薄いブリキ戦車人丸

好きなことを色々書いています。

愛の貧乏脱出大作戦 間違った修行先

2020-07-17 20:20:32 | 日記
依頼者は市議会議員も務めた群馬県の60歳男性。

バブル崩壊のあおりを受けてそれまで保有していた4つの店舗のうち3つを手放し、唯一残った居酒屋も料理経験もないまま経営し、これまでの借金は4000万円以上に達していた。

その居酒屋を切り盛りしてきた妻とも別れ、店はその依頼者だけのワンオペ経営。店のメニューは焼き鳥にもんじゃ焼き。その他一品料理が多数で、未明まで経営しているのが特徴。
これまで料理経験のなかった初老の依頼人が作る料理ということもあり、味の評判も芳しくなかった。

修行するメニューは焼き鳥でももんじゃ焼きでもなくどういう訳かちゃんこ鍋。愛知県内にある某店が修行先となった。
そこの達人は料理の腕は素晴らしいのかもしれないが、残念ながら人間的には疑問符の付く人物であった。

さらに、その達人はかなりの気分屋。最初は接客をやらせるが、あまり上手に接していない様子を何者かににチクられたようで、それに腹を立て依頼者を呼び付け怒鳴り付け、しまいには「帰れ」とぶちまける始末。

依頼者はオドオドしてただ言い訳するしかないのであるが、達人はその言い訳の揚げ足を取ってさらにキレてしまう。残念ながらこの達人は料理の達人ではあるが、人間的には今一つの人物だったのである。

まあ、接客が不得手の人物に現場に立たせて練習させるのはよしとしても、自分の店に不都合が出たらそれを一方的に依頼者のせいにする態度は、覚悟もクソもなく見苦しい。

マズいところがあったら、怒鳴り付ける前にいったん接客から外し、なっていないところをきちんと伝えるべきだ。
そもそもヘマをやったら怒鳴り付けざるを得ないような重要な場に、ロクに教育も受けていない依頼者を漫然と入れるもんじゃない。

料理の指導も全然なっていない。
まずはスープの取り方から指導するが、依頼人がよく理解していないうちからとりあえず作らせてみて、ダメだと怒鳴り付けるまずいやり方。
しまいには「今度やったら殴るぞ」と勝手にキレる始末。

これじゃあ、依頼者はビビってしまってスープの勉強どころじゃない。依頼者は頭が真っ白になってしまっていたが、無理もない。

しかも盛り付けとか接客とかも平行してやらせている。
来たばかりで事情をロクに知らないトーシローさんな依頼者相手に、あまりに愚かな修行メニュー。

依頼者の技量に合った的確な指導を行うべきだが、残念ながらこの達人には人にモノを教える能力が乏しかったのである。「名選手必ずしも名監督ならず」の典型例であった。

で、この達人、自分ところの至らなさを全て依頼者の不出来に帰してしまい、挙げ句の果てには勝手に怒りがつのって指導を放棄してしまう。
客観的に見てバカ丸出しであった。

しかし、依頼者は本当に弱い立場、勝手にブチ切れて高級外車で帰る達人を必死に追うが、そのまま帰られてしまう。

この番組の残酷なところは、不幸にして今回のような人間性や指導力に問題のある達人に当たっても、何とか拝み倒してでも指導を継続してもらわなければいけないところ。

達人の店から戻った後、依頼者は寺で座禅という非科学的な時間(というか企画)も用意されていた。
この番組では十八番であるが、藁にもすがる気持ちの依頼者をピエロにするものであり、まさにポリティカル・コレクトネスの針が瞬時にぶち切れるような仕打ちでもあった。

翌日、依頼者は頭を丸めて店の前で数時間達人を待ち、修行の続行を依頼するが達人はあからさまに嫌な顔をする。
ついには土下座をして号泣しながら懇願するに至り、達人もしぶしぶ修行続行を認める(というかあんた、依頼者のことが気に食わないからといって、自分の我がままで指導を放棄したらダメだろ?)が、ここまで高慢な人物はそうそういないものである。

この時、依頼者は頭を強くかきむしって、声を震わせて号泣していた。
これは、ものすごいストレスを受けて精神が激しく動揺していた証拠。本当にかわいそうであった。
依頼者は耐えがたきを耐え。忍びがたきを忍び、よく我慢したものである。

