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朝の光(聖書の言葉)

へブル人への手紙 7-13章 解説 2017.9.9 

へブル人への手紙 7-13章 

解説



 
完全に救う

 
(へブル7:24)

「キリストは
永遠に存在されるのであって,
変わることのない
祭司の務めを持っておられます。
したがって,
ご自分によって神に近づく人々を,
完全に救うことが
おできになります。
キリストはいつも生きていて,
彼らのために,
とりなしをして
おられるからです。」
 

キリストの救いは完全でした。

 
そして今,生きていて,

わたしたちのとりなしを

してくださっています。

 

 
型に従って

 
(ヘブル8:5)

「その人たちは,
天にあるものの写しと影とに
仕えているのであって,
それらは
モーセが幕屋を
建てようとしたとき,
神から御告げを受けた
とおりのものです。
神はこう言われたのです。
『よく注意しなさい。
山であなたに示された型に従って,
すべてのものを作りなさい。』」

 
パウロは,

ギリシャの哲学を

知っていたかもしれません。

 
あるギリシャの哲学者は,

はじめ神が見えない

完全な世界を創造し,

その亜流として見える世界を

創造したと考えました。

 
モーセが幕屋を山で示された

型どおりのものを作るようにと

神に教えられました。

 
聖書は,

天にあるものが

地でなされると教えています。

 

 
契約の仲介者
 

(ヘブル8:6)

「今,キリストは
さらにすぐれた務めを
得られました。
それは彼が,
さらにすぐれた
約束に基づいて制定された,
さらにすぐれた
契約の仲介者であるからです。」
 

イエス・キリストは,

神とわたしたちの新しい契約の

仲介者です。

 
神は,石の板ではなく,

わたしたちの心に直接に記される

新しい契約を結ぶと

約束していました。
 
次のように預言されていました。


 
(エレミヤ31:31)

「見よ。その日が来る。
─ 主の御告げ ─
その日,わたしは,
イスラエルの家とユダの家とに,
新しい契約を結ぶ。」
 

(ヘブル8:13)

「神が新しい契約と
言われたときには,
初めのものを古いとされたのです。
年を経て古びたものは,
すぐに消えて行きます。」

 

 
永遠の贖い(あがない)

 
(ヘブル9:12)

「やぎと子牛との
血によってではなく,
ご自分の血によって,
ただ一度,
まことの聖所に入り,
永遠の贖いを
成し遂げられたのです。」

 
神の子のイエス・キリストは

完全な贖(あがな)いとしての

供え物でした。

 
カルバリ山で,イエス・キリストは

ご自身を父なる神に

献(ささ)げられました。

 
いま,わたしたちは,

犠牲の供え物を献げる必要は

なくなりました。

 

 
「とこしえの御霊によって」

 
(ヘブル9:14)

「まして,
キリストが傷のないご自身を,
とこしえの御霊によって
神に 
おささげになった 
その血は,
どんなにか私たちの良心を
きよめて死んだ
行ないから離れさせ,
生ける神に
仕える者とすることでしょう。」
 

イエスの贖いは,

聖霊によりました。

 
イエスは十字架につけられて

贖いの死を全うしました。

 
イエスの贖いは,

「とこしえの御霊によって」

(ヘブル9:14),

イエス御自身を

神にささげることによって

成されました。

 

 
罪の赦し

 
(ヘブル9:22)

「律法によれば,
すべてのものは
血によってきよめられる,
と言ってよいでしょう。
また,
血を注ぎ出すことがなければ,
罪の赦しはないのです。」
 

イエス・キリストが

血を流すことによって,

信じる者の罪は赦されます。

 
聖書では,

血は命をあらわしています。

 
わたしたちが

イエス・キリストを信じると,

罪が赦され,

義(正しい)とされます。


義認と呼びます。
 
(義認) 

 
 
 
イエス・キリストの再臨

 
(ヘブル9:27,28)

