エゼキエル
エゼキエルは,
捕囚の民としてユダの地から
バビロンへ連行されていき,
そこで預言者の働きをします。
エルサレムの神殿は
破壊されていませんでした。
エゼキエルは祭司でした。
エゼキエル記は4つの部分に
分ける事ができます。
1-24章には
エルサレムの破壊についての預言
25-32章には
近隣の国々に対する神の裁きについての
預言
33章には
イスラエルに対する悔い改めの促し
34-48章には
後のイスラエルの復興についての
預言が記録されています。
○
エゼキエルの召し
(エゼキエル1:1-3)
「第三十年の第四の月の五日,
私がケバル川のほとりで,
捕囚の民とともにいたとき,
天が開け,私は神々しい幻を見た。
それはエホヤキン王が捕囚となって
連れて行かれてから五年目であった。
その月の五日に,
カルデヤ人の地のケバル川のほとりで,
ブジの子,祭司エゼキエルに
はっきりと主のことばがあり,
主の御手が彼の上にあった。」
エゼキエルは,
捕囚の民としてユダの地から
バビロンへ連行されていき,
そこで預言者の働きをします。
○
預言者への召命
(エゼキエル2:1-4)
「その方は私に仰せられた。
『人の子よ。立ち上がれ。
わたしがあなたに語るから。』
その方が私に語りかけられると,
すぐ霊が私のうちにはいり,
私を立ち上がらせた。
そのとき,
私は私に語りかけることばを聞いた。
その方は私に仰せられた。
『人の子よ。
わたしはあなたをイスラエルの民,
すなわち,
わたしにそむいた反逆の国民に遣わす。
彼らも,その先祖たちも,
わたしにそむいた。
今日もそうである。
彼らはあつかましくて,
かたくなである。
わたしはあなたを彼らに遣わす。
あなたは彼らに
『神である主はこう仰せられる。』
と言え。」
エゼキエルの召命です。
聖霊はエゼキエルのうちに入りました。
主はエゼキエルを,
神に反逆する民に遣わしました。
○
「見張り人」の幻
(エゼキエル3:17,18)
「人の子よ。
わたしはあなたを
イスラエルの家の見張り人とした。
あなたは,
わたしの口からことばを聞くとき,
わたしに代わって彼らに警告を与えよ。
わたしが悪者に,
『あなたは必ず死ぬ。』と言うとき,
もしあなたが彼に警告を与えず,
悪者に悪の道から離れて
生きのびるように語って,
警告しないなら,
その悪者は自分の不義のために死ぬ。
そして,
わたしは彼の血の責任をあなたに問う。」
○
あたらしい霊
(エゼキエル11:19-20)
「わたしは彼らに一つの心を与える。
すなわち,
わたしはあなたがたのうちに
新しい霊を与える。
わたしは彼らのからだから
石の心を取り除き,
彼らに肉の心を与える。
それは,彼らがわたしのおきてに
従って歩み,
わたしの定めを守り行なうためである。
こうして,彼らはわたしの民となり,
わたしは彼らの神となる。」
エゼキエルの預言は,
エレミヤの預言と同じく
「新しい契約」によって,
イスラエルの民が
「主の民」とされる終末の出来事です。
エゼキエルには「主の霊」,
「神の霊」の働きが示されました。
○
罪は個人の責任
(エゼキエル14:14)
「たとい,そこに,
ノアとダニエルとヨブの,
これら三人の者がいても,
彼らは自分たちの義によって
自分たちのいのちを救い出すだけだ。」
(エゼキエル18:2)
