見出し画像

朝の光(聖書の言葉)

ガラテヤ人への手紙  2章2  2023-01-08


神に生きる   (1)


(ガラテヤ2:19,20)

「私は,神に生きるために,
律法によって律法に死にました。
私はキリストとともに
十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく,
キリストが私のうちに
生きておられるのです。
いま私が,この世に生きているのは,
私を愛し私のために
ご自身をお捨てになった
神の御子を信じる
信仰によっているのです。」


イエスを信じたとき,

古い私は死に,

キリストが生きるのです。


新しい人生が始まります。


この言葉は,

パウロの個人的な体験です。


わたしたちが,

イエス・キリストを信じて歩むことは,

わたしたちが主と共に死に,

主の復活と共に生きることです。



この業は聖霊によってなされます。


「私はキリストとともに

十字架につけられました」とは,

古い罪の力に支配された生活に死に,

キリストの復活の命に生かされることです。


パウロは,ローマの手紙では

次のように表現しています。

(ローマ6:6)
「わたしたちは,この事を知っている。
わたしたちの内の古き人は
キリストと共に十字架につけられた。
それは,この罪のからだが滅び,
わたしたちがもはや,
罪の奴隷となることがないためである。」


(ローマ6:11)
「このように,
あなたがた自身も,
罪に対して死んだ者であり,
キリスト・イエスにあって
神に生きている者であることを,
認むべきである。」


イエス・キリスト御自身は,

次のように言います。


(マタイ16:24-26)
「イエスは弟子たちに言われた。
『だれでも
わたしについて来たいと思うなら,
自分を捨て,自分の十字架を負い,
そしてわたしについて来なさい。
いのちを救おうと思う者はそれを失い,
わたしのためにいのちを失う者は,
それを見いだすのです。
人は,たとい全世界を手に入れても,
まことのいのちを損じたら,
何の得がありましょう。
そのいのちを買い戻すのには,
人はいったい
何を差し出せばよいでしょう。』」



パウロが,

イエス・キリストの内にある

恵みを語りますが,

そのためには,

イエス・キリストと共に死に,

共に生きることが必要です。


(1コリント1:30)
「しかしあなたがたは,
神によって
キリスト・イエスのうちにあるのです。
キリストは,私たちにとって,
神の知恵となり,
また,義と聖めと,
贖いとになられました。」






十字架につけられる  (2)

(ガラテヤ2:19,20 新改訳)

「しかし私は,神に生きるために,
律法によって律法に死にました。
私はキリストとともに
十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく,
キリストが私のうちに
生きておられるのです。
いま私が,この世に生きているのは,
私を愛し私のために
ご自身をお捨てになった神の御子を
信じる信仰によっているのです。」



パウロの個人の体験です。

また,イエス・キリストを信じる者の

生き方でもあります。


パウロは律法のもとにある古い命が,

キリストへの信仰に基づいた

新しい命に変わったことを意味します。




「神の子なるイエス」(新聖歌342)


 神の子なるイエス わが心に

 住まわせ給もう 妙なるかな

(折り返し)

 わが内に主は在す

 奇しくも妙なり

 わが内に在す主は

 来るべき王なり




 かくも主は悩み かくも愛し

 主の花嫁と われをなしぬ



 されど幾たびも 主を苦しめ

 畏き御旨 われは裂きぬ



 全て主は赦し 前のごとく

 御胸に抱き 愛し給う



 イエスはわが持てる

 全てなれば

 乏しきことも 弱きもなし


※妙なる=すぐれてすばらしい・天来の美しさ

※奇(くす)しくも=不思議で

※裂きぬ=痛めた







十字架につけられる  (3)


(ガラテヤ2:20)
「生きているのは,
もはや,わたしではない。
キリストが,
わたしのうちに生きておられるのである。
しかし,わたしが
いま肉にあって生きているのは,
わたしを愛し,
わたしのために
ご自身をささげられた神の御子を
信じる信仰によって,
生きているのである。」