「そして,人間には,
一度死ぬことと死後にさばきを
受けることが
定まっているように,
キリストも,
多くの人の罪を負うために一度,
ご自身をささげられましたが,
二度目は,罪を負うためではなく,
彼を待ち望んでいる
人々の救いのために
来られるのです。」

 
イエス・キリストは,

私たちの罪を

負うために来られました。

 
そして,信じる者の完全な聖め,

からだの回復と完成という

全きの救いのために,

もう一度来られます。


(再臨)

 
 再臨のとき,

わたしたちの救いの完成するときを

栄化といいます。

(栄化)

 

 
 
聖なるものとされる


 (へブル10:10)

「このみこころに従って,
イエス・キリストのからだが,
ただ一度だけ
ささげられたことにより,
私たちは聖なるものと
されているのです。」
 

キリストが

ご自身を神にささげたことにより,

私たちの罪は赦され,

罪から解放され,

聖なるものとされるのです。

 
「聖なるもの」とは,

この世から離れて,

「神のもの」となることです。 


信じる者が

聖なるものとされることを,

「聖化」と呼びます。
 
(聖化) 

 
 

 
イエスの血

 
(へブル10:19,20)

「こういうわけですから,
兄弟たち。
私たちは,イエスの血によって,
大胆にまことの聖所に
入ることができるのです。
イエスはご自分の肉体という
垂れ幕を通して,
私たちのために
この新しい生ける道を
設けてくださったのです。」
 

血は命を表しています。

 
イエスは,

ご自身の命を

ささげることによって,

私たちが,

神と交わることが

できるようになりました。


 
(レビ17:14)

「すべての生き物の命は
その血であり,
それは生きた体の内に
あるからである。
わたしはイスラエルの人々に言う。
いかなる生き物の血も,
決して食べてはならない。
すべての生き物の命は,
その血だからである。
それを食べる者は断たれる。」




わが義人は,信仰によって生きる


(ヘブル10:38,39)口語訳

「『わが義人は,
信仰によって生きる。
もし信仰を捨てるなら,
わたしのたましいは
これを喜ばない』。
しかしわたしたちは,
信仰を捨てて滅びる者ではなく,
信仰に立って,
いのちを得る者である。」

 

 
信仰

 
(ヘブル11:1)

「信仰は
望んでいる事がらを保証し,
目に見えないものを
確信させるものです。」
 

信仰とは,神を信じること,

イエス・キリストを信じること,

聖霊を信じることです。

 
そして,イエスのなされたこと,

イエスが

私たちにしてくださることを

信じることです。

 
信仰は目に見えないものが,

本当にあるように

確信することです。

 
それは,信仰の本質です。


 
(へブル11:1-3)

「信仰は
望んでいる事がらを保証し,
目に見えないものを
確信させるものです。
昔の人々はこの信仰によって
称賛されました。
信仰によって,私たちは,
この世界が神のことばで
造られたことを悟り,
したがって,
見えるものが目に見えるものから
できたのではないことを
悟るのです。」
 




 
よみがえり(復活)の信仰

 
(ヘブル11:17-19)

「信仰によって,
アブラハムは,
試みられたとき
イサクをささげました。
彼は約束を与えられていましたが,
自分のただひとりの子を
ささげたのです。
神はアブラハムに対して,
『イサクから出る者が
あなたの子孫と呼ばれる』
と言われたのですが,
彼は,神には人を死者の中から
よみがえらせることもできる,
と考えました。
それで彼は,
死者の中から
イサクを取り戻したのです。
これは型です。」
 

アブラハムが

イサクをささげたのは,

アブラハムに,

復活の信仰があったからです。

 

 
イエス・キリスト,

神の御座の右に着座される

 
(ヘブル12:1,2)

「こういうわけで,
このように多くの証人たちが,
雲のように私たちを
取り巻いているのですから,
私たちも,
いっさいの重荷と
まつわりつく罪とを捨てて,
私たちの前に置かれている競走を
忍耐をもって
走り続けようではありませんか。
信仰の創始者であり,
完成者であるイエスから
目を離さないでいなさい。
イエスは,
ご自分の前に置かれた
喜びのゆえに,
はずかしめをものともせずに
十字架を忍び,
神の御座の右に
着座されました。」

