ヨハネの福音書 解説4
ヨハネの福音書から
1章に1節または2節を選びました。
待ち時間に携帯からでも見てください。
俳句は短くても素晴らしいですが,
聖書の言葉はそれ以上です。
聖書の言葉は,
短くても十分な働きをします。
口語訳聖書引用
○
言(ことば)が肉となった
(ヨハネ1:1)
「初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。」
(ヨハネ1:1)新改訳
「初めに,ことばがあった。
ことばは神とともにあった。
ことばは神であった。」
「言(ことば)」
(ギリシャ語でロゴス)は,
神であり,初めから有りました。
「初めに,言(ことば)があった」は,
創世記1:1に対応します。
ここの言(ことば)は,
イエス・キリストのことです。
創造にイエス・キリストが働いています。
(創世記1:1)
「
はじめに神は
天と地とを創造された。」
○
神の小羊
(ヨハネ1:29)
「その翌日,
ヨハネはイエスが自分の方に
こられるのを見て言った,
『見よ,
世の罪を取り除く神の小羊。』」
洗礼者のヨハネが,
イエスを紹介する言葉です。
「神の小羊」とは,
「過越の小羊」(出12:1)
を示しています。
○
神殿を建てなおす
(ヨハネ2:19-21)
「イエスは彼らに答えて言われた,
『この神殿をこわしたら,
わたしは三日のうちに,
それを起すであろう』。
そこで,ユダヤ人たちは言った,
『この神殿を建てるのには,
四十六年もかかっています。
それだのに,
あなたは三日のうちに,
それを建てるのですか』。
イエスは自分のからだである
神殿のことを言われたのである。」
イエスは,
復活のイエスの体のよみがえりを
預言をしています。
○
永遠のいのち
(ヨハネ3:16)
「神はそのひとり子を
賜わったほどに,
この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者が
ひとりも滅びないで,
永遠の命を得るためである。」
イエスがニコデモにはなしました。
この言葉は,
小さい福音書と言われます。
聖書を要約した言葉です。
○
イエスの与える水
(ヨハネ4:13,14)
「イエスは女に答えて言われた
『この水を飲む者はだれでも,
またかわくであろう。
しかし,
わたしが与える水を飲む者は,
いつまでも,
かわくことがないばかりか,
わたしが与える水は,
その人のうちで泉となり,
永遠の命に至る水が,
わきあがるであろう。』」
イエス・キリストが,
井戸に水をくみの来たサマリヤの女に
話しました。
イエスの与える水は,
一度飲むと決して渇くことがなく,
飲んだ人の内で泉となり,
永遠の命に至る水です。
ここの水は,聖霊のことです。
○
神への礼拝
(ヨハネ4:24)
「神は霊であるから,
礼拝をする者も,
霊とまこととをもって
礼拝すべきである。」
イエスが,
サマリヤの女に話しました。
旧約聖書の預言者のホセアは,
礼拝について次のようにいっています。
(ホセア6:6)
「わたしは誠実を喜ぶが,
いけにえは喜ばない。
全焼のいけにえより,
むしろ神を知ることを喜ぶ。」
父なる神,
子なる神(イエス・キリスト),
聖霊なる神を礼拝します。
○
信じる者
(ヨハネ5:24)
「よくよくあなたがたに言っておく。
わたしの言葉を聞いて,
わたしをつかわされたかたを
信じる者は,
永遠の命を受け,
またさばかれることがなく,
死から命に移っているのである。」
イエスが,
ベトサイダで病人をいやした後の
話です。
イエス・キリストを信じることによって,
永遠の命を今受けることが出来ます。
○
湖の上を歩く
(ヨハネ6:19,20)
「四,五十丁こぎ出したとき,
イエスが海の上を歩いて
舟に近づいてこられるのを見て,
彼らは恐れた。
すると,イエスは彼らに言われた,
『わたしだ,
恐れることはない』。」
海はガリラヤ湖です。
湖上の歩行は,
イエスが神だからできるのです。
イエス・キリストは、
わたしたちを
恐れから救ってくださり,
平安を与えてくださいます。
「わたしだ」
(ギリシャ語では,エゴー・エイミ)は,
イエスが神であることを示しています。
