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朝の光(聖書の言葉)

コリント人への手紙 第1 (3) 7-16章 解説  2017.9.16

コリント人への手紙 第1 (3) 


7-16章 解説 


  

自由人

 

(1コリント7:22,23)


「奴隷も,主にあって召された者は,

主に属する自由人であり,

同じように,自由人も,

召された者は

キリストに属する奴隷だからです。

 あなたがたは,

代価をもって買われたのです。

人間の奴隷となってはいけません。」

 

イエス・キリストを信じる者は,

主に属する自由人

(罪・死・律法・

人への恐れ等から解放された者)

となっています。


そして,イエス・キリストの奴隷

(イエス・キリストに仕えて生きる者)、

として生きます。

 

イエス・キリストご自身の命である

血の代価を払って

買い取られました。


もはや人の奴隷

(身分ではなく霊的に人に支配される者)

になるべきではありません。


人の奴隷から、自由にされ、

神に仕える者にされています。 

 

 

 

唯一の神, わたしたちの存在

 

(1コリント8:6)


「私たちには,

父なる唯一の神がおられるだけで,

すべてのものはこの神から出ており,

私たちもこの神のために

存在しているのです。

また,唯一の主なるイエス・キリストが

おられるだけで,

すべてのものはこの主によって存在し,

私たちもこの主によって

存在するのです。」

 

 

父なる神は,唯一の神であり,

天地を造られた方です。

 

イエス・キリストは父なる神と共に,

天地を造られました。

 

私たちは,

このイエス・キリストにおいて,

存在しているのです。

 

 

 

自由

 

(1コリント9:19)


「私はだれに対しても自由ですが,

より多くの人を獲得するために,

すべての人の奴隷となりました。」


 

(1コリント9:22)

「弱い人々には,弱い者になりました。

弱い人々を獲得するためです。

すべての人に,

すべてのものとなりました。

それは,何とかして,

幾人かでも救うためです。」

 

 

 

 

イエス・キリストに従う

 

(1コリント9:27)


「私は自分のからだを

打ちたたいて従わせます。

それは,私がほかの人に

宣べ伝えておきながら,

自分自身が

失格者になるようなことの

ないためです。」

 

 

主の服従のために

生きることを勧めています。

 

 

 

 

霊的な岩

 

(1コリント10:1-4)


「そこで,兄弟たち。

私はあなたがたにぜひ次のことを

知ってもらいたいのです。

私たちの父祖たちはみな,

雲の下におり,

みな海を通って行きました。

そしてみな,雲と海とで,

モーセにつくバプテスマを受け,

みな同じ御霊の食べ物を食べ,

みな同じ御霊の飲み物を飲みました。

というのは,

彼らについて来た御霊の岩から

飲んだからです。

その岩とはキリストです。」

 

「私たちの先祖」(10:1)とは,

イスラエル民族のことです。

 

私たちは,

新しいイスラエル民族なのです。

 

「雲の下におり」(10:1)の雲は,

主の臨在のしるしです。


旧約聖書の出エジプト記では

次の通りです。


(出エジプト13:21)

「主は彼らの前に行かれ、

昼は雲の柱をもって彼らを導き、

夜は火の柱をもって彼らを照し、

昼も夜も彼らを進み行かせられた。」

 


「彼らについて来た御霊の岩」

(10:4)は,

泉を出したメリバの岩

(出エジプト17:1-7)のことです。

 

神は,

イスラエルの民と旅路を

共にして水を与え続けました。

 

私たちは,

岩なるイエス・キリストを信じ,

内に聖霊を受けて,

生きているのです。

 

 

 

 

試練


(1コリント10:13)


「あなたがたのあった試練は

みな人の知らないようなものでは

ありません。

神は真実な方ですから,

あなたがたを耐えることのできないような

試練に会わせるようなことは

なさいません。

むしろ,耐えることのできるように,

試練とともに,

脱出の道も備えてくださいます。」



 

 

神の栄光をあらわす

 