「あなたがたは,
イスラエルの地について,
『父が酸いぶどうを食べたので,
子どもの歯が浮く。』という,
このことわざをくり返し言っているが,
いったいどうしたことか。」
(エゼキエル18:4)
「見よ,
すべてのいのちはわたしのもの。
父のいのちも,
子のいのちもわたしのもの。
罪を犯した者は,その者が死ぬ。」
(エゼキエル18:20)
「罪を犯した者は,その者が死に,
子は父の咎について負いめがなく,
父も子の咎について負いめがない。
正しい者の義はその者に帰し,
悪者の悪はその者に帰する。」
罪は個人の責任だと言います。
しかし,
悔い改めるなら生きると言います。
○
悔い改めれば生きる
(エゼキエル18:21)
「しかし,悪者でも,
自分の犯したすべての罪から立ち返り,
わたしのすべてのおきてを守り,
公義と正義を行うなら,
彼は必ず生きて,
死ぬことはない。」
神のみこころは,人が救われることです。
(エゼキエル18:23)
「わたしは悪者の死を喜ぶだろうか。
──神である主の御告げ──
彼がその態度を悔い改めて,
生きることを喜ばないだろうか。」
人は、本人の罪によって死にます。
「悔い改めて,生きよ」
(エゼキエル18;32)と言います。
(エゼキエル18:30-32)
「それゆえ,イスラエルの家よ,
わたしはあなたがたを
それぞれその態度にしたがってさばく。
──神である主の御告げ──
悔い改めて,あなたがたのすべての
そむきの罪を振り捨てよ。
不義に引き込まれることが
ないようにせよ。
あなたがたの犯したすべてのそむきの罪を
あなたがたの中から放り出せ。
こうして,新しい心と新しい霊を得よ。
イスラエルの家よ。
なぜ,あなたがたは死のうとするのか。
わたしは,
だれが死ぬのも喜ばないからだ。
──神である主の御告げ──
だから,悔い改めて,生きよ。」
○
ひとりの人間
(エゼキエル18:30)
「それゆえ,イスラエルの家よ,
わたしはあなたがたを
それぞれその態度にしたがってさばく。
・・神である主の御告げ。・・
悔い改めて,
あなたがたのすべてのそむきの罪を
振り捨てよ。
不義に引き込まれることが
ないようにせよ。」
エゼキエルの預言は,
超越的な神と神の神聖さを
強調するところにあります。
「わたしはあなたがたを
それぞれその態度にしたがってさばく」
とあるように,
エゼキエルは,
神はイスラエルの民に対してだけでなく,
個人を問題にして預言します。
○
(エゼキエル20:40)
「わたしの聖なる山,
イスラエルの高い山の上で,
・・神である主の御告げ。
・・その所で,
この地にいるイスラエルの全家はみな,
わたしに仕えるからだ。
その所で,
わたしは彼らを喜んで受け入れ,
その所で,
あなたがたのすべての聖なる物とともに,
あなたがたの奉納物と
最上のささげ物を求める。」
聖歌589 恵みの高き嶺(ね)
(新聖歌505)
1.
恵みの高き嶺(ね)
日々我が目当てに
祈りつ謳(うた)いつ
我は登り行かん
(くり返し)
光と 清きと
平和に満ちたる
恵みの高き嶺(ね)
我に踏(ふ)ましめよ
2.
恐れのある地に
などかは留(とど)まらん
疑惑の雲をば
早く下に踏まん
(くり返し)
3.
狭霧(さぎり)の彼方(かなた)に
天津(あまつ)日輝く
浮き世を後にし
尚(なお)も登り行かん
(くり返し)
4.
