上勇知通信

夏の思い出

上勇知という町の歴史を勉強中

2019-06-17 00:07:05 | 日記
上勇知に滞在を始めて1ヶ月半がたった。

上勇知と言う地名は、道内の方に聞いても、多分半分の方もご存じない所である。
稚内の南、車で20分くらいの小さな町である。
宗谷本線の勇知と言う駅はあるが、駅舎もなく、簡単なホームとコンテナで作られた待合室だけがある。上下合わせても日に10回も停車しないローカルな駅である。
 

なぜこの町に滞在する事になったのか・・・
一昨年の定年記念の、北海道海岸線一周旅の途中、この地にある悠遊ファームさんというファームインで、農業体験をさせて頂きながら数日滞在した。

そして昨年は、この体験からファームへお願いをし、7月後半から約二カ月半滞在。
食堂もコンビニもない町だが、居心地のいい町であった。そして夏も涼しい。

今年も4月の最終週から、多分10月中旬頃までの予定でお世話になる予定である。
二居点移住の可能性を探りながらの季節移住となる。
途中1カ月は中川町、そして下勇知で1ヶ月滞在とはなるが、ほぼ半年この上勇知での生活となる。

住んでみると、町の方々と触れ合うことができ、もっと町の事。歴史を知りたくなった。
ネット検索や稚内の図書館でいろいろな事を調べ始めたが、明治44年に入植された方が開墾され、大正12年鉄道が稚内から兜沼まで繋がった事で町は大きく伸長したようである。

開拓碑が、旧上勇知小中学校のグランド近くに建立されている。




入植されたのは、今、上勇知に住んでおられる20位の方々のひいお爺ちゃんのもう一世代前位の事である。


だんだん歴史を教えて頂ける方がおられなくなる。
2011年にワッピーの取材で歴史を語って頂けた方も、90歳以上となっておられる。
直接はお聞きできないので、音源をダウンロードして歴史内容を書き写し始めた


さらに調べるため、色々と資料を探していると、今の小中学校が建設され、上勇知開基70周年の時に作成の記念誌を卒業生の方から貸していただけた。
ここからでも、すでに40年も経過している。


せっかくこの地にお邪魔させて頂いたので、上勇知と言う歴史を学び、おせっかいかもしれないが、何か次の世代へ歴史を残すお手伝いが出来ればと思っている。

国道40号線は、パークゴルフ場から出た所の兜沼から続く道だった・・・。
今の郵便局の所は秋田旅館さんがあり、温泉もあった・・・事など
色々な方から昔をお聞きする中で初めて知った。

稚内の図書館の資料の中には、明治44年の宗谷大火の時、夕来から親子熊が利尻まで泳いで逃げたなどの話も残っており、去年の利尻の熊もここから渡ったのか・・と思ってしまった。

時間のある中で勉強を進めたい。