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北海道鉄道路線図 標茶の硫黄精錬所 (2022/11/13修正)

2022年11月13日 12時35分47秒 | 趣味のGIS
釧路国川上郡標茶硫黄製煉場ノ景(明治大正期北海道写真目録(明治大正期の北海道・目録編))
北海道大学附属図書館蔵 より転載

1887年(明治22年)、安田善次郎はアトゥサヌプリの硫黄鉱山の譲渡を受け、標茶に大規模な硫黄製錬所を建設したそうです。上の写真はその製錬所だそうで、確かに当時鉄道も通らない標茶にこれほどの建造物があったとは驚きです。
この跡佐登鉱山から標茶までの鉄道が釧路鉄道(北海道で2番目の鉄道、小分類では3番目)で開通は1889年、標茶で製錬された硫黄は、蒸気船曳航の艀にて釧路まで運ばれていたそうです。
標茶町の発展は1983年に設置された釧路集治監に起因し、その囚人たちの労働力は釧路地方のインフラ整備に多大な貢献をしたらしいですが、安田善次郎氏は民間としてその囚人たちを借り受け、硫黄鉱山の採掘や釧路鉄道40粁をわずか7カ月で完成さるなど。想像を絶する過酷な労働を課したそうですね。(これが釧路地方の発展に寄与したことは間違いないのですが)
当北海道鉄道路線図にもこの悪名高き釧路鉄道と釧路川航路を簡易に表現していたのですが、釧路市作成の釧路炭田とその軌跡「上川郡標茶鉄道線路敷地図」に標茶の精錬所の昔の地図が掲載されており、「これは再現するしかないでしょう!」ということでQGISを利用して再現してみました。
再現する元図として国土地理院の地図空中写真閲覧サービスから1948年米軍撮影の標茶駅北部の写真を利用します。



写真をQGISでリファレンスします。
画像中心よりやや右の縦線が釧網本線、標茶駅はこれより少し南になります。右の斜め線が殖民軌道標茶線です。画像中心のやや下の白く写っているあたりが製錬所跡ではないかと思われます。「上川郡標茶鉄道線路敷地図」にある河川はこれよりもっと蛇行しており本当にこの場所か? と思われますが、写真をよく見ると旧河川と思われる線が確認できます。



左上が釧路集治監。ここが軍馬補充部川上支部→終戦後(この写真の時代)標茶農業高校となり、現在は標茶高校となっているようです。水色が旧河川と思しきところでこれを都合よく解釈して旧河川を再現してみると次の画像となります。



なんとなく「上川郡標茶鉄道線路敷地図」に似ているよう。機回し用のデルタ線もあったようです。



背景地図を地理院地図にするとこうなります。

北海道鉄道路線図に反映しました。アドレスバーに ?1887 を追加すると指定の年で表示するよう仕様変更しました。

例 https://mapwarehouse.ikidane.com/hokkaido_dl.html?1887#16/43.3055/144.6091
   ?表示年#縮尺/緯度/経度

※2022/11/13 釧路市HP釧路炭田とその軌跡「上川郡標茶鉄道線路敷地図」のリンクを修正しました。

おすすめリンク 釧路炭田とその軌跡

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