本を読むのは好きだが、本ばかり読む人は苦手だ。
特に実用書だとかハウツー本を好んで読むタイプの人が苦手だ。
あれに似ている。
参考書を買って満足している受験生に似ている。
文面だけを読んで、知った気になっている。
著者がどういう経験を経てその思考に至ったか。
それを考えた上で文面を噛み砕かないと真意はわからないと思うし、応用はできない。
また、読解能力の無い人が読み解くと、言葉通りのことしか実行しなかったりする。
例えば、『わからないことはわからないと言おう』と記してあったとする。
これはあまり詳しくない分野に対し知ったかぶりをせず、知らないことを教えてもらったり、苦手だと打ち明ける姿勢が必要なのだと捉える人もいる。
一方で、言葉のまま受け取り、少し考えればわかるようなことや、相手から情報を引き出せればわかるような範囲の内容でさえ『わからない』と打ち切って思考をやめてしまう人もいる。
わからないという言葉は使い方によってコミュニケーションの拒絶にもつながる。
思うのだが、私は成功者の書く本というのはその人だから書けた本であって、
その人だから成功したに過ぎないのではないかと考える。
そしてどの人の本も、根本的なことはさほど変わらない。
ただ結論に至るまでのケースが多数あるだけで、そこの違いだけではないかと。
ビジネス書で物事を考えなくとも、みえる人には世界が見える。
例えば木という植物の前で木の仕組みや一生について考える人がいる。
寝そべって形を変えながら流れる雲を眺め考える人もいる。
自然や生活の中で吸収できる情報はたくさんある。
そして何よりからだで感じて習得したほうが、
羅列された言葉なんかよりもずっと重みや真実味がある。
本来、哲学って言うのはそういうものではないだろうか。
何かを知るには、経験が大事なのではないだろうか。
最後に詩を紹介します。
金子みすずの『海とかもめ』
海は青いとおもってた、
かもめは白いと思ってた。
だのに、今見る、この海も、
かもめの翅も、ねずみ色。
みな知ってるとおもってた。
だけどもそれはうそでした。
空は青いと知ってます。
雪は白いと知ってます。
みんな見てます、知ってます、
けれどもそれもうそかしら。