険(けわ)しき坂をも
直(す)ぐなる岩をも
御(み)助けある身は
遂に昇り切らん
(くり返し)
○
のがれた者
(エゼキエル24:25)
「人の子よ。
わたしが、彼らの力とするもの、
栄えに満ちた喜び、愛するもの、
心に慕うもの、
彼らの息子や娘たちを取り去る日、
その日、のがれた者が、
この知らせを告げに
あなたのもとにやって来る。」
「のがれた者」とは,
破壊されるエルサレムから
逃れてきた者のことです。
○
立ち帰れ、悪しき道から
(エゼキエル33:11)
「彼らに言いなさい。
わたしは生きている、
と主なる神は言われる。
わたしは悪人が死ぬのを喜ばない。
むしろ、悪人がその道から
立ち帰って生きることを喜ぶ。
立ち帰れ、立ち帰れ、
お前たちの悪しき道から。
イスラエルの家よ、
どうしてお前たちは
死んでよいだろうか。」
○
良い羊飼い
(エゼキエル34:2-4)
「人の子よ。
イスラエルの牧者たちに
向かって預言せよ。
預言して,彼ら,牧者たちに言え。
神である主はこう仰せられる。
ああ。
自分を肥やしている
イスラエルの牧者たち。
牧者は羊を養わなければ
ならないのではないか。
あなたがたは脂肪を食べ,
羊の毛を身にまとい,
肥えた羊をほふるが,
羊を養わない。」
(エゼキエル34:11,12)
「まことに,
神である主はこう仰せられる。
見よ。
わたしは自分でわたしの羊を捜し出し,
これの世話をする。
牧者が昼間,
散らされていた自分の羊の中にいて,
その群れの世話をするように,
わたしはわたしの羊を,
雲と暗やみの日に散らされた
すべての所から救い出して,
世話をする。」
待望している救い主キリストを
牧者として描いています。
○
新しい霊・新しい心
(エゼキエル36:22-24 口語訳)
「それゆえ、
あなたはイスラエルの家に言え。
主なる神はこう言われる、
イスラエルの家よ、
わたしがすることは
あなたがたのためではない。
それはあなたがたが
行った諸国民の中で汚した、
わが聖なる名のためである。
わたしは諸国民の中で
汚されたもの、
すなわち、
あなたがたが彼らの中で汚した、
わが大いなる名の聖なることを示す。
わたしがあなたがたによって、
彼らの目の前に、
わたしの聖なることを示す時、
諸国民はわたしが主であることを悟ると、
主なる神は言われる。
わたしはあなたがたを
諸国民の中から導き出し、
万国から集めて、
あなたがたの国に行かせる。」
○
「きよい水」
(エゼキエル36:25)
「わたしがきよい水を
あなたがたの上に振りかけるそのとき,
あなたがたは
すべての汚れからきよめられる。」
御霊の内住が与えられます。新生です。
「きよい水」とは,
主の霊を指しています。
この預言は,第一に捕囚からの解放と
イスラエルの地への帰還を
表わしています。
究極的には,
イエス・キリストの昇天の後の
聖霊の降臨を預言しています。
(ヘブル10:22)
「そのようなわけで,
私たちは,
心に血の注ぎを受けて
邪悪な良心をきよめられ,
からだをきよい水で洗われたのですから,
全き信仰をもって,
真心から
神に近づこうではありませんか。」
(エゼキエル36:25-27)
「わたしがきよい水を
あなたがたの上に振りかけるそのとき,
あなたがたは
すべての汚れからきよめられる。
わたしはすべての偶像の汚れから
あなたがたをきよめ,
あなたがたに新しい心を与え,
あなたがたのうちに新しい霊を授ける。
わたしはあなたがたのからだから
石の心を取り除き,
あなたがたに肉の心を与える。
わたしの霊をあなたがたのうちに授け,
わたしのおきてに従って歩ませ,
わたしの定めを守り行なわせる。」
☆
エゼキエルに与えられた預言です。
捕囚されている,
イスラエルの国土の復興と,
イスラエルの民の復興を預言しました。
エゼキエルは
外部的に神殿からのわき水を預言します。
イエス・キリストは,
イエス・キリストの腹からわき出る
水であるといいます。
新約聖書において,