 
イエス・キリストは,

父なる神を信じ,従順でした。

 
イエス・キリストは

十字架につけられ,

復活し,

神の右に着座されています。

 
この生きているイエス・キリストを

目を離さないで

いなさいといいます。

 
 
 
信仰の創始者であり,

完成者であるイエス

 
(ヘブル12:2)

「信仰の創始者であり,
完成者であるイエスから
目を離さないでいなさい。
イエスは,
ご自分の前に
置かれた喜びのゆえに,
はずかしめをものともせずに
十字架を忍び,
神の御座の右に着座されました。」
 

 イエス・キリストは

十字架につけられ,

復活し,

今は神の右に着座しています。

 
このイエス・キリストを

見続けましょうと言います。

 
イエスは十字架に架けられるとき,

十字架の後の復活,昇天,

主の栄光と勝利を見ていました。

 
イエスは,

勝利を見ることによって,

十字架に耐えられました。

 
ルカに二人の強盗の話があります。

イエス御自身も十字架の後の復活,

昇天の勝利を見ていたはずです。
 
 
 
 
愛し合う

 
(へブル13:1)

「兄弟愛を

いつも持っていなさい。」

 
 兄弟愛はキリストにある

神の贖罪の愛による,

実であります。

 
ヨハネはつぎのように言います。



(1ヨハネ3:16-18)

「主は,
わたしたちのために
いのちを捨てて下さった。
それによって,
わたしたちは
愛ということを知った。
それゆえに,
わたしたちもまた,
兄弟のために
いのちを捨てるべきである。
の富を持っていながら,
兄弟が困っているのを見て,
あわれみの心を閉じる者には,
どうして神の愛が,
彼のうちにあろうか。
子たちよ。
わたしたちは
言葉や口先だけで
愛するのではなく,
行いと真実とをもって
愛し合おうではないか。」



次のことばは,

キリスト者の倫理の

「黄金律」と呼ばれます。
 
 
(マタイ7:12)
 
「それで,何事でも,
自分にしてもらいたいことは,
ほかの人にもそのようにしなさい。
 これが律法であり預言者です。」
 
 
 
 
永遠に変わらないイエス

 
(ヘブル13:8)

「イエス・キリストは,
きのうもきょうも,
いつまでも,同じです。」
 

イエス・キリストは

永遠に存在する方です。

 
イエス・キリストが

十字架でなされた

救いの業は完全であり,

永遠に有効なものです。


 


 
来たるべき都・神の国

 
(へブル13:14,15)

「私たちは,
この地上に永遠の都を
持っているのではなく,
むしろ後に来ようとしている都を
求めているのです。(14)
ですから,
私たちはキリストを通して,
賛美のいけにえ,
すなわち御名を
たたえるくちびるの果実を,
神に絶えずささげようでは
ありませんか。(15)」

  
私たちは,

この地上の歩みにおいて

「永遠の都」(14)

を求めています。

 
そして,

神への「賛美のいけにえ」,

すなわち,神に賛美をし,

礼拝をしましょう。(15)

 
「永遠の都」は,

イエス・キリストが

もう一度来られるとき,

信じる者に与えられるところです。


 


 
キリストの栄光・再臨

 
(ヘブル13:20)

「永遠の契約の血による
羊の大牧者,
私たちの主イエスを
死者の中から
導き出された平和の神が,
イエス・キリストにより,
御前でみこころにかなうことを
私たちのうちに行い,
あなたがたが
みこころを
行うことができるために,
すべての良いことについて,
あなたがたを
完全な者として
くださいますように。
どうか,キリストに栄光が
世々限りなくありますように。
アーメン。」

 
イエス・キリストの十字架,

復活の後,神の右の座にいます。

 
そして再臨されます。

 
そのとき,

わたしたちは

完全なものとなります。

 
そして,

キリストの栄光が現されます。
 
 

 
 
2017.9.9
 2022-08-30 改定
 

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