修行再開後も達人の依頼者への仕打ちは続く。弱みにつけこんでマウントを取り、出来が悪いと「やっぱ、帰れ」と無責任に言い放つ。
依頼者がここで学んだことは、「料理はいくら上手でも人間的に出来ていない人物がいる」ことのみであろう。

この番組の修行時間は限られる。きちんとスープが出来たか、具材の並べ方がきちんと出来たのか最後までよくわからないまま。「ギリギリですわ」とOKが出される。この達人、何をしたいのかよくわからない。

で、依頼者の店再オープン当日。店にはあの達人が乗り込んできた。開店まであまり時間もないのに依頼者は「ちゃんこ」の仕込みをまだ行っていないという。

番組ではこんな「だらしない」依頼者に達人が「たわけ」と一喝し、仕込みを手伝って「献身的に」店のオープンにこぎ着ける様子が流れていた。
しかし、私はそれは違うと思っている。

大したことも教えてもらえず、文句を言われ怒鳴り付けられるだけの修行先で学んだというか、嫌な思い出ばかりの「ちゃんこ」など、作りたくなかったというのが依頼者の本音と思われる。

だからこそあえて仕込みを行わず、ささやかな反撃をしたかったのではないだろうか?

ところで、この番組の制作者は、依頼者にも修行先にもロクな調整を行っていなかったことが、某ラーメンチェーン店のブログで明らかにされている。

修行先の達人も十分な調整のないまま依頼者を受け入れざるを得なかったものと思われる。
そうであれば達人側にも同情の余地はあるが、依頼者の資質を十分に把握することもなく、店側が重要視している接客に入れてしまったことがそもそも誤りだろう。経営者の資質としても疑問符が付く。

後日、番組スタッフが達人同行のもとで追跡調査を行った時には夏季ということもあり、ちゃんこは予約のみの取り扱いとなり、元の焼き鳥ともんじゃ焼きがメニューに並んでいた。

これを見て「なんじゃあ」とあきれ返る達人。「ちゃんこの売れ行きは夏には下がるが、それを乗り越えてこそ」と精神論を述べて、依頼者に「改心」を促してチャンチャンとなった。

しかし思うのだが、4000万円もの負債を抱えて取りあえずは日銭を要する状況下で、ロクな修行も出来なかったちゃんこ店で「学んだ」とはお世辞にも言えない有り様で、そんなちゃんこを売りに経営の建て直しが出来るほど状況は甘いものではない。
より売れ行きの良いものへシフトするのは当然である。

特に「もんじゃ焼き」については、愛の貧乏脱出大作戦では以前から小馬鹿にしているようなきらいがあった。
大阪でもんじゃ焼きを売りにしていた別の依頼者についても、もんじゃ焼きは放棄させられお好み焼きを改めて修行させるほど、あからさまに軽んじられている。

ちゃんこの修行についても、番組関係者がもんじゃ焼きをバカにしていたからそうなってしまったのだろう。

でも現実的にはもんじゃ焼きの方が明らかに日銭は稼げる。従来の客からのニーズもあったと依頼者も言う。

依頼者がワンオペという現状も考えると、東京あたりでもんじゃ焼き+αの修行というのが現実的であったと思わずにはいられない。

愛の貧乏脱出大作戦 不器用ながらもひた向きに

2020-07-16 18:46:14 | 日記
愛の貧乏脱出大作戦では居酒屋7人修行という企画が立てられていた。
国内3ヶ所の名人経営の店で修行して、それぞれの店で合格を出さなければ途中で失格というものであった。

岩手、兵庫、そして神奈川の名人店で公募に応じた7人が修行を行ったが、岩手では1名は修行になじまず帰郷。もう1名は不合格となり離脱。
兵庫(途中一時的に島根へ移動)では1人が限界を感じて帰郷、2人は料理の技術が未熟ということで名人に引導を渡された。さらに1名も不合格となった。
2名が残った最終修行先の神奈川では、1名だけが合格となり、大分県内で居酒屋を経営する50前後の男性が栄冠を手にした。

