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朝の光(聖書の言葉)

ヨハネの福音書 解説4 重要な言葉 2019.7.16

ヨハネの福音書 解説4


ヨハネの福音書から

1章に1節または2節を選びました。


待ち時間に携帯からでも見てください。


俳句は短くても素晴らしいですが,

聖書の言葉はそれ以上です。


聖書の言葉は,

短くても十分な働きをします。


口語訳聖書引用




言(ことば)が肉となった


(ヨハネ1:1)

「初めに言があった。

言は神と共にあった。

言は神であった。」



(ヨハネ1:1)新改訳

「初めに,ことばがあった。
ことばは神とともにあった。
ことばは神であった。」


「言(ことば)」

(ギリシャ語でロゴス)は,

神であり,初めから有りました。


「初めに,言(ことば)があった」は,

創世記1:1に対応します。


ここの言(ことば)は,

イエス・キリストのことです。


創造にイエス・キリストが働いています。


(創世記1:1)

「 はじめに神は

天と地とを創造された。」




神の小羊


(ヨハネ1:29)

「その翌日,

ヨハネはイエスが自分の方に

こられるのを見て言った,

『見よ,

世の罪を取り除く神の小羊。』」


洗礼者のヨハネが,

イエスを紹介する言葉です。


「神の小羊」とは,

「過越の小羊」(出12:1)

を示しています。





神殿を建てなおす

(ヨハネ2:19-21)

「イエスは彼らに答えて言われた,
『この神殿をこわしたら,
わたしは三日のうちに,
それを起すであろう』。
そこで,ユダヤ人たちは言った,
『この神殿を建てるのには,
四十六年もかかっています。
それだのに,
あなたは三日のうちに,
それを建てるのですか』。
イエスは自分のからだである
神殿のことを言われたのである。」


イエスは,

復活のイエスの体のよみがえりを

預言をしています。






永遠のいのち


(ヨハネ3:16)

「神はそのひとり子を
賜わったほどに,
この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者が
ひとりも滅びないで,
永遠の命を得るためである。」


イエスがニコデモにはなしました。


この言葉は,

小さい福音書と言われます。


聖書を要約した言葉です。





イエスの与える水


(ヨハネ4:13,14)

「イエスは女に答えて言われた
『この水を飲む者はだれでも,
またかわくであろう。
しかし,
わたしが与える水を飲む者は,
いつまでも,
かわくことがないばかりか,
わたしが与える水は,
その人のうちで泉となり,
永遠の命に至る水が,
わきあがるであろう。』」


イエス・キリストが,

井戸に水をくみの来たサマリヤの女に

話しました。


イエスの与える水は,

一度飲むと決して渇くことがなく,

飲んだ人の内で泉となり,

永遠の命に至る水です。


ここの水は,聖霊のことです。




神への礼拝


(ヨハネ4:24)

「神は霊であるから,
礼拝をする者も,
霊とまこととをもって
礼拝すべきである。」


イエスが,

サマリヤの女に話しました。


旧約聖書の預言者のホセアは,

礼拝について次のようにいっています。


(ホセア6:6)

「わたしは誠実を喜ぶが,
いけにえは喜ばない。
全焼のいけにえより,
むしろ神を知ることを喜ぶ。」


父なる神,

子なる神(イエス・キリスト),

聖霊なる神を礼拝します。




信じる者


(ヨハネ5:24)

「よくよくあなたがたに言っておく。
わたしの言葉を聞いて,
わたしをつかわされたかたを
信じる者は,
永遠の命を受け,
またさばかれることがなく,
死から命に移っているのである。」


イエスが,

ベトサイダで病人をいやした後の

話です。


イエス・キリストを信じることによって,

永遠の命を今受けることが出来ます。




湖の上を歩く


(ヨハネ6:19,20)

「四,五十丁こぎ出したとき,
イエスが海の上を歩いて
舟に近づいてこられるのを見て,
彼らは恐れた。
すると,イエスは彼らに言われた,
『わたしだ,
恐れることはない』。」


海はガリラヤ湖です。


湖上の歩行は,

イエスが神だからできるのです。


イエス・キリストは、
わたしたちを

恐れから救ってくださり,

平安を与えてくださいます。


「わたしだ」

(ギリシャ語では,エゴー・エイミ)は,

イエスが神であることを示しています。



(マタイ14:33)