(1コリント10:23,24)


「すべてのことは,

してもよいのです。

しかし,

すべてのことが有益とはかぎりません。

すべてのことは,してもよいのです。

しかし,

すべてのことが

徳を高めるとはかぎりません。

だれでも,自分の利益を求めないで,

他人の利益を心がけなさい。」


 

(1コリント10:31)


「こういうわけで,

あなたがたは,

食べるにも,飲むにも,

何をするにも,

ただ神の栄光を

現わすためにしなさい。」

 

 

イエス・キリストを信じる者は,

自由にされました。

その自由は徳をたかめるために,

用いるべきだといいます。

 

そして,「他人の利益を心がけなさい」

と言います。

 

まとめるなら,

「何をするにも,

神の栄光をあらわすために」

するべきだとパウロは言います。

 

 


 


 

聖餐式 

 

(1コリント11:23-29) 


「私は主から受けたことを,

あなたがたに伝えたのです。

すなわち,主イエスは,

渡される夜,パンを取り,

感謝をささげて後,

それを裂き,こう言われました。

『これはあなたがたのための,

わたしのからだです。

わたしを覚えて,

これを行いなさい。』

夕食の後,

杯をも同じようにして言われました。

『この杯は,

わたしの血による新しい契約です。

これを飲むたびに,

わたしを覚えて,

これを行いなさい。』

ですから,

あなたがたは,このパンを食べ,

この杯を飲むたびに,

主が来られるまで,

主の死を告げ知らせるのです。」

  

聖餐式(主の晩餐)の制定を

書いています。

 

イエスの最後の晩餐を受けたものです。


イエス・キリストは

つぎのように言っています。

 

(マタイ26:26-29)


「彼らが食事をしているとき,

イエスはパンを取り,

祝福して後,

これを裂き,

弟子たちに与えて言われた。

『取って食べなさい。

これはわたしのからだです。』

 また杯を取り,感謝をささげて後,

こう言って彼らにお与えになった。

『みな,この杯から飲みなさい。

 これは,わたしの契約の血です。

罪を赦すために

多くの人のために流されるものです。

 ただ,言っておきます。

わたしの父の御国で,

あなたがたと新しく飲むその日までは,

わたしはもはや,

ぶどうの実で造った物を

飲むことはありません。』

 

 

聖霊の賜物 


(1コリント12:8-10)


「ある人には御霊によって

知恵のことばが与えられ,

ほかの人には同じ御霊にかなう

知識のことばが与えられ,

またある人には同じ御霊による

信仰が与えられ,

ある人には同一の御霊によって,

いやしの賜物が与えられ,

ある人には奇蹟を行なう力,

ある人には預言,

ある人には霊を見分ける力,

ある人には異言,

ある人には異言を解き明かす力が

与えられています。」

 

 

イエス・キリストを信じる者には,

愛を中心とした

御霊(聖霊)の実が与えられます。

 

そして,神のために働くために

御霊の賜物が与えられています。

 

「御霊の賜物」(12:4)とは,

イエス・キリストを信じる者が

教会での奉仕のために

聖霊によって受けたものです。

 

 イエス・キリストを信じる者には,

愛を中心とした御霊の実が

与えられると共に

神のために働くために

御霊の賜物が与えられています。

 

 

 

愛 - 最高の道

 

(1コリント12:31b)


「あなたがたは,

よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。

また私は,

さらにまさる道を示してあげましょう。」

 

パウロは12章で,

霊の賜物について述べました。


そして,その賜物を生かす道は,

愛であるといいます。

 

愛は聖霊の実でもあります。


(ガラテヤ5:22,23)

「御霊の実は,愛,喜び,平安,

寛容,親切,善意,

誠実, 柔和,自制です。

このようなものを禁ずる律法は

ありません。」

 

 

 

 

愛 

 

(1コリント13:4-8)


