仏教は私たちの生き方です。死人を相手に商売することではありません。
葬式仏教などと悪態を浴びている現代日本仏教に一石を投じるドイツ人住職が見た
日本仏教と、日本人が忘れている“本物の仏教“を求める禅修行の一端を紹介している本
とのことで手にしました。
(「迷える者の禅修行」ネルケ無方 新潮新書)
1968年ドイツの旧西ベルリンで生まれた著者。父は設計事務所に勤め、母は病院で
医師として働いていました。著者が7歳の時、母が突然乳がんで亡くなります。
祖父の下に引き取られ育てられます。その祖父の身近に教会があったため、
当然小さいころから「神さま」についての話を祖父母から聞かされ育ちました。
でも、「神さまって一体どこにいるの?」「どうして目に見えないの?」「どうして話が
できないの」と疑問に思うばかりで育ちます。
そうした幼い子供の疑問に対し「あなたはまだ小さいから分からないの。
大きくなったら分かる」という大人の説明に納得がいかない子どもは、
子供心に神さまや教会に失望します。
やがて少年に成長した著者は「人間は一体何のために生きているのだろうか?」
という疑問にとらわれるようになります。
しかし、これは少年の頭で解決出来る問題ではありません。
そんなとき出会ったのが坐禅だったのす。通っていた高校に坐禅のサークルがあり、
誘われるまま坐ってみたのがきっかけでした。
それは衝撃的な経験だったと著者はいいます。それまで思い悩んでいた人生の問題を
解決するための糸口を坐禅に見出し、将来の目標を「日本に渡り、そこで禅僧になって
修行すること」と心に決めるのです。
高校卒業後の1987年、初めて来日を果たします。少しでも早く日本の文化に触れて、
禅の心を学びたい。鎌倉や奈良の大仏を参拝したり、京都の南禅寺や竜安寺の庭園を
拝観したり、出来れば本物の禅寺で坐禅がしたい、と。
ところがホームステイ先のSさん宅は熱心なキリスト教信者だったりのハプニングも。
この間、日本のお坊さんや、若者たちの仏教に対する取り組み方に著者は少なからず
疑問を抱くようになります。
ドイツに帰国し1987年秋にベルリン自由大学に入学しますが、仏教への思いは募るばかり。
とうとう1990年、ベルリン自由大学を休学して、京都大学教に留学。
もちろん真の目的は、日本で本物の禅修行をするためでした。
京都に暮らし始めた彼は「一緒に坐禅をさせて欲しい」といくつかの禅宗本山に
飛び込むが、どこも断られてしまいます。
数年後に実際にその中の一つに一年間雲水として入門してその時初めて断られた理由が
解ります。何もそれは専門曹堂の修行レベルが高いからではなく、
一般に知られては困るいろいろな裏事情ゆえのことだ、ということだったのです。
詳しくはこの本をお読みいただきたい。
仕方なく、京都市から電車で一時間ほど離れた、園部という町にある昌林寺に通い始めます。
朝の4時から夜の9時まで、三度の食事を除いては、ただただ壁に向かって黙って座るのみ
の坐禅は初めての経験でした。すでにドイツで6年以上の坐禅経験はありましたが、
足は痛み、頭の狂いそうな妄念が浮かんでは消え・・・まさに地獄だったそうです。
しかし、地獄だからこそやってみる意味がある。この地獄を経験しなければ、
私の問題は解決しないと思い、ここが唯一の希望とばかり、夏休みの二カ月間、
昌林寺の修行生活を送ります。
この昌林寺に滞在中、ジョージというアメリカ人から、兵庫県の山奥にある安泰寺のことを
耳にします。そしてこの安泰寺に恋焦がれ、京都大学での勉強を投げ出し、
1990年9月から安泰寺の修行道場へと向かいます。
山奥の自給自足の禅道場では「地獄の作務」を経験します。
(夏の安泰寺本堂)
朝5時起床、「暁天坐禅」を2時間、朝食後は作務。12時からは、うどんの昼食を
7~8分で平らげ、すぐに午後の作務。
4時過ぎからそれぞれの係の仕事を済ませ、お風呂。5時の薬石(禅寺の夕食)。
その後ティー・ミーティングがあり、6時から8時まで坐禅。と云った生活の連続です。
入山して半年、1991年の春、予定通り安泰寺を下り、ベルリンの大学に戻ります。
他の学生をしり目に卒業を急ぎます。「とにかく一刻も早く、安泰寺に戻らねば」
という一心でした。卒論のテーマは道元禅師の『正法眼蔵』の中の「現成公案」でした。
ベルリン大学を卒業と同時に1992年10月、再び京都大学に籍を置き、
学業と寺通いを続けますが、1993年秋に全てを捨てて再び安泰寺に飛びこみました。
こうしてようやく正式に「出家得度」することになりました。ここで初めて、
これまでのネルケ・イエンス