イザヤ書 預言書
○
イザヤ書は,預言者イザヤが著者です。
(イザヤ1:1)
紀元前701−681年の間に
書かれたと言われています。
「イザヤ」という名前は,
「ヤーウエ(神)は救い主」という意味です。
イザヤは,
ウジヤ王の死んだ年(前742年ごろ)に
召命を受けています。(イザヤ6:1)
預言者イザヤが預言するようにと
遣わされたのは主にユダ王国でした。
イザヤは,ヨタム,アハズ,ヒゼキヤ,
マナセ時代までの約50年ものあいだ,
預言者として活動しています。
南王国ユダはリバイバルの時も
反抗の時も経験していて,
アッシリヤとエジプトの侵略の
危険にさらされながらも,
神のあわれみによって救われました。
イザヤは罪の悔い改めと,
後に来る神の救いのメッセージを語りました。
イザヤ書は,
キリストの生涯を預言していることから,
「第5福音書」と呼ばれることがあります。
☆
イザヤは北王国イスラエルが
アッシリヤにほろぼされたとき
南王国のユダで活躍しています。
○
イザヤの預言者としての召命
(イザヤ6:1−3)
「ウジヤ王が死んだ年に,
私は,高くあげられた王座に
座しておられる主を見た。
そのすそは神殿に満ち,
セラフィムがその上に立っていた。
彼らはそれぞれ六つの翼があり,
おのおのその二つで顔をおおい,
二つで両足をおおい,二つで飛んでおり,
互いに呼びかわして言っていた。
『聖なる,聖なる,聖なる,万軍の主。
その栄光は全地に満つ。』」
ウジヤ王が死んだ年は,前740年です。
北王国イスラエルの腐敗が
南王国ユダに激しく浸透しているとき,
イザヤは危機感を覚えました。
そのとき,イザヤに神の幻が示されました。
「万軍の主」とは,
天地万物を統轄している神に対する呼称です。
新約聖書のヨハネの福音書には,
次のように書かれています。
(ヨハネ12:41)
「イザヤがこう言ったのは,
イザヤがイエスの栄光を見たからで,
イエスをさして言ったのである。」
イザヤがイエスの栄光を見たからで,
イエスをさして言ったのである。」
○
処女受胎
(イザヤ7:14)
「それゆえ,主みずから,
あなたがたに一つのしるしを与えられる。
見よ。
処女がみごもっている。
そして男の子を産み,
その名を『インマヌエル』と名づける。」
ユダの王ウジヤの甥アハズ王の時代に,
シリヤと北王国イスラエルが脅かしたとき,
アハズ王とユダの民に
イザヤを通して告げられました。
処女がみごもるという奇跡を,
ユダの国民に与えると預言です。
この奇跡は,
新約聖書のイエスの降誕に
よって成就します。
(マタイ1:23)
「見よ,処女がみごもっている。
そして男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
(訳すと,神は私たちとともにおられる,
という意味である。)
そして男の子を産む。
その名はインマヌエルと呼ばれる。」
(訳すと,神は私たちとともにおられる,
という意味である。)
○
ガリラヤの光栄
(イザヤ9:1b,2)
「しかし,苦しみのあった所に,
やみがなくなる。
先にはゼブルンの地とナフタリの地は,
はずかしめを受けたが,
後には海沿いの道,
ヨルダン川のかなた,
異邦人のガリラヤは光栄を受けた。
やみの中を歩んでいた民は,
大きな光を見た。
死の陰の地に住んでいた者たちの上に
光が照った。」
やみがなくなる。
先にはゼブルンの地とナフタリの地は,
はずかしめを受けたが,
後には海沿いの道,
ヨルダン川のかなた,
異邦人のガリラヤは光栄を受けた。
やみの中を歩んでいた民は,
大きな光を見た。
死の陰の地に住んでいた者たちの上に
光が照った。」
イエス・キリストは,
ガリラヤ湖畔で生涯の大半を過ごしました。
「輝け主の栄光」(ワーシップ)
「愛の光り 輝き 暗闇を照らし出す
わが主イエス 世の光り
自由を与える力 いのちのみことば
輝け 主の栄光 地の上に
心を 燃やしたまえ」
わが主イエス 世の光り
自由を与える力 いのちのみことば
輝け 主の栄光 地の上に
心を 燃やしたまえ」
○
王なるメシヤ(キリスト)
(イザヤ9:6,7)
「ひとりのみどりごが,