「舟の中にいた者たちは,
イエスを拝んで,
『確かにあなたは神の子です』
と言った。」






命のパン


(ヨハネ6:35)

「イエスは彼らに言われた,
『わたしが命のパンである。
わたしに来る者は
決して飢えることがなく,
わたしを信じる者は
決してかわくことがない。』」


5つのパンと2匹の魚で,

5千人を養った

奇跡の後の言葉です。


わたしたちは,

イエスを信じることによって

心は満ち足り,

永遠の命が与えられます。


イエスこそまことの生ける水であり,

命のパンです。


イエス・キリストを

信じることによって,

永遠の命が得られます。




生きた水

(ヨハネ7:37,38)

「祭の終りの大事な日に,
イエスは立って,叫んで言われた,
『だれでもかわく者は,
わたしのところにきて飲むがよい。
わたしを信じる者は,
聖書に書いてあるとおり,
その腹から生ける水が
川となって流れ出る』」


エルサレムの仮庵祭での

イエスの言葉です。


イエスが立ち上がり

大声で言いました。

ここの水とは聖霊のことです。




世の光


(ヨハネ8:12)

「イエスは,
また人々に語ってこう言われた,
『わたしは世の光である。
わたしに従って来る者は,
やみのうちを歩くことがなく,
命の光をもつであろう』」


光とは神の子イエスご自身です。

わたしたちは,

その光を受けて輝きます。





真理は自由にする


(ヨハネ8:31)

「イエスは
自分を信じた
ユダヤ人たちに言われた,
『もしわたしの言葉のうちに
とどまっておるなら,
あなたがたは,
ほんとうに
わたしの弟子なのである。』


(ヨハネ8:32)

「真理はあなたがたを自由にします。」



イエス・キリストを信じるなら,

罪から解放され,

真理が与えられ,

自由となります。




神の業


(ヨハネ9:2,3)

「弟子たちはイエスに尋ねて言った,
『先生,
この人が生れつき盲人なのは,
だれが罪を犯したためですか。
本人ですか,
それともその両親ですか』。
イエスは答えられた,
『本人が罪を犯したのでもなく,
また,
その両親が犯したのでもない。
ただ神のみわざが,
彼の上に現れるためである。』」


生まれつきの盲人についての話です。


イエスは

「神のわざがこの人に現われるため」

であると説明します。


この男の障害の原因ではなく,

目的について語られました。


イエスは盲人をいやします。




良い羊飼い


(ヨハネ10:14)

「わたしはよい羊飼であって,
わたしの羊を知り,
わたしの羊はまた,
わたしを知っている。」


神は良い羊飼いであることは,

旧約聖書からの教えです。


盗人や強盗が

羊の命を奪うためにやって来るのに対し,

イエスは命を与えてくださいます。




復活


(ヨハネ11:25,26)

「イエスは彼女に言われた,
『わたしはよみがえりであり,
命である。
わたしを信じる者は,
たとい死んでも生きる。
また,生きていて,
わたしを信じる者は,
いつまでも死なない。
あなたはこれを信じるか。』」


イエスが,

死んだラザロを

よみがえさせる前の言葉です。


わたしたちが,

イエス・キリストを信じると

永遠の命を受けます。


それは,

終わりの時によみがえる

肉体を伴うものでもあります。




エルサレムに迎えられる


(ヨハネ12:14,15)

「イエスは,ろばの子を見つけて,
その上に乗られた。
それは
『シオンの娘よ,恐れるな。
見よ,あなたの王が,
ろばの子に乗っておいでになる』
と書いてあるとおりであった。」


イエスが

エルサレムに入るときのことです。


イエスは穏やかに

ろばの子に乗って入ります。


旧約聖書のゼカリヤが

預言していたことでした。


(ゼカリヤ9:9)

「シオンの娘よ。
大いに喜べ。
エルサレムの娘よ。
喜び叫べ。
見よ。
あなたの王が
あなたのところに来られる。
この方は正しい方で,
救いを賜り,
柔和で,
ろばに乗られる。
それも,
雌ろばの子の子ろばに。」