(マタイ14:33)
「舟の中にいた者たちは,
イエスを拝んで,
『確かにあなたは神の子です』
と言った。」
○
命のパン
(ヨハネ6:35)
「イエスは彼らに言われた,
『わたしが命のパンである。
わたしに来る者は
決して飢えることがなく,
わたしを信じる者は
決してかわくことがない。』」
5つのパンと2匹の魚で,
5千人を養った
奇跡の後の言葉です。
わたしたちは,
イエスを信じることによって
心は満ち足り,
永遠の命が与えられます。
イエスこそまことの生ける水であり,
命のパンです。
イエス・キリストを
信じることによって,
永遠の命が得られます。
○
生きた水
(ヨハネ7:37,38)
「祭の終りの大事な日に,
イエスは立って,叫んで言われた,
『だれでもかわく者は,
わたしのところにきて飲むがよい。
わたしを信じる者は,
聖書に書いてあるとおり,
その腹から生ける水が
川となって流れ出る』」
エルサレムの仮庵祭での
イエスの言葉です。
イエスが立ち上がり
大声で言いました。
ここの水とは聖霊のことです。
○
世の光
(ヨハネ8:12)
「イエスは,
また人々に語ってこう言われた,
『わたしは世の光である。
わたしに従って来る者は,
やみのうちを歩くことがなく,
命の光をもつであろう』」
光とは神の子イエスご自身です。
わたしたちは,
その光を受けて輝きます。
○
真理は自由にする
(ヨハネ8:31)
「イエスは
自分を信じた
ユダヤ人たちに言われた,
『もしわたしの言葉のうちに
とどまっておるなら,
あなたがたは,
ほんとうに
わたしの弟子なのである。』
(ヨハネ8:32)
「真理はあなたがたを自由にします。」
イエス・キリストを信じるなら,
罪から解放され,
真理が与えられ,
自由となります。
○
神の業
(ヨハネ9:2,3)
「弟子たちはイエスに尋ねて言った,
『先生,
この人が生れつき盲人なのは,
だれが罪を犯したためですか。
本人ですか,
それともその両親ですか』。
イエスは答えられた,
『本人が罪を犯したのでもなく,
また,
その両親が犯したのでもない。
ただ神のみわざが,
彼の上に現れるためである。』」
生まれつきの盲人についての話です。
イエスは
「神のわざがこの人に現われるため」
であると説明します。
この男の障害の原因ではなく,
目的について語られました。
イエスは盲人をいやします。
○
良い羊飼い
(ヨハネ10:14)
「わたしはよい羊飼であって,
わたしの羊を知り,
わたしの羊はまた,
わたしを知っている。」
神は良い羊飼いであることは,
旧約聖書からの教えです。
盗人や強盗が
羊の命を奪うためにやって来るのに対し,
イエスは命を与えてくださいます。
○
復活
(ヨハネ11:25,26)
「イエスは彼女に言われた,
『わたしはよみがえりであり,
命である。
わたしを信じる者は,
たとい死んでも生きる。
また,生きていて,
わたしを信じる者は,
いつまでも死なない。
あなたはこれを信じるか。』」
イエスが,
死んだラザロを
よみがえさせる前の言葉です。
わたしたちが,
イエス・キリストを信じると
永遠の命を受けます。
それは,
終わりの時によみがえる
肉体を伴うものでもあります。
○
エルサレムに迎えられる
(ヨハネ12:14,15)
「イエスは,ろばの子を見つけて,
その上に乗られた。
それは
『シオンの娘よ,恐れるな。
見よ,あなたの王が,
ろばの子に乗っておいでになる』
と書いてあるとおりであった。」
イエスが
エルサレムに入るときのことです。
イエスは穏やかに
ろばの子に乗って入ります。
旧約聖書のゼカリヤが
預言していたことでした。
(ゼカリヤ9:9)
「シオンの娘よ。
大いに喜べ。
エルサレムの娘よ。
喜び叫べ。
見よ。
あなたの王が
あなたのところに来られる。
この方は正しい方で,
救いを賜り,
柔和で,
ろばに乗られる。
それも,
雌ろばの子の子ろばに。」
「軍馬」に対して「ろば」を乗り物とする
王を描いています。
このことから,イエス・キリストは
軍事的な王ではなく
柔和なメシヤ(キリスト)をあらわしています。
○
一粒の麦
(ヨハネ12:24)
「よくよくあなたがたに言っておく。
