輪舞曲
階段を上がる途中から ピアノの音が聞こえてきた
綺麗すぎるほどの旋律に その時何故か僕は悲しくなった
そのすらりと伸びた指先で 彼が奏でるメロディーは
美しくてどこかもの悲しい 初めて耳にする曲だった
何ていう曲なの? 僕の声に振りむいた彼は
『愛と憎しみのロンド』 そう言って優しく微笑んだ
聞いたことが無いでしょ だって今僕が作ったんだから
もっと聴いていたかったが バイトの時間だったので
彼に軽く挨拶をして その場を離れた
ロンドってどんな意味だっけ 音楽に疎い僕にはさっぱりだ
その後も二、三度 彼のピアノを聴くことが出来た
彼はいつも微笑んでいた 話し方も穏やかで心地よい
ピアノの音と調和して 僕の心を癒してくれるひと時
そんな彼が姿を見せなくなって 十日程経ったある日
大学内が騒がしい空気に包まれた 友人によれば
この大学の教授と学生が 都内のホテルで心中したという
教授には妻も子もあり 相手は依然噂になった男子生徒だと
にわかには信じられないが 学内には刑事らしき人が何人もいた
それぞれに学生を捕まえては 話しを訊いていた
僕と友人も写真を見せられて 話しを訊かれた
写真は間違いなくあの彼だった 僕は見覚えが無いと答えた
そういえば名前も聞いて無かったなと 思い出した
確かに不思議な人だった 優しい笑顔と同時に感じる冷たさ
それはまるで氷の彫刻の様で それでも美しいと思った
僕はもうじき大学を卒業する きっと彼の事も忘れるだろう
それでも時おり思い出す 月の美しい秋の夜
彼が弾いていたあのメロディーや 彼の横顔
優しい夕暮れ時の空 とても素敵な時間
もう二度と あんな時間は訪れることは無いだろう