コリント人への手紙 第1 (2) 解説 2019.7.26
12章ー15章
○
聖霊の賜物
(1コリント12:7―11)
「みなの益となるために,
おのおのに御霊の現われが
与えられているのです。
ある人には御霊によって
知恵のことばが与えられ,
ほかの人には同じ御霊にかなう
知識のことばが与えられ,
またある人には
同じ御霊による信仰が与えられ,
ある人には同一の御霊によって,
いやしの賜物が与えられ,
ある人には奇蹟を行なう力,
ある人には預言,
ある人には霊を見分ける力,
ある人には異言,
ある人には異言を
解き明かす力が与えられています。
しかし,同一の御霊が
これらすべてのことを
なさるのであって,
みこころのままに,
おのおのにそれぞれの賜物を
分け与えてくださるのです。」
聖霊は私たちに
「御霊の賜物」を与えてくださいます。
御霊の賜物は,神の働きの時,
教会で用いられます。
○
愛 - 最高の道
(1コリント12:31b)
「あなたがたは,
よりすぐれた賜物を熱心に求めなさい。
また私は,
さらにまさる道を
示してあげましょう。」
愛は神の霊が私たちに与えてくださる
御霊の実です。
(1コリント13:4-8a)
「愛は寛容であり,
愛は親切です。
また人をねたみません。
愛は自慢せず,
高慢になりません。
礼儀に反することをせず,
自分の利益を求めず,
怒らず,人のした悪を思わず,
不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし,
すべてを信じ,
すべてを期待し,
すべてを耐え忍びます。
愛は決して絶えることが
ありません。」
パウロは12章で,
霊の賜物について述べました。
そして,
その賜物を生かす道は,愛です。
(12:31b)
次に,愛の性質を述べます。
(13:4)
パウロは,信仰,希望,愛がいつまでも残るといいます。
そして,その中で最も大きなものが愛だと言うのです。
(13:13)
愛は聖霊の実であるといいます。
(ガラテヤ5:22,23)
「しかし,御霊の実は,
愛,喜び,平安,
寛容,親切,善意,
誠実, 柔和,自制です。
このようなものを
禁ずる律法はありません。」
○
いつまでも残るもの
(1コリント13:13)
「こういうわけで,
いつまでも残るものは
信仰と希望と愛です。
その中で一番すぐれているのは
愛です。」
コリントの教会に
問題が色々生じました。
パウロは,手紙を送りました。
コリントの問題の原因は,
自分さえ良ければよいというものです。
コリントに信仰の基本と,
互いに愛し合うことを教えます。
○
御霊の実
(1コリント13:4-6)
「愛は寛容であり,
愛は親切です。
また人をねたみません。
愛は自慢せず,
高慢になりません。
礼儀に反することをせず,
自分の利益を求めず,
怒らず,人のした悪を思わず,
不正を喜ばずに真理を喜びます。」
神の与えてくださる愛は,
御霊の実の一つです。
(1コリント13:13)
「こういうわけで,
いつまでも残るものは
信仰と希望と愛です。
その中で一番すぐれているのは
愛です。」
○
愛
(1コリント13:4-8)
「愛は寛容であり,愛は親切です。
また人をねたみません。
愛は自慢せず,高慢になりません。
礼儀に反することをせず,
自分の利益を求めず,
怒らず,人のした悪を思わず,
不正を喜ばずに真理を喜びます。
すべてをがまんし,
すべてを信じ,
すべてを期待し,
すべてを耐え忍びます。
愛は決して絶えることがありません。
預言の賜物ならばすたれます。
異言ならばやみます。
知識ならばすたれます。」
愛はギリシャ語ではアガペーです。
いつまでも残るもの
(1コリント13:13)
「こういうわけで,
いつまでも残るものは
信仰と希望と愛です。
その中で一番すぐれているのは
愛です。」
○
預言の賜物
(1コリント14:24,25)
「もしみなが預言をするなら,
信者でない者や初心の者が
入って来たとき,
その人はみなの者によって
罪を示されます。
みなにさばかれ,
心の秘密があらわにされます。
そうして,
神が確かに
あなたがたの中におられると言って,
ひれ伏して神を拝むでしょう。」
○
復活
(1コリント15:3-6)
「私があなたがたに
最もたいせつなこととして伝えたのは,
私も受けたことであって,
次のことです。
キリストは,
聖書の示すとおりに,
私たちの罪のために死なれたこと,
また,葬られたこと,
また,聖書の示すとおりに,
三日目によみがえられたこと,
また,ケパに現れ,
それから十二弟子に現れたことです。
その後,
キリストは五百人以上の
兄弟たちに同時に現れました。
その中の大多数の者は
今なお生き残っていますが,
すでに眠った者もいくらかいます。」
パウロが,最も大切にしたことは,
十字架と復活でした。
パウロは,
イエス・キリストの十字架の死と復活を
信仰の中心におきました。
○
キリストの復活
(1コリント15:17)
「もしキリストが