その男性の店は結構繁盛し、自社ホームページで宣伝を行うほどであったが、数年前に閉店してしまったという。

で、プロレスラーでYouTuberの青年が行ってきた先は、途中で離脱しながらもなぜか、みのもんたによる再チェックの対象になっていた福岡市博多区にあった割烹料理の「てん新(てんしん)」。

創業40年という老舗割烹である「てん新」であったが、経営者で料理長の男性が病に倒れ、施設に入所の身となる。妻である女将も体調を崩してしまい店の経営は傾いてしまっていた。

かつて「てん新」は数多くの板前を抱える繁盛店でもあったが、従業員も去り、今では体調が万全でない女将に、料理経験の全くない息子がスーパーで買ってきた刺身を皿に並べてその場をしのぐ惨状。
というのも、店の借金は2000万円余りに達し、冷蔵庫は故障して修理代も出せず物置きと化す始末。仕入先のツケは莫大な額で仕入れにも応じてもらえないという。

そこで一念発起して息子が「愛の貧乏脱出大作戦」に応募して、傾いた店を建て直すべく居酒屋修行をすることになった。この修行ではメンバーがニックネームを名乗ることになっていて、割烹の息子も「オッチ」と名乗っていた。メンバーの中では最年少の25歳であった。

ところが、スーパーで買ってきた刺身を皿に並べ直すことでその場をしのいできた息子は、修行にあたり三徳包丁しか持参しない始末。料理好きな家庭にもありそうな刺身包丁も柳刃包丁もない。
彼は料理人の仕事がどんなものか全然理解できないまま修行に臨んでしまったのであった。

修行経験もないのは仕方ないとして、一番問題だったのは無器用で技術の飲み込みが悪く、他のメンバーと同じようには修行が進まなかったこと。
岩手では息子の境遇を知った名人が横に付いて丁寧に手ほどきしてくれるのだが、それが他のメンバーには面白くなく嫌味を言われて泣き出すなど精神的に落ち込む始末だった。

それでも、寒い水産加工場で未明までひたむきに魚をさばいていた息子の姿に胸を打たれた名人は彼に合格を出す。

しかし、次の修行先である兵庫では、息子には技術が十分に備わっていないと判断。これ以上修行はできないので、腕を磨いて再挑戦するべきだと引導を渡してしまう。息子は第2ラウンドでの脱落が決まった。

本当であればこれで修行終了のはずだが、「てん新」の状況はそれを許さなかったようで、息子は合格点を出された岩手で修行した「三陸丼」を出しなおも頑張っていた。
金銭問題さえなければ、25歳とやり直しも利く年齢だったので、きちんと板前修行をするのが賢明と思われるのだが、いかんせん自転車操業状態なのでそうはいくまい。

なぜ、みのもんたがその「てん新」へチェックに来たのか、よくわからない。息子は最後まで修行できず、失意の中で何とか店を建て直そうと頑張っていた矢先にである。
単なる興味本位で取り上げているのかと怒りの感情さえ覚えたものだった。

され、YouTuber青年の動画に戻るが、「てん新」のあった場所やその周辺で情報を探るが、いかんせん20年近く前の話なので誰も覚えていない。結局手がかりを見つけることはほとんどできなかった。

不器用ながらもひた向きに頑張っていた息子は今どうしているのだろう?

日本はスゴいのか?

2020-07-15 19:43:32 | 日記
ネット上で自衛隊の練度やその装備品を「自衛隊スゴい」とか「日本スゴい」と称賛するYouTuberやネットユーザー(インフルエンサー)が多いが、果たして真相はどうなんだろうかと疑問に思うところがある。

YouTuberの投稿を見ると、仰々しいアニメ調の音楽に乗って、自衛隊の練度や装備品がいかに優秀であるかを伝える内容なのだが、インフルエンサー達の言うとおりそのまま額面どおりであれば国民のひとりとして枕を高くして眠れるものであるが、実はそうでない、単なる「創作」であれば、本当はどうなんだろうかと不安を抱かずにはいられない。

日本は1990年代から長期の経済不況に陥り、様々な厳しい状況から国力や国の現状に対して、自信を喪失してしまった人が多い。

なので、国防に対する国民の自信を取り戻し、やる気を出させる意味ではこういうインフルエンサーの活動は前向きに応援していきたいとは考えるのだが、問題は彼らの提供する情報がどこまで正しくて、真に称賛に値するかということだ。