「愛は寛容であり,愛は親切です。

また人をねたみません。

愛は自慢せず,高慢になりません。

礼儀に反することをせず,

自分の利益を求めず,

怒らず,人のした悪を思わず,

不正を喜ばずに真理を喜びます。

すべてをがまんし,すべてを信じ,

すべてを期待し,すべてを耐え忍びます。

愛は決して絶えることがありません。」

 

愛はギリシャ語ではアガペーです。


13章は「愛の章」と呼ばれています。


ここでは,愛の不滅性を示しています。


ここでの愛(アガペー)は神の愛です。


そして,キリスト者が,

他者に自分を与える愛です。

 

 

 

 

御霊の賜物

 

(1コリント14:12)


「あなたがたの場合も同様です。

あなたがたは御霊の賜物を

熱心に求めているのですから,

教会の徳を高めるために,

それが豊かに与えられるよう,

熱心に求めなさい。」

 

コリントの教会は,

問題が多かったのですが,

聖霊は働いていました。

 

パウロは,教会を作り上げるために,

霊の賜物を

求めるように言います。 

 

 

 

祈りと預言について

 

(1コリント14:15)


「ではどうすればよいのでしょう。

私は霊において祈り,

また知性においても祈りましょう。

霊において賛美し,

また知性においても賛美しましょう。」

 

(1コリント14:31)

「あなたがたは,

みながかわるがわる

預言できるのであって,

すべての人が学ぶことができ,

すべての人が勧めを

受けることができるのです。」

 

聖霊の賜物である,

異言での祈りと,

預言について宣べています。

 

聖霊の賜物は,教会の中で,

人の徳を高め,

神の栄光を現すために用いるべきです。

 

 

 

 



最もたいせつなこと

 

(1コリント15:3-5)


「私があなたがたに

最もたいせつなこととして伝えたのは,

私も受けたことであって,

次のことです。

キリストは,聖書の示すとおりに,

私たちの罪のために死なれたこと,

また,葬られたこと,

また,聖書の示すとおりに,

三日目によみがえられたこと,

また,ケパに現れ,

それから十二弟子に現れたことです。

その後,キリストは五百人以上の

兄弟たちに同時に現れました。

その中の大多数の者は

今なお生き残っていますが,

すでに眠った者もいくらかいます。」

 

 

(1コリント15:1)


「兄弟たち。

私は今,

あなたがたに福音を知らせましょう。

これは,

私があなたがたに宣べ伝えたもので,

あなたがたが受け入れ,

また,

それによって立っている福音です。」

 

ここでの福音(15:1)とは,

イエス・キリストが

十字架に架かり復活したことであり,

わたしたちが罪と死に打ち勝つためであった

という良い知らせのことです。

 

このパウロが

最も大切なこととして伝えたことは,

イエス・キリストの

十字架と復活でありました。

 

十字架と復活は,

聖書の中の最も大切なことであり,

わたしたちの信仰の

最も大切なことでもあります。

 

 

イエス・キリスト次のように

弟子に話していたことは,

そのまま実現しました。


 

(マタイ16:21)


「その時から,

イエス・キリストは,

ご自分がエルサレムに行って,

長老,祭司長,律法学者たちから

多くの苦しみを受け,殺され,

そして三日目によみがえらなければ

ならないことを弟子たちに

示し始められた。」

 

 

 

再臨のときの復活

 

(1コリント15:20-23)


「しかし,今やキリストは,

眠った者の初穂として

死者の中からよみがえられました。

というのは,

死がひとりの人を通して来たように,

死者の復活もひとりの人を

通して来たからです。

すなわち,

アダムにあって

すべての人が死んでいるように,

キリストによって

すべての人が生かされるからです。

しかし,

おのおのにその順番があります。

まず初穂であるキリスト,

次にキリストの再臨のとき

リストに属している者です。」

 

キリストは復活の第一の人です。


 次に,イエス・キリストを

信じる者の復活があります。

 

終末のとき,

イエス・キリストを信じる者は,

復活が希望となります。

 

 

再臨

 

(1コリント15:51,52)