「軍馬」に対して「ろば」を乗り物とする

王を描いています。


このことから,イエス・キリストは

軍事的な王ではなく

柔和なメシヤ(キリスト)をあらわしています。 





一粒の麦


(ヨハネ12:24)

「よくよくあなたがたに言っておく。
一粒の麦が地に落ちて死ななければ,
それはただ一粒のままである。
しかし,もし死んだなら,
豊かに実を結ぶようになる。」


エルサレムで

ギリシャ人に話されました。

イエスの栄光の時を示しています。


イエスの栄光は,

十字架と復活と昇天によって

示されます。


また,わたしたちにも

与えられた言葉です。





足を洗う


(ヨハネ13:14)

「しかし,主であり,
また教師であるわたしが,
あなたがたの足を洗ったからには,
あなたがたもまた,
互に足を洗い合うべきである。」


イエスは弟子たちに


(ヨハネ13:1)

「愛を残るところなく示された。」




エルサレムで過越し祭の前でのことです。



イエスは

弟子たちの足を洗うことを通して,

自らしもべの姿をとられました。


わたしたちが倣う姿です。




互いに愛し合う


(ヨハネ13:34)

「わたしは,
新しいいましめを
あなたがたに与える,
互に愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを
愛したように,
あなたがたも
互に愛し合いなさい。」


イエスが

与えてくださった戒めです。





神を信じなさい


(天国・再臨)


(ヨハネ14:1,2)

「あなたがたは,
心を騒がせないがよい。
神を信じ,
またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には,
すまいがたくさんある。
もしなかったならば,
わたしは
そう言っておいたであろう。
あなたがたのために,
場所を用意しに
行くのだから。」


イエスが去ることは,

「わたしの父の家」

すなわち,

神と共なる場所を

用意するためです。


そして,イエス・キリストは,

信じる者たちを再び迎えいれます。


その場所とは,天国にある住まいです。


イエス・キリストは天国に上げられ,

再び来ます。


(ヨハネ14:3,4)

「そして,行って,
場所の用意ができたならば,
またきて,
あなたがたを
わたしのところに迎えよう。
わたしのおる所に
あなたがたも
おらせるためである。 
わたしがどこへ行くのか,
その道は
あなたがたにわかっている」。







(ヨハネ14:6)

「イエスは彼に言われた,
『わたしは道であり,
真理であり,命である。
だれでもわたしによらないでは,
父のみもとに
行くことはできない。』」


イエス・キリストご自身が,

道,真理,命です。


イエス・キリストをとおして,

父なる神のところに行けます。






真理の霊


(ヨハネ14:16,17)

「わたしは父にお願いしよう。
そうすれば,
父は別に助け主を送って,
いつまでもあなたがたと共に
おらせて下さるであろう。
それは真理の御霊である。
この世はそれを見ようともせず,
知ろうともしないので,
それを受けることができない。
あなたがたはそれを知っている。
なぜなら,
それはあなたがたと共におり,
またあなたがたのうちに
いるからである。」


イエス・キリストを信じるなら,

わたしたちに聖霊が与えられます。






ぶどうの木


(ヨハネ15:5)

「わたしはぶどうの木,
あなたがたはその枝である。
もし人が
わたしにつながっており,
またわたしが
その人とつながっておれば,
その人は
実を豊かに結ぶようになる。
わたしから離れては,
あなたがたは
何一つできないからである。」


イエス・キリストを信じると,

イエス・キリストとつながります。


そして,豊かな実を結びます。

豊かに実とは,神の恵みのすべてです。






大きな愛

(ヨハネ15:12)

「わたしのいましめは,
これである。
わたしがあなたがたを愛したように,
あなたがたも互に愛し合いなさい。」


イエスの「ぶどうの木」の

譬えの話の中にあります。


イエス・キリストの戒めとは,

「互いに愛し合いなさい」です。


この「互に愛し合う」は,

イエスの十字架の死によって

示された愛です。


イエスは弟子たちを友と呼び,

この弟子のために命を捨てました。






イエスの名によって願う

(ヨハネ16:24)

「今までは,
あなたがたはわたしの名によって
求めたことはなかった。
求めなさい,
そうすれば,与えられるであろう。
そして,あなたがたの喜びが
満ちあふれるであろう。」


祈りが,かなえられることの約束です。






世に勝つ


(ヨハネ16:33)