彼らインフルエンサー以外の自衛隊関係に詳しい人達の意見をネットなどでつぶさに観察していくと、装備品は高価で性能も平均以下との評判に、自衛隊員の練度についても取り立てて高いという評価は聞かれない。

むしろ、「日本スゴい」のインフルエンサーに惑わされて、自衛隊の能力を過信していたり、逆にリベラルの立場から、軍備拡張を否定していたりする声があり、これらをたしなめるような投稿が多く見られる。

「現状をよく把握して、それをどう改善するか」というアプローチが自衛隊に求められるところだが、それはいかんせん地味で、ネット界隈のウケは今一つなので、こういった一般受けしそうな、時には現実離れした情報が創作され、広まってしまうのであろう。

こういった創作が一人歩きして、本来国の将来を憂慮してもらえそうな層が危機意識が希薄なまま右寄りな考え方に偏ってしまい、軍事に関しても「正常性バイアス」に陥ってしまい、自衛隊の装備品更新や近代化に、組織の改革に必要な人材の確保がおざなりになってしまうことが、憂慮されるところである。

「愛の貧乏脱出大作戦」のお店へ伺って。

2020-07-12 22:56:58 | 日記


今から20年ほど前に放送された「愛の貧乏脱出大作戦」。その番組に登場してきた北九州市小倉北区の飲食店「さくら亭」。

引用の動画は、番組放映当時は中学生だったというプロレスラー兼ユーチューバーの青年が、視聴者からの依頼で現地を訪れて「さくら亭」の調査を行ったが全く手掛かりがなかったという内容である。

この青年の動画では東京から来福して「さくら亭」の他にも、視聴者から依頼のあった店舗を数ヶ所調査したとのことであるが、現在も営業中の店舗は皆無で店主の消息さえつかめないという有り様で、飲食業界の厳しさを改めて知る内容であった。

実は私、この「さくら亭」へ行ってきたことがあった。イカを食べさせてくれるということで、番組終了後、1ヶ月後くらいのタイミングであった。

そこの開店時間くらいの、平日の18時過ぎに終業後愛車を走らせてまっすぐお店へ伺ったが、仕込みが終わっていないということで店内で少し待って、どんなメニューかは覚えていないがイカの焼き物の付いた定食を注文した。

残念ながら店内には私以外は客がおらず、寂しくボッチ飯となっていた。

味は可もなく不可もないという印象。なぜ行ってきたかと言えば、東京にある名人の店で厳しく指導され、いい歳をしたご主人がむせび泣いていたのが印象的だったから。
真面目ながらもあまり元気もない様子も気になっていた。

ご主人はテレビ同様にあまり表情が冴えない。まあ、表情はあまり冴えなくてもきちんとしたものさえ出せば、客は来るものである。

女将さんと思われる女性から「番組を見て、来たのですか?」と尋ねられたこともあり、帰り際には「頑張ってください」と声をかけて、店を後にした。

大食漢だった私は、当時門司区にあった名店の「黒川うどん」まで足を伸ばして、「さくら亭」を出てから小一時間後にそこのうどんも食べたが、正直そちらの方が値段も半分以下で美味しかったことも思い出される。

「さくら亭」は正直、場所もあまり良いところにあるとは思われず、味は悪くはなかったが、後から食べた名店のうどんがよほど印象に残ったほどだったので、厳しいかなとは思っていたが、それから2年くらい後に偶然その場所を通ると、既に店はなくなっていた。

北九州やその周辺は舌の肥えたお客が多い土地柄。
今考えると板前修行もないまま脱サラでイカ料理を出すというのはいささか無謀な話であった。

東京の達人店を悪く言うつもりはさらさらないが、九州・山口の人は自分の居住地周辺の魚料理に親しんでいるので、なぜ地元に馴染みのある呼子や博多など地元の料理店で修行できなかったのかという疑問も沸いてきた。

やはり、地元の人に受け入れられる料理は、地元の人に教わるのがベスト。
東京で修行したものが地元の味覚に合うとは限らないから、そこはアレンジする必要はあるが、いかんせん脱サラで始めてしまったので、そこまでは工夫できなかったのかなと思わずにはいられない。