私たちのために生まれる。
ひとりの男の子が,
私たちに与えられる。
主権はその肩にあり,
その名は
『不思議な助言者,力ある神,
永遠の父,平和の君』
と呼ばれる。
その主権は増し加わり,
その平和は限りなく,
ダビデの王座に着いて,
その王国を治め,
さばきと正義によってこれを堅く立て,
これをささえる。
今より,とこしえまで。
万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」
私たちのために生まれる。
ひとりの男の子が,
私たちに与えられる。
主権はその肩にあり,
その名は
『不思議な助言者,力ある神,
永遠の父,平和の君』
と呼ばれる。
その主権は増し加わり,
その平和は限りなく,
ダビデの王座に着いて,
その王国を治め,
さばきと正義によってこれを堅く立て,
これをささえる。
今より,とこしえまで。
万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。」
ダビデの王座に就く
メシヤ(キリスト)を預言します。
ダビデの子孫イエスにおいて
これが成就します。
イエスが勝利者で統治者である王,
そして平和の君として来られます。
それは,再臨のイエス・キリストの姿です。
○
主を待ち望む者
(イザヤ40:31 口語訳)
「主を待ち望む者は新たなる力を得,
わしのように翼をはって,
のぼることができる。
走っても疲れることなく,
歩いても弱ることはない。」
わしのように翼をはって,
のぼることができる。
走っても疲れることなく,
歩いても弱ることはない。」
イスラエルの神は永遠の神であり,
創造主であり,力ある全知全能のお方です。
その神に信頼する者には
新しい力が与えられ,
元気に満ちあふれるという約束が
明言されています。
☆彡
(イザヤ40:28−31)
「あなたは知らないのか,
聞いたことはないのか。
主は,とこしえにいます神,
地の果てに及ぶすべてのものの造り主。
倦むことなく,疲れることなく,
その英知は究めがたい。
疲れた者に力を与え,
勢いを失っている者に
聞いたことはないのか。
主は,とこしえにいます神,
地の果てに及ぶすべてのものの造り主。
倦むことなく,疲れることなく,
その英知は究めがたい。
疲れた者に力を与え,
勢いを失っている者に
大きな力を与えられる。
若者も倦み,疲れ,
若者も倦み,疲れ,
勇士もつまずき倒れようが
主に望みをおく人は新たな力を得,
鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく,
歩いても疲れない。」
主に望みをおく人は新たな力を得,
鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく,
歩いても疲れない。」
○
わたしはあなたを愛している
(イザヤ書43:4)
「わたしの目には,
あなたは高価で尊い。
わたしはあなたを愛している。」
神の造られた民もこの民族は
不従順であった。
この民の罪と苦難をとおして,
神が働き,
ご自身が神であることを,
全世界に示します。
わたしたちにとっては,
イエス・キリストの十字架の業によって,
私たちの罪を赦してくださいます。
十字架は,神の私たちの愛の現れです。
○
受難の僕
(イザヤ53:3−5)
「彼はさげすまれ,
人々からのけ者にされ,
悲しみの人で病を知っていた。
人が顔をそむけるほどさげすまれ,
私たちも彼を尊ばなかった。
まことに,彼は私たちの病を負い,
私たちの痛みをになった。
だが,私たちは思った。
彼は罰せられ,神に打たれ,
苦しめられたのだと。
しかし,彼は,
私たちのそむきの罪のために刺し通され,
私たちの咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし,
彼の打ち傷によって,
私たちはいやされた。」
人々からのけ者にされ,
悲しみの人で病を知っていた。
人が顔をそむけるほどさげすまれ,
私たちも彼を尊ばなかった。
まことに,彼は私たちの病を負い,
私たちの痛みをになった。
だが,私たちは思った。
