか』。

自分のために宝を積んで神に対して富まない者は、これと同じである」。

 

 


年間第18主日 コロサイ人への手紙 3.1-5 9-11

2022-07-31 10:37:59 | 典礼

Se dunque voi siete stati risuscitati con Cristo, cercate le cose di sopra dove Cristo è seduto alla destra di Dio.

Abbiate l’animo alle cose di sopra, non a quelle che son sulla terra;

poiché voi moriste, e la vita vostra è nascosta con Cristo in Dio.

Quando Cristo, la vita nostra, sarà manifestato, allora anche voi sarete con lui manifestati in gloria.

Fate dunque morire le vostre membra che son sulla terra: fornicazione, impurità, lussuria, mala concupiscenza e cupidigia, la quale è idolatria.

 

 

Non mentite gli uni agli altri,

giacché avete svestito l’uomo vecchio con i suoi atti e rivestito il nuovo, che si va rinnovando in conoscenza ad immagine di Colui che l’ha creato.

Qui non c’è Greco e Giudeo, circoncisione e incirconcisione, barbaro, Scita, schiavo, libero, ma Cristo è in ogni cosa e in tutti.

 

 

このように、あなたがたはキリストと共によみがえらされたのだから、上にあるものを求めなさい。そこではキリストが神の右に座しておられるのである。

あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない。

あなたがたはすでに死んだものであって、あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されているのである。

わたしたちのいのちなるキリストが現れる時には、あなたがたも、キリストと共に栄光のうちに現れるであろう。

だから、地上の肢体、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪欲、また貪欲を殺してしまいなさい。貪欲は偶像礼拝にほかならない。

 

 

互にうそを言ってはならない。あなたがたは、古き人をその行いと一緒に脱ぎ捨て、

造り主のかたちに従って新しくされ、真の知識に至る新しき人を着たのである。

そこには、もはやギリシヤ人とユダヤ人、割礼と無割礼、未開の人、スクテヤ人、奴隷、自由人の差別はない。キリストがすべてであり、すべてのもののうちにいますのである。

 


年間第18主日 コヘレトの言葉(伝道の書)1.2 2.21-23

2022-07-31 10:26:04 | 典礼

Vanità delle vanità, dice l’Ecclesiaste;

 

Poiché, ecco un uomo che ha lavorato con saviezza, con intelligenza e con successo e lascia il frutto del suo lavoro in eredità a un altro, che non v’ha speso intorno alcuna fatica! Anche questo è vanità, e un male grande.

Difatti, che profitto trae l’uomo da tutto il suo lavoro, dalle preoccupazioni del suo cuore, da tutto quel che gli è costato tanta fatica sotto il sole?


Tutti i suoi giorni non sono che dolore, la sua occupazione non è che fastidio; perfino la notte il suo cuore non ha posa. Anche questo è vanità.

 

 

伝道者は言う、空の空、空の空、いっさいは空である。

 

今ここに人があって、知恵と知識と才能をもって労しても、これがために労しない人に、すべてを残して、その所有とさせなければならないのだ。これもまた空であって、大いに悪い。

そもそも、人は日の下で労するすべての労苦と、その心づかいによってなんの得るところがあるか。

そのすべての日はただ憂いのみであって、そのわざは苦しく、その心は夜の間も休まることがない。これもまた空である。


安倍一族の「家」と「血」の野望

2022-07-27 16:33:39 | 日記

晋三君は、「天皇陛下」に「国葬の儀」を執り計らって欲しいと願った。

「安倍一族」は、天皇家から少しずれた位置にいる。

もっとも近づいたのは「麻生一族」。

皇族に太郎君の妹を献上したのだ。

「安倍一族」は職務としては「陛下」から任命を受けているが、

「家」に賜れたわけではないのだ。

そこで必要になったのが「葬の儀」

「葬の儀」は「家長の儀」であり、まさに家。

その「葬の儀」に陛下からお言葉を賜れたのならば、

安倍一族は、麻生一族にニ歩ぐらい近づく事になるのだ。

 

神は与え、神は奪う。

神は偉大なり。


「国葬」は如何に執り行われるべきか?

2022-07-27 16:18:32 | 日記

このまま、「国葬」は閣議決定で「内閣総理大臣」が長として執り行われる事になるだろうが、
わらわとしては、「儀」は天皇陛下が執り行う事が、「葬の儀」である。

たとえ、陛下が執り行う事としても、その時の総理の助言が必要になる事になるであろう。

総理の助言を国会を通すか閣議決定で良いかは、陛下が執り行っても解決はしない。

国外では「日本の国家元首」を「天皇陛下」としている国もある。

決定プロセスは兎も角、陛下が国賓に対して儀礼を尽くされる事は、

クソまみれの国会議員が執り行うより聖別された「聖」の象徴、国の象徴が天皇陛下なのである。

天皇陛下がなされるという事を理解できれば、

国会議員同士で、「くそっ」の投げあいがなくなる分、

「葬の儀」が「聖別」された行為と神は見てとられ、祝福が賜れる事だろう。

「国葬」が、神より「聖」と聖別され、祝福と慈悲が賜れますように祈ろう。

神は偉大なり。