朝の光(聖書の言葉)

川久保賜紀

今晩,BSで「バイオリンの聖地 クレモナへ」

という番組をしていました。

再放送で,見るのは2度目です。

楽器の演奏者の気持ち,バイオリン製作者の気持ちが良くわかり楽しい番組でした。

製作者がバイオリニストに弾いてもらう感激は良くわかります。

楽器製作に生涯をかけても,一流の演奏家に弾いてもらえない。

寂しいものがあったでしょう。

川久保も楽器を捜しています。

楽器がないと,自分の思う演奏が出来ないのです。

わたしたちは,人に助けてもらわなければ決して前に進まないことがあります。

川久保はトリオでCDを出していますが,

きっと,トリオに光りを見出したのでしょう。


わたしたちも,助けてが必要です。

また,助けることによって,生きることが出来るのです。

(2009.12.30)


番組のおわりごろに,川久保がバッハのシャコンヌを弾いていました。

この曲は,不思議な曲です。

この曲には歌詞がないですから,何を表現したかったのかすぐにはわかりません。

数年前,わたしはストラディバリで演じる,

天満敦子の演奏を聞いたことがあります。

すばらしい演奏でした。

バッハは何を表現したかったか,わかりませんが,

天地の創造から終末までの歴史を感じました。

その中で,今生きていることを実感しました。

音楽は,曲(作曲者)と楽器と演奏者と聞く者と作っていくものかもしれませんが,



この曲は長い間,疑問でした,なにかを表現しているだろうとはわかりました,

しかし,何かわかりませんでした。

幾何学的な,神の摂理のように感じることもありました。

このとき,バッハの器楽曲の表現しているものがわかりかけました。

音楽は,言葉で表現できないものがあるようです。

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