彼は罰せられ,神に打たれ,
苦しめられたのだと。
しかし,彼は,
私たちのそむきの罪のために刺し通され,
私たちの咎のために砕かれた。
彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし,
彼の打ち傷によって,
私たちはいやされた。」
この預言は,
イエスの受難と十字架の死によって
成就しました。
イエスの弟子のペテロは
次のように言います。
(1ペテロ2:21−24)
「あなたがたが召されたのはこのためです。
というのは,
キリストもあなたがたのために
というのは,
キリストもあなたがたのために
苦しみを受け,
その足跡に続くようにと,
模範を残されたからです。
『この方は,罪を犯したことがなく,
その口には偽りがなかった。』
ののしられてもののしり返さず,
苦しめられても人を脅さず,
正しくお裁きになる方に
その足跡に続くようにと,
模範を残されたからです。
『この方は,罪を犯したことがなく,
その口には偽りがなかった。』
ののしられてもののしり返さず,
苦しめられても人を脅さず,
正しくお裁きになる方に
お任せになりました。
そして,十字架にかかって,
自らその身にわたしたちの罪を
そして,十字架にかかって,
自らその身にわたしたちの罪を
担ってくださいました。
わたしたちが,罪に対して死んで,
義によって生きるようになるためです。
そのお受けになった傷によって,
あなたがたはいやされました。」
わたしたちが,罪に対して死んで,
義によって生きるようになるためです。
そのお受けになった傷によって,
あなたがたはいやされました。」
○
捕囚からの解放
(イザヤ61:1,2b)
「神である主の霊が,
わたしの上にある。
主はわたしに油をそそぎ,
貧しい者に良い知らせを伝え,
心の傷ついた者をいやすために,
わたしを遣わされた。
捕らわれ人には解放を,
囚人には釈放を告げ,
主の恵みの年と,
われわれの神の復讐の日を告げ,」
わたしの上にある。
主はわたしに油をそそぎ,
貧しい者に良い知らせを伝え,
心の傷ついた者をいやすために,
わたしを遣わされた。
捕らわれ人には解放を,
囚人には釈放を告げ,
主の恵みの年と,
われわれの神の復讐の日を告げ,」
「主はわたしに油を注ぎ捕らわれた人には
解放を囚人には釈放を」の言葉は,
「主は油を注がれた者クロス」
(イザヤ45:1)に仰せられ,
バビロンからの解放を
直接的には指しています。
イエス・キリストはナザレの会堂で,
このイザヤ書(61:1,2b)
を読みます。
そして,
「きょう,聖書のみことばが,
あなたがたが聞いたとおり実現しました」
と語り,
ご自身が
主の油そそがれた者であると宣言します。
(ルカ4:18,19)
「わたしの上に主の御霊がおられる。
主が,貧しい人々に福音を伝えるようにと,
わたしに油をそそがれたのだから。
主はわたしを遣わされた。
捕らわれ人には赦免を,
盲人には目の開かれることを告げるために。
しいたげられている人々を自由にし,
主の恵みの年を告げ知らせるために。」
主が,貧しい人々に福音を伝えるようにと,
わたしに油をそそがれたのだから。
主はわたしを遣わされた。
捕らわれ人には赦免を,
盲人には目の開かれることを告げるために。
しいたげられている人々を自由にし,
主の恵みの年を告げ知らせるために。」
○
新天新地
(イザヤ65:25)
「『狼と子羊は共に草をはみ,
獅子は牛のように,わらを食い,
蛇は,ちりをその食べ物とし,
わたしの聖なる山のどこにおいても,
これらは害を加えず,そこなわない』
と主は仰せられる。」
獅子は牛のように,わらを食い,
蛇は,ちりをその食べ物とし,
わたしの聖なる山のどこにおいても,
これらは害を加えず,そこなわない』
と主は仰せられる。」
神の国の到来の預言です。
究極には,
キリストの再臨の時に来る,
新天新地の預言です。
ペテロも次のように預言しています。
(2ペテロ3:13)
「私たちは,神の約束に従って,
正義の住む新しい天と新しい地を
正義の住む新しい天と新しい地を
待ち望んでいます。」
2017.2.6
2022-08-31 改定