最近は「起業支援」等があり、様々な事業を立ち上げる人が増えてきたが、その大半は従来型の飲食店が多く、従来の脱サラと大差ないのが現実である。

愛の貧乏脱出大作戦については色々と思い出があるのでまた書きたいと思う。

起業支援は新しい産業を興して、全国の経済を活性化させるための施策であるが、飲食店ばかりの状況ではパイの奪い合いになるだけで、「愛の貧乏脱出大作戦」のように料理の技術も上がらぬまま多額の負債を抱える人が増えるだけではないかと、経済の先行に暗雲が立ち込めているだけに、そう思わずにはいられない。

楽しいコサックダンス

2020-07-11 20:09:03 | 日記

旧ソ連軍というか、ソ連陸軍の軍人に扮した「アレクサンドロフ楽団」による愉快な作品である。小気味の良い手拍子とステップが魅力的である。

題名は“на привале(ナ・プリヴァーレ)”「小休止」または「憩いの時」という意味であり、通常の服装をした兵士の他に、主計兵と思われるコック服を来た人物も登場する。

今のロシアではほとんど見ることができなくなった陸軍軍人のダンスだが、ソ連時代は軍服を着た人物がわが国では「コサックダンス」として一般的に知られるダンス“пляска(プリャースカ)”を演じ、動画投稿サイトなどで鑑賞することができる。
多分、この“пляска”は英語の“play”あたりと同語源と思われる。

アコーディオンの一種である“баян(バヤン)“を奏でる道化師風の小柄な隊長に、元気の良い慌て者の主計兵(コック)、アクロバティックな動きを見せる隊員と2分30秒足らずの短い時間ながらも見どころ満載である。

この作品にはモノクロのロングバージョンもあり、ここではチョイ役でしか登場しない慌て者の主計兵には前掛けを付けた助手がつき、二人で息の合ったダンスを披露する。後日紹介したいと思う。

ソ連解体後、コサックダンスに当たるダンスはロシアとウクライナの両国で民族舞踊として親しまれている。
ウクライナではプリャースカではなく、“гопак(ホパーク)”と呼ばれる。

残念ながらウィキペディアでは「ウクライナのホパークこそがコサックダンスである」ような記述がなされているが、これは明らかな誤りである。

ロシアのプリャースカの方が泥臭くて古典的であり、本来のコサックダンスにより近い。

コサックダンスのファンとしては、誤りが広まってしまうのは忍びないので、時間があれば「プリャースカ」のページを別途立ちあげるか、「コサックダンスにはウクライナのホパークとロシアのプリャースカの両方がある」旨の記述に変えることが出来ればと思うところである。

そんなウクライナはロシアよりも西欧寄りという地理的条件もあって、ホパークにはプリャースカよりもダンスに泥臭さがなく、伴奏もバイオリンが入ったり、ロシアでおなじみのバラライカに代わって映画「第三の男」で有名なチターのような音色の“банду́раバンドゥーラ)”が用いられるなど、ロシアのものよりもかなり西欧色の強い舞踊となっている。

さて、この“на привале”はソ連時代のものなので、ダンスの要素はロシアを主体に、ウクライナのも混じった印象。
このダンスの演出はウクライナ人のパーヴェル・ヴィルスキーであった。

で、ウクライナ独立後に「パーヴェル・ヴィルスキー楽団」が立ち上がり、今ではロシアの「モイセーエフバレエ団」と並んで、コサックダンスをはじめとする民族舞踊で魅了する存在となっている。

なお、海軍軍人のダンスもありこちらは小リンゴを意味する"Яблочко(ヤブローチュコ)”と呼ばれるが、こちらは現在でもモイセーエフバレエ団の花形であり、例えは悪いが「3時のおやつは文明堂」のような息の合った華麗なダンスで見るものを魅了する。

かつてはヴィルスキー楽団でもロシア側とは異なるバージョンで海軍軍人のダンスを見ることができたが、クリミア半島のロシア併合問題で、ウクライナ海軍の艦艇や兵員が多数ロシア側へ転籍(端的に言えば寝返り)してしまった事情もあり、最近では見ることができなくなってしまった。

以上、かなり珍しい部類の趣味と思われるが、私なりの切り口で今後も紹介していきたいと思う。