「これらのことを
あなたがたに話したのは,
わたしにあって
平安を得るためである。
あなたがたは,
この世ではなやみがある。
しかし,勇気を出しなさい。
わたしはすでに世に勝っている。」


最後の晩餐での話のおわりに,

イエスはもう一度,

父のもとへ去って行くと告げました。


イエス・キリストは,

この後十字架につけられますが,

復活して世に勝つことをあらわします。






永遠の命


(ヨハネ17:2)

「あなたは,
子に賜わったすべての者に,
永遠の命を授けさせるため,
万民を支配する権威を
子にお与えになったのですから。」


弟子たちに告別の説教をされたイエスは,

長い祈りをささげられました。


この箇所は,

「大祭司の祈り」と呼ばれています。




一つになる


(神がイエスを遣わす)


(ヨハネ17:21)

「父よ,それは,
あなたがわたしのうちにおられ,
わたしがあなたのうちにいるように,
みんなの者が一つとなるためであります。
すなわち,彼らをもわたしたちのうちに
おらせるためであり,
それによって,
あなたがわたしを
おつかわしになったことを,
世が信じるようになるためであります。」


イエス・キリストを信じると,

わたしたちは

イエス・キリストと一つとなります。




わたしである。


(ヨハネ18:5,6)

「彼らは
『ナザレのイエスを』と答えた。
イエスは彼らに言われた,
『わたしが,それである』。
イエスを裏切ったユダも,
彼らと一緒に立っていた。
イエスが彼らに
『わたしが,それである』
と言われたとき,
彼らはうしろに
引きさがって地に倒れた。」


イエスが裏切られ,

逮捕されるときの出来事です。


「わたしがそれである」は,

モーセに現われた,

神の言葉からきています。


この言葉に,

イエスを逮捕しようと人々は

後ずさりして倒れました。


(出エジプト3:14)

「神はモーセに言われた,

『わたしは,有って有る者』」。






成し遂げられた


(ヨハネ19:30)

「すると,
イエスはそのぶどう酒を受けて,
『すべてが終った』と言われ,
首をたれて息をひきとられた。」


イエスが十字架につけられて,

死ぬ前の言葉です。


「すべてが終わった」のは,

父なる神がイエス・キリストに託した業を

すべて終わらせたのです。


それは,信じる者を救うという業を

終わらせたのです。


イエスは,

罪びとの身代わりの死の業を

成し遂げました。


神の側の業は,

終わりました(完了しました)。


あと,人の側では,

この神を信じるということが必要です。






ラボニ


(復活)

(ヨハネ20:16)

「イエスは彼女に
『マリヤよ』と言われた。
マリヤはふり返って,
イエスにむかって
ヘブル語で『ラボニ』と言った。
それは,
先生という意味である。」


マグダラのマリアが,

復活のイエスに会ったときです。


このマリアの喜びは,

信じる者も共に喜ぶものです。




イエス,弟子たちにあらわれる

(復活,聖霊)


(ヨハネ20:22,23)

「そう言って,
彼らに息を吹きかけて仰せになった,
『聖霊を受けよ。
あなたがたがゆるす罪は,
だれの罪でもゆるされ,
あなたがたがゆるさずにおく罪は,
そのまま残るであろう。』」


イエス・キリストが復活し,

弟子たちに会い話します。


わたしたちが

イエス・キリストを信じるなら,

聖霊を受けます。


聖霊を受けるなら,

罪が赦されます。


罪の赦しは,

イエス・キリストを信じることが,

土台です。





イエスとトマス


(ヨハネ20:28)

「トマスはイエスに答えて言った,
『わが主よ,わが神よ。』」


弟子のトマスが,

復活したイエスに出会ったときの

言葉です。


トマスの信仰は,

わたしたちの信仰です。





羊を養う


(ヨハネ21:17,18)

「イエスは三度目に言われた,
『ヨハネの子シモンよ,
わたしを愛するか』。
ペテロは『わたしを愛するか』
とイエスが三度も言われたので,
心をいためてイエスに言った,
『主よ,あなたはすべてをご存じです。
わたしがあなたを愛していることは,
おわかりになっています』。
イエスは彼に言われた,
『わたしの羊を養いなさい。』」


復活したイエスがペテロに会い,

話した言葉です。




2019.7.16

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