一粒の麦が地に落ちて死ななければ,
それはただ一粒のままである。
しかし,もし死んだなら,
豊かに実を結ぶようになる。」
エルサレムで
ギリシャ人に話されました。
イエスの栄光の時を示しています。
イエスの栄光は,
十字架と復活と昇天によって
示されます。
また,わたしたちにも
与えられた言葉です。
○
足を洗う
(ヨハネ13:14)
「しかし,主であり,
また教師であるわたしが,
あなたがたの足を洗ったからには,
あなたがたもまた,
互に足を洗い合うべきである。」
イエスは弟子たちに
(ヨハネ13:1)
「愛を残るところなく示された。」
エルサレムで過越し祭の前でのことです。
イエスは
弟子たちの足を洗うことを通して,
自らしもべの姿をとられました。
わたしたちが倣う姿です。
○
互いに愛し合う
(ヨハネ13:34)
「わたしは,
新しいいましめを
あなたがたに与える,
互に愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを
愛したように,
あなたがたも
互に愛し合いなさい。」
イエスが
与えてくださった戒めです。
○
神を信じなさい
(天国・再臨)
(ヨハネ14:1,2)
「あなたがたは,
心を騒がせないがよい。
神を信じ,
またわたしを信じなさい。
わたしの父の家には,
すまいがたくさんある。
もしなかったならば,
わたしは
そう言っておいたであろう。
あなたがたのために,
場所を用意しに
行くのだから。」
イエスが去ることは,
「わたしの父の家」
すなわち,
神と共なる場所を
用意するためです。
そして,イエス・キリストは,
信じる者たちを再び迎えいれます。
その場所とは,天国にある住まいです。
イエス・キリストは天国に上げられ,
再び来ます。
(ヨハネ14:3,4)
「そして,行って,
場所の用意ができたならば,
またきて,
あなたがたを
わたしのところに迎えよう。
わたしのおる所に
あなたがたも
おらせるためである。
わたしがどこへ行くのか,
その道は
あなたがたにわかっている」。
○
道
(ヨハネ14:6)
「イエスは彼に言われた,
『わたしは道であり,
真理であり,命である。
だれでもわたしによらないでは,
父のみもとに
行くことはできない。』」
イエス・キリストご自身が,
道,真理,命です。
イエス・キリストをとおして,
父なる神のところに行けます。
○
真理の霊
(ヨハネ14:16,17)
「わたしは父にお願いしよう。
そうすれば,
父は別に助け主を送って,
いつまでもあなたがたと共に
おらせて下さるであろう。
それは真理の御霊である。
この世はそれを見ようともせず,
知ろうともしないので,
それを受けることができない。
あなたがたはそれを知っている。
なぜなら,
それはあなたがたと共におり,
またあなたがたのうちに
いるからである。」
イエス・キリストを信じるなら,
わたしたちに聖霊が与えられます。
○
ぶどうの木
(ヨハネ15:5)
「わたしはぶどうの木,
あなたがたはその枝である。
もし人が
わたしにつながっており,
またわたしが
その人とつながっておれば,
その人は
実を豊かに結ぶようになる。
わたしから離れては,
あなたがたは
何一つできないからである。」
イエス・キリストを信じると,
イエス・キリストとつながります。
そして,豊かな実を結びます。
豊かに実とは,神の恵みのすべてです。
○
大きな愛
(ヨハネ15:12)
「わたしのいましめは,
これである。
わたしがあなたがたを愛したように,
あなたがたも互に愛し合いなさい。」
イエスの「ぶどうの木」の
譬えの話の中にあります。
イエス・キリストの戒めとは,
「互いに愛し合いなさい」です。
この「互に愛し合う」は,
イエスの十字架の死によって
示された愛です。
イエスは弟子たちを友と呼び,
この弟子のために命を捨てました。
○
イエスの名によって願う
(ヨハネ16:24)
「今までは,
あなたがたはわたしの名によって
求めたことはなかった。
求めなさい,
そうすれば,与えられるであろう。
そして,あなたがたの喜びが
満ちあふれるであろう。」
祈りが,かなえられることの約束です。
○
世に勝つ