聖霊のバプテスマの後の
聖霊の内住を預言します。
(ヨハネ7:38 口語訳)
「わたしを信じる者は,
聖書に書いてあるとおり,
その腹から生ける水が
川となって流れ出るであろう」。
○
回復
(エゼキエル37:5)
「神である主はこれらの
骨にこう仰せられる。
見よ。
わたしがおまえたちの中に
息を吹き入れるので,
おまえたちは生き返る。」
「息」はルーアフで
「息」,「風」,「霊」を意味します。
「生きる」は,原語から言うと,
「生き返らせる」,
「生存」を意味します。
新約聖書で成就する
「復活」を預言します。
○
捕囚の民の期間の約束
(エゼキエル36:24)
「わたしはあなたがたを
諸国の民の間から連れ出し,
すべての国々から集め,
あなたがたの地に連れて行く。」
エゼキエルは捕囚の民として,
ユダからバビロンに
連行されて行かれます。
そこで,預言者としての働きを
始めました。
捕囚の民が,
約束の地に帰ることを預言します。
そして,
南北両王国の回復の預言が与えられます。
神から,民の回復の約束を枯れた骨に,
命が与えられるという幻が示されました。
それは,
わたしたちすべての回復でもあります。
聖書は,一貫したテーマがあります。
それは創造,堕落,回復,完成です。
ここでは,回復が幻として示されました。
○
枯れた骨
(エゼキエル37:5,6 口語訳)
「主なる神はこれらの骨に
こう言われる,
見よ,
わたしはあなたがたのうちに息を入れて,
あなたがたを生かす。
わたしはあなたがたの上に筋を与え,
肉を生じさせ,皮でおおい,
あなたがたのうちに息を与えて生かす。
そこであなたがたは
わたしが主であることを悟る」。
エゼキエルは,
イスラエルのバビロン捕囚という
苦難の中で活躍します。
絶望的な状況に,
イスラエルの民に枯れた骨の復活の
幻を語ります。
エレミヤが「新しい契約」を
語りましたが,
エゼキエルは「復活」の希望を
語りました。
○
イスラエルの回復の預言
(エゼキエル37:10)
「私が命じられたとおりに預言すると,
息が彼らの中にはいった。
そして彼らは生き返り,
自分の足で立ち上がった。
非常に多くの集団であった。」
この言葉は,
イスラエルの回復の預言です。
神の霊の創造のわざです。
(創世記2:7)
「主なる神は土のちりで人を造り,
命の息をその鼻に吹きいれられた。
そこで人は生きた者となった。」
○
ダビデの家の君主
(エゼキエル37:24,25)
「わたしの僕ダビデは彼らの王となり,
一人の牧者が彼らすべての牧者となる。
彼らはわたしの裁きに従って歩み,
わたしの掟を守り行う。
彼らはわたしがわが
僕ヤコブに与えた土地に住む。
そこはお前たちの先祖が
住んだ土地である。
彼らも,その子らも,孫たちも,皆,
永遠に至るまでそこに住む。
そして、わが僕ダビデが永遠に
彼らの支配者となる。」
ダビデに対する,
神の約束の究極的成就を描いた,
栄光に満ちた幻です。
ダビデの子孫であるメシヤが,
その民の良い羊飼いになるだけでなく,
民も平和な王国の中で,
神の支配の下で生きるようになります。
○
新しい神殿の幻
(エゼキエル47:1、2)
「彼は私を神殿の入口に連れ戻した。
見ると,水が神殿の敷居の下から
東のほうへと流れ出ていた。
神殿が東に向いていたからである。
その水は祭壇の南,
宮の右側の下から流れていた。
ついで,彼は私を北の門から連れ出し,
外を回らせ,東向きの外の門に行かせた。
見ると,水は右側から流れ出ていた。」
エゼキエルに与えられた,
神殿の幻です。
神殿の回復はイエス御自身であり,
イエスご自身が神殿なのです。
「神殿」は,神の家であり,
神が臨在す所です。
(ヨハネ2:19,21)
「イエスは彼らに答えて言われた。
『この神殿をこわしてみなさい。
わたしは、三日でそれを建てよう。』」…
「イエスはご自分のからだの
神殿のことを言われたのである。」
(1コリント3:16)
「あなたがたは神の神殿であり,
