キャサリン・ジェンキン
CD「プルミエール」を聴いています。
透き通っているが,主張があります。
神を讃える声です。
聴くもののこころに,邪魔にならない音楽です。
疲れたとき,邪魔にならない音楽はいいものです。
(ルカ24:28-31)
(エマオの途上 復活のイエスに弟子が会う)
「彼らは目的の村に近づいたが,
イエスはまだ先へ行きそうなご様子であった。
それで,彼らが,
『いっしょにお泊まりください。
そろそろ夕刻になりますし,
日もおおかた傾きましたから。』
と言って無理に願ったので,
イエスは彼らといっしょに泊まるために
中にはいられた。
彼らとともに食卓に着かれると,
イエスはパンを取って祝福し,
裂いて彼らに渡された。
それで,彼らの目が開かれ,
イエスだとわかった。
するとイエスは,
彼らには見えなくなった。」
不思議な記事である。
イエスは,
なぜ「なおも先へ行こうとされた」のでしょうか。
イエスは,
人に無理強いをしないで
待っていることがあるようです。
キリスト教がカルトでないことの出発点が,
ここにあるようだ。
2009.1.11