「聞きなさい。

私はあなたがたに

奥義を告げましょう。

私たちはみな,

眠ることになるのではなく

変えられるのです。

終わりのラッパとともに,

たちまち,一瞬のうちにです。

ラッパが鳴ると,

死者は朽ちないものによみがえり,

私たちは変えられるのです。」

 

イエス・キリストを信じる者は,

再臨のとき,死んでいた者は復活し,

 生きている者も変えられるといいます。

 

 再臨について,

イエス・キリストは生きているとき

次のように話しています。

 

(マタイ24:31)


「人の子は大きなラッパの響きとともに,

御使いたちを遣わします。

すると御使いたちは,

天の果てから果てまで,

四方からその選びの民を集めます。」

 

 

 

 

復活の体

 

(Ⅰコリント15:49)

「私たちは土で造られた者の

かたちを持っていたように,

天上のかたちをも持つのです。」

 

わたしたちは,

イエス・キリストがもう一度来られるとき,

新しい体を受け取ります。

 

その体は「天上のかたち」だといいます。

 

 

(1コリント15:42-49)


「死者の復活もこれと同じです。

朽ちるもので蒔かれ,

朽ちないものによみがえらされ,

卑しいもので蒔かれ,

栄光あるものによみがえらされ,

弱いもので蒔かれ,

強いものによみがえらされ,

血肉のからだで蒔かれ,

御霊に属するからだに

よみがえらされるのです。

血肉のからだがあるのですから,

御霊のからだもあるのです。

聖書に

『最初の人アダムは生きた者となった』

と書いてありますが,

最後のアダムは,

生かす御霊となりました。

最初にあったのは血肉のものであり,

御霊のものではありません。

御霊のものはあとに来るのです。

第一の人は地から出て,

土で造られた者ですが,

第二の人は天から出た者です。

土で造られた者はみな,

この土で造られた者に似ており,

天からの者はみな,

この天から出た者に似ているのです。

私たちは土で造られた者の

かたちを持っていたように,

天上のかたちをも持つのです。」

 

 

 

 

「死は勝利にのまれました」

 

(1コリント15:54)


「朽ちるものが朽ちないものを着,

死ぬものが不死を着るとき,

『死は勝利にのまれた』

としるされている,

みことばが実現します。」

 

死の解決は,

イエス・キリストを信じたときです。


わたしたちのからだの,

完全な救いは,再臨のときです。


再臨のときに,

わたしたちが変えられることにより

与えられます。

 

 

「球根の中には」

(讃美歌21 575)


1 

球根の中には 花が秘められ,

さなぎの中から いのちはばたく。

さむ ふゅ なか はる

寒い冬の中 春はめざめる。

その日,その時を ただ神が知る。


2 

沈黙はやがて 歌に変えられ,

深い闇の中 夜明け近づく。

過ぎ去った時が 未来を拓く。

その日,その時を ただ神が知る。


3 

いのちの終わりは いのちの始め。

おそれは信仰に,死は復活に,

ついに変えられる 永遠の朝。

その日,その時を ただ神が知る。

 

 ○

 

主に結ばれる

 

(1コリント15:58)


「わたしの愛する兄弟たち,

こういうわけですから、

動かされないようにしっかり立ち、

主の業に常に励みなさい。

主に結ばれているならば

自分たちの苦労が

決して無駄にならないことを、

あなたがたは知っているはずです。」

 

わたしたちが主に結ばれるということは,

素晴らしいことです。

 

 

マラナ・タ  (主よ,来てください)

 

(1コリント16:22-24)


「主を愛さない者は,

神から見捨てられるがいい。

マラナ・タ(主よ,来てください)。

主イエスの恵みが,

あなたがたと共にあるように。

わたしの愛が,

キリスト・イエスにおいて

あなたがた一同と共にあるように。」

 

パウロは,

手紙の最後に

「主よ,来てください」と叫び,

祈っています。

 

 

 

 

 

 

2017.9.16 台風接近の日


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