(ヨハネ16:33)
「これらのことを
あなたがたに話したのは,
わたしにあって
平安を得るためである。
あなたがたは,
この世ではなやみがある。
しかし,勇気を出しなさい。
わたしはすでに世に勝っている。」
最後の晩餐での話のおわりに,
イエスはもう一度,
父のもとへ去って行くと告げました。
イエス・キリストは,
この後十字架につけられますが,
復活して世に勝つことをあらわします。
○
永遠の命
(ヨハネ17:2)
「あなたは,
子に賜わったすべての者に,
永遠の命を授けさせるため,
万民を支配する権威を
子にお与えになったのですから。」
弟子たちに告別の説教をされたイエスは,
長い祈りをささげられました。
この箇所は,
「大祭司の祈り」と呼ばれています。
○
一つになる
(神がイエスを遣わす)
(ヨハネ17:21)
「父よ,それは,
あなたがわたしのうちにおられ,
わたしがあなたのうちにいるように,
みんなの者が一つとなるためであります。
すなわち,彼らをもわたしたちのうちに
おらせるためであり,
それによって,
あなたがわたしを
おつかわしになったことを,
世が信じるようになるためであります。」
イエス・キリストを信じると,
わたしたちは
イエス・キリストと一つとなります。
○
わたしである。
(ヨハネ18:5,6)
「彼らは
『ナザレのイエスを』と答えた。
イエスは彼らに言われた,
『わたしが,それである』。
イエスを裏切ったユダも,
彼らと一緒に立っていた。
イエスが彼らに
『わたしが,それである』
と言われたとき,
彼らはうしろに
引きさがって地に倒れた。」
イエスが裏切られ,
逮捕されるときの出来事です。
「わたしがそれである」は,
モーセに現われた,
神の言葉からきています。
この言葉に,
イエスを逮捕しようと人々は
後ずさりして倒れました。
(出エジプト3:14)
「神はモーセに言われた,
『わたしは,有って有る者』」。
○
成し遂げられた
(ヨハネ19:30)
「すると,
イエスはそのぶどう酒を受けて,
『すべてが終った』と言われ,
首をたれて息をひきとられた。」
イエスが十字架につけられて,
死ぬ前の言葉です。
「すべてが終わった」のは,
父なる神がイエス・キリストに託した業を
すべて終わらせたのです。
それは,信じる者を救うという業を
終わらせたのです。
イエスは,
罪びとの身代わりの死の業を
成し遂げました。
神の側の業は,
終わりました(完了しました)。
あと,人の側では,
この神を信じるということが必要です。
○
ラボニ
(復活)
(ヨハネ20:16)
「イエスは彼女に
『マリヤよ』と言われた。
マリヤはふり返って,
イエスにむかって
ヘブル語で『ラボニ』と言った。
それは,
先生という意味である。」
マグダラのマリアが,
復活のイエスに会ったときです。
このマリアの喜びは,
信じる者も共に喜ぶものです。
○
イエス,弟子たちにあらわれる
(復活,聖霊)
(ヨハネ20:22,23)
「そう言って,
彼らに息を吹きかけて仰せになった,
『聖霊を受けよ。
あなたがたがゆるす罪は,
だれの罪でもゆるされ,
あなたがたがゆるさずにおく罪は,
そのまま残るであろう。』」
イエス・キリストが復活し,
弟子たちに会い話します。
わたしたちが
イエス・キリストを信じるなら,
聖霊を受けます。
聖霊を受けるなら,
罪が赦されます。
罪の赦しは,
イエス・キリストを信じることが,
土台です。
○
イエスとトマス
(ヨハネ20:28)
「トマスはイエスに答えて言った,
『わが主よ,わが神よ。』」
弟子のトマスが,
復活したイエスに出会ったときの
言葉です。
トマスの信仰は,
わたしたちの信仰です。
○
羊を養う
(ヨハネ21:17,18)
「イエスは三度目に言われた,
『ヨハネの子シモンよ,
わたしを愛するか』。
ペテロは『わたしを愛するか』
とイエスが三度も言われたので,
心をいためてイエスに言った,
『主よ,あなたはすべてをご存じです。
わたしがあなたを愛していることは,
おわかりになっています』。
イエスは彼に言われた,
『わたしの羊を養いなさい。』」
復活したイエスがペテロに会い,
話した言葉です。
2019.7.16