イエス・キリストを信じる者は,

イエス・キリストと共に十字架につけられ,

共によみがえるのです。


そして,聖霊に導かれた歩みをします。


ペンテコステに注がれた,

聖霊は信じる者のうちに宿り,

御霊の実を結びます。


1.
(ガラテヤ5:24)
「キリスト・イエスに属する者は,
自分の肉を,その情と欲と共に
十字架につけてしまったのである。」

2.
御霊に生きる
(ガラテヤ5:25)
「もしわたしたちが
御霊によって生きるのなら,
また御霊によって進もうではないか。」

3.
御霊の実
(ガラテヤ5:22,23) 
「御霊の実は,
愛,喜び,平和,
寛容,慈愛,善意,
忠実,柔和,自制であって,」






もはや,わたしではない  (4)

(ガラテヤ2:19,20 口語訳)
「わたしは,神に生きるために,
律法によって律法に死んだ。
わたしはキリストと共に
十字架につけられた。
生きているのは,
もはや,わたしではない。
キリストが,
わたしのうちに生きておられるのである。
しかし,わたしが
いま肉にあって生きているのは,
わたしを愛し,
わたしのためにご自身をささげられた
神の御子を信じる信仰によって,
生きているのである。」


パウロの体験から生じている言葉です。


イエス・キリストを信じる者の実態も

この言葉と同じです。


イエス・キリストとわたしたちが,

チェンジ(交換)しているのです。



♪ 「生くる甲斐もなしと」

(新聖歌111)

1.
いくるかいもなしと一人
さだめたりし者を
死をもとして救いませる
深きイエスの愛よ
十字架!十字架!そこにきみは
つきて死にたまえり
十字架!十字架!そこにわれの
罪もともに死せり

2.
罪をそこにつけし今は
いかで罪に問われん
神にありてつねにきよく
いくる身にしあれば
十字架!十字架!そこにきみは
つきて死にたまえり
十字架!十字架!そこにわれの
罪もともに死せり

3.
きみのみ手に支えられて
道をあゆむわれに
み名をほむる讃え歌の
たゆる時はあらじ
十字架!十字架!そこにきみは
つきて死にたまえり
十字架!十字架!そこにわれの
罪もともに死せり





内なるキリスト (5)

(ガラテヤ2:20) 

「私はキリストとともに
十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく,
キリストが私のうちに
生きておられるのです。
いま私が,この世に生きているのは,
私を愛し私のために
ご自身をお捨てになった
神の御子を信じる
信仰によっているのです。」


「私はキリストとともに

十字架につけられました」とは,

キリストが十字架の上で,

わたしの代表者として死んだのですから,

キリストが死んだとき

わたしも死んだのです。



「キリストが私のうちに生きておられる」とは,

わたしがキリストの支配の下にあることを

示しています。


わたしたちが

イエス・キリストを信じるなら,

わたしたちのこころのうちに

キリストが入り住むのです。


(ローマ5:23-25)
「『義と認められた』と書いてあるのは、
アブラハムのためだけではなく、
わたしたちのためでもあって、
わたしたちの主イエスを死人の中から
よみがえらせたかたを信
じるわたしたちも、
義と認められるのである。
主は、わたしたちの罪過のために
死に渡され、
わたしたちが義とされるために、
よみがえらされたのである。」


(ローマ6:6)
「 私たちの古い人がキリストとともに
十字架につけられたのは,
罪のからだが滅びて,
私たちがもはやこれからは
罪の奴隷でなくなるためであることを,
私たちは知っています。」





♪ (新聖歌342)
「神の子なるイエス 
わが心に
住(す)まわせ給う 
妙(たえ)なるかな
わが内に主は在(い)ます 
奇(くす)しくも妙なる
わが内に在す主は 
来るべき王なり」


(コロサイ1:27)
「神は聖徒たちに,
この奥義が異邦人の間にあって
どのように栄光に富んだものであるかを,
知らせたいと思われたのです。
この奥義とは,
あなたがたの中におられるキリスト,
栄光の望みのことです。」


2023-01-08

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ガラテヤ人への手紙」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事