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朝の光(聖書の言葉)

7. 喜び (喜びあふれて)

7. 喜び  (顕現節主日)

マタイ2:1-12  

(占星術の学者たちが訪れる)


「学者たちはその星を見て

喜びにあふれた。

家に入ってみると,

幼子は母マリアと共におられた。

彼らはひれ伏して幼子を拝み,

宝の箱を開けて,

黄金,乳香,没薬を贈り物として献げた。」

(マタイ2:11)





(マタイ2:1-12)

(占星術の学者たちが訪れる)


1.

(マタイ2:1-9)
 
東の方からやってきた

占星術の学者たちの言葉によって,

エルサレムの人々や王は,

不安に陥(おちい)りました。


それは,これらの学者たちが,

ユダヤ人の王として

生まれた方を尋ねてきたからです。


エルサレムにいるユダヤ人たちは,

まだユダヤ人の王の誕生を

知りませんでした。


エルサレムの人々は

自分たちが知らないのに,

外国の学者たちが知っているので,

不安に陥いりました。


一方,

ユダヤ人たちを支配していたヘロデ王は,

自分の王としての地位が脅かされると考えて,

不安に陥りました。             


星占術の学者たちは,

ユダヤの東の方バビロンに残っていた

ユダヤ人たちから

聖書を手に入れていたと思われます。


キリスト(メシヤ)すなわち救い主として

ユダヤ人の王が生まれ,

その生まれる時のしるしを星が

知らせることを知っていたのでしょう。


民数記には,次のように書いてあります。


「わたしには彼が見える。

しかし,今はいない。

彼を仰いでいる。

しかし,間近にではない。

ひとつの星がヤコブから進み出る。」

(民数記24:17)


この中でのヤコブから出る星こそ,

キリスト(救い主)の出現を示す星として

受け取っていたのです。


星を観測していた学者たちは

その星を見つけたと確信し,

救い主の誕生を祝い,

救い主を礼拝するために

ユダヤの首都エルサレムへやって来ました。


ヘロデ王は,

この学者たちの出現に不安になり,

聖書に詳しい祭司長たちや

律法学者たちを集めて,

メシアはどこに生まれることになっているかを

調べさせました。


彼らはキリスト(救い主)が

ユダヤのベツレヘムで生まれることを調べだし,

次のように報告します。


「ユダヤのベツレヘムです。

預言者がこう書いています。

『ユダの地,ベツレヘムよ,

お前はユダの指導者たちの中で

決していちばん小さいものではない。

お前から指導者が現れ,

わたしの民イスラエルの牧者

なるからである。』」

(マタイ2:5,6)


これは,ミカ書に記(しる)してあります

預言者の次の言葉からでした。


「エフラタのベツレヘムよ。

お前はユダの氏族の中でいと小さき者。

お前の中から,わたしのために,

イスラエルを治める者が出る。

彼の出生は古く,

永遠の昔にさかのぼる。」

(ミカ5:1)

 
確かに,

キリスト(救い主)はベツレヘムに

お生まれになるのです。


その方の出生は,

永遠の昔にさかのぼります。

その出生,すなわち,

誕生は神様に由来します。


その出生を知らせるのがヤコブの星であり,

その星を占星術の学者たちが

探し出したのです。


彼らは,

はるばる東の方から

エルサレムへやってきて,

ユダヤ人たちに次のように言いました。


「ユダヤ人の王として

お生まれになった方は,

どこにおられますか。

わたしたちは

東方でその方の星を見たので,

拝みにきたのです。」

(マタイ2:8)


それに答えて,

ヘロデ王は調べた結果を

占星術の学者たちに

「ベツレヘム」であると知らせ,

「わたしも行って拝もう」と言って,

学者たちをベツレヘムへと送り出しました。



2.


(マタイ2:10,11)

彼らが王の言葉を聞いて出かけると,

東方で見た星は先立って進み,

ついに幼子のいる場所の上に止まりました。


その下にキリスト(救い主)がおられます。


「学者たちはその星を見て喜びにあふれた」

(マタイ2:10)のです。

そして家に入ると,

そこに幼子とその母親がいました。

学者たちは,幼子と母親とを見つけだし,

この幼子を救い主として礼拝し,


「宝の箱を開けて,

黄金,乳香,没薬を贈り物として献げた」

(マタイ2:11)のです。


この3つの贈り物は,

この幼子がメシアであることのしるしです。


「黄金」は,

キリスト(メシア)の王としてのしるしです。


「乳香」は,

樹液で作られたもので,焼き尽くします。


レビ記は次のように記しています。


「祭司の一人が

その中からオリーブ油のかかった

上等の小麦粉一つかみと

乳香全部を取り,

しるしとして祭壇で燃やして煙にする。

これが燃やして主にささげる

宥(なだめ)の香である。」

(レビ記2:2)


乳香はこのように用いられますから,

キリスト(救い主)

すなわち神の御子としてのしるしです。


「没薬」は,

死者の葬りに用いられますから,

死ぬべき人に献げられる贈り物です。


この贈り物が示すとおりに,

この幼子は王として,

神の御子として,

死ぬべき人としての生涯を送られます。


わたしたちもこの方に出会い喜びにあふれて,

わたしたち自身をこの方に献げましょう。


3.


 聖書翻訳のために献身されたK宣教師から,

クリスマスカードが教会に届いています。


その中で,

今日の福音書の箇所を用いての

メッセージがあります。


その中に

「彼らの贈り物は,

自分を献げますという

印だったと私は思います」

と書かれています。


わたしたちも,

キリスト(救い主)に出会い喜びにあふれて,

自分自身を神様に献げましょう。


喜びの溢れる礼拝顕現日


(2007年1月6日  F教会)

松隈 貞雄牧師


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