よみがえらなかったのなら,
あなたがたの信仰はむなしく,
あなたがたは今もなお,
自分の罪の中にいるのです。」
(1コリント15:12-19)
「キリストは死者の中から復活された,
と宣べ伝えられているのなら,
どうして,あなたがたの中に,
死者の復活はない,
と言っている人がいるのですか。
もし,死者の復活がないのなら,
キリストも復活されなかったでしょう。
そして,
キリストが復活されなかったのなら,
私たちの宣教は実質のないものになり,
あなたがたの信仰も
実質のないものになるのです。
それどころか,
私たちは神について
偽証をした者ということになります。
なぜなら,もしもかりに,
死者の復活はないとしたら,
神はキリストを
よみがえらせなかったはずですが,
私たちは
神がキリストをよみがえらせた,
と言って
神に逆らう証言をしたからです。
もし,死者がよみがえらないのなら,
キリストも
よみがえらなかったでしょう。
そして,
もしキリストが
よみがえらなかったのなら,
あなたがたの信仰はむなしく,
あなたがたは今もなお,
自分の罪の中にいるのです。
そうだったら,
キリストにあって眠った者たちは,
滅んでしまったのです。
もし,私たちがこの世にあって
キリストに単なる
希望を置いているだけなら,
私たちは,
すべての人の中で一番哀れな者です。」
○
再臨のときの復活
(1コリント15:20-23)
「今やキリストは,
眠った者の初穂として
死者の中からよみがえられました。
というのは,
死がひとりの人を通して来たように,
死者の復活も
ひとりの人を通して来たからです。
すなわち,
アダムにあってすべての人が
死んでいるように,
キリストによって
すべての人が生かされるからです。
しかし,
おのおのにその順番があります。
まず初穂であるキリスト,
次にキリストの再臨のとき
キリストに属している者です。」
「初穂」とは,
キリストの復活が
キリスト者の復活の原型であり,
キリスト者の復活の原型であることを
現しています。
○
復活の体
(1コリント15:49)
「私たちは土で造られた者の
かたちを持っていたように,
天上のかたちをも持つのです。」
イエス・キリストを
信じるわたしたちは,
主が再臨のとき
新しい体を受けることが出来ます。
パウロは,
このところではっきりと
その体はどのようなものか,
述べています。
復活の体は「天上の体」だといいます。
☆彡
(1コリント15:42-49)
「死者の復活もこれと同じです。
朽ちるもので蒔かれ,
朽ちないものによみがえらされ,
卑しいもので蒔かれ,
栄光あるものによみがえらされ,
弱いもので蒔かれ,
強いものによみがえらされ,
血肉のからだで蒔かれ,
御霊に属するからだに
よみがえらされるのです。
血肉のからだがあるのですから,
御霊のからだもあるのです。
聖書に
『最初の人アダムは生きた者となった』
と書いてありますが,
最後のアダムは,
生かす御霊となりました。
最初にあったのは血肉のものであり,
御霊のものではありません。
御霊のものはあとに来るのです。
第一の人は地から出て,
土で造られた者ですが,
第二の人は天から出た者です。
土で造られた者はみな,
この土で造られた者に似ており,
天からの者はみな,
この天から出た者に似ているのです。
私たちは土で造られた者の
かたちを持っていたように,
天上のかたちをも持つのです。」
○
再臨
(Ⅰコリント15:50)
「兄弟たちよ。
私はこのことを言っておきます。
血肉のからだは
神の国を相続できません。
朽ちるものは,
朽ちないものを相続できません。」
○
終わりのラッパ
(1コリント15:52)
「終わりのラッパとともに,
たちまち,一瞬のうちにです。
ラッパが鳴ると,
死者は朽ちないものによみがえり,
私たちは変えられるのです。」
(マタイ24:31口語訳)
「また,
彼は大いなるラッパの音と共に
御使たちをつかわして,
天のはてからはてに至るまで,
四方からその選民を
呼び集めるであろう。」
○
「死は勝利にのまれました」
(1コリント15:54)
「朽ちるものが朽ちないものを着,
死ぬものが不死を着るとき,
『死は勝利にのまれた』
としるされている,
みことばが実現します。
『死よ。
おまえの勝利はどこにあるのか。
死よ。
おまえのとげはどこにあるのか。』
死のとげは罪であり,
罪の力は律法です。
しかし,
神に感謝すべきです。
神は,
私たちの主イエス・キリストによって,
私たちに勝利を
与えてくださいました。」
死の最終的な解決は,
イエス・キリストを信じたときですが。
再臨の時に,
わたしたちが変えられることにより
与えられます。
○
「主よ,来てください。」
(1コリント16:22b-24)
「主よ,来てください。
主イエスの恵みが,
あなたがたとともにありますように。
私の愛は,キリスト・イエスにあって,
あなたがたすべての者とともに
あります。
アーメン。」
パウロのこの手紙の言葉です。
「祝祷」と呼ばれます。