神の御霊があなたがたに
宿っておられることを
知らないのですか。」
キリストを信じる者は,
神殿から水が流れるように,
生ける水である聖霊が流れ出ます。
(ヨハネ7:37,38 口語訳)
「祭の終りの大事な日に,
イエスは立って,叫んで言われた,
『だれでもかわく者は,
わたしのところにきて飲むがよい。
わたしを信じる者は,
聖書に書いてあるとおり,
その腹から生ける水が
川となって流れ出るであろう』」。
○
いのちを与える水
(エゼキエル書47章9節)
「この川が流れて行く所はどこででも,
そこに群がるあらゆる生物は生き,
非常に多くの魚がいるようになる。
この水がはいると,
そこの水が良くなるからである。
この川がはいる所では,
すべてのものが生きる。」
この川(「命の水の川」)によって,
新しい神殿における
主の栄光の臨在の祝福が,
広く外の世界に及んでいくことが
示されています。
これは,聖書全体で見ると,
創世記2:10‐14に記されている,
エデンの園における
主の栄光の臨在の祝福が,
世界に回復することです。
新しい神殿における主の栄光の臨在は,
贖いの恵みを伴う栄光の臨在です。
(創世記2:10-14)
「また一つの川が
エデンから流れ出て園を潤し,
そこから分れて四つの川となった。
その第一の名はピソンといい,
金のあるハビラの全地をめぐるもので,
その地の金は良く,
またそこはブドラクと,
しまめのうとを産した。
第二の川の名はギホンといい,
クシの全地をめぐるもの。
第三の川の名はヒデケルといい,
アッスリヤの東を流れるもの。
第四の川はユフラテである。」
☆彡
いのちの水が私たちは必要です。
神の愛,その生ける川の水で,
心の渇きを
うるおしていただきたいものです。
そこでは,すべてのものが生きるのです。
イエスはサマリヤの井戸のそばで女性に
次のように話されました。
(ヨハネ4章14節)
「わたしが与える水を飲む者は
決して渇かない。
わたしが与える水は
その人の内で泉となり,
永遠の命に至る水がわき出る。」
ワーシップ「神の川が流れ」
「神の川が流れ
溢(あふ)れている
いやしをもたらす
すくいのかわ
聖なる都
シオンに向い
神の川が流れゆき
わたしを覆(おお)う
踝(くるぶし)ではなく
膝(ひざ)まででもない
泳げるほど
豊かなながれ」
○
命の水
(エゼキエル47:1-9)
「彼はわたしを宮の戸口に帰らせた。
見よ,水の宮の敷居の下から,
東の方へ流れていた。
宮は東に面し,その水は,下から出て,
祭壇の南にある宮の敷居の南の端から,
流れ下っていた。
彼は北の門の道から,
わたしを連れ出し,
外をまわって,
東に向かう外の門に行かせた。
見よ,水は南の方から流れ出ていた。
その人は東に進み,
手に測りなわをもって
一千キュビトを測り,
わたしを渡らせた。
すると水はくるぶしに達した。
彼がまた一千キュビトを測って,
わたしを渡らせると,水はひざに達した。
彼がまた一千キュビトを測って,
わたしを渡らせると,水は腰に達した。
彼がまた一千キュビトを測ると,
渡り得ないほどの川になり,
水は深くなって,泳げるほどの水,
越え得ないほどの川になった。
彼はわたしに
『人の子よ,あなたはこれを見るか』
と言った。
それから,
彼はわたしを
川の岸に沿って連れ帰った。
わたしが帰ってくると,
見よ,川の岸のこなたかなたに,
はなはだ多くの木があった。
彼はわたしに言った,
『この水は東の境に流れて行き,
アラバに落ち下り,
その水が,よどんだ海にはいると,
それは清くなる。
おおよそこの川の流れる所では,
もろもろの動く生き物が皆生き,
また,はなはだ多くの魚がいる。
これはその水がはいると,
海の水を清くするためである。
この川の流れる所では,
すべてのものが生きている。』」
新しい神殿,エルサレム,川の幻は,
イスラエルの回復の幻です。
完全に実現するのは,
キリスト再臨後の新天新地によってです。
○
2018.8.26