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朝の光(聖書の言葉)

苦難のしもべ (イザヤ53:5)

苦難のしもべ 


(イザヤ53:5)



「彼は,

私たちのそむきの罪のために

刺し通され,

私たちの咎のために砕かれた。

彼への懲らしめが

私たちに平安をもたらし,

彼の打ち傷によって,

私たちはいやされた。」



旧約聖書の預言者イザヤ

に与えられたの言葉です。

イエスが十字架で

苦しんだ姿を描いています。


イエスが,わたしたちに代わって

罪を負ってくださっています。


そして,わたしたちが

イエス・キリスト

を信じることによって,

わたしたちの罪は赦され,

わたしたちの心と病が

いやされます。









イエス・キリストが

十字架について

次のように言います。



(マタイ16:24-25)

「イエスは弟子たちに言われた。

『だれでも

わたしについて来たいと思うなら,

自分を捨て,

自分の十字架を負い,

そしてわたしについて来なさい。

いのちを救おうと思う者は

それを失い,

わたしのためにいのちを失う者は,

それを見いだすのです。』」








イエスの弟子のパウロは

次のように言います。


(ローマ4:25)

「主イエスは,

私たちの罪のために死に渡され,

私たちが義と認められるために,

よみがえられたからです。」








イザヤ書の預言する

イエス・キリストの苦しみは

次のようです。



(イザヤ53:1-8)

「私たちの聞いたことを,

だれが信じたか。

主の御腕は,

だれに現われたのか。

彼は主の前に

若枝のように芽生え,

砂漠の地から出る

根のように育った。

彼には,

私たちが見とれるような

姿もなく,

輝きもなく,

私たちが慕うような見ばえもない。

彼はさげすまれ,

人々からのけ者にされ,

悲しみの人で病を知っていた。

人が顔をそむけるほどさげすまれ,

私たちも彼を尊ばなかった。

まことに,

彼は私たちの病を負い,

私たちの痛みをになった。

だが,私たちは思った。

彼は罰せられ,

神に打たれ,

苦しめられたのだと。

しかし,彼は,

私たちのそむきの罪のために

刺し通され,

私たちの咎のために砕かれた。

彼への懲らしめが

私たちに平安をもたらし,

彼の打ち傷によって,

私たちはいやされた。

私たちはみな,

羊のようにさまよい,

おのおの,

自分かってな道に向かって行った。

しかし,

主は,

私たちのすべての咎を

彼に負わせた。

彼は痛めつけられた。

彼は苦しんだが,

口を開かない。

ほふり場に引かれて行く

小羊のように,

毛を刈る者の前で

黙っている雌羊のように,

彼は口を開かない。

しいたげと,

さばきによって,

彼は取り去られた。

彼の時代の者で,

だれが思ったことだろう。

彼がわたしの民の

そむきの罪のために打たれ,

生ける者の地から

絶たれたことを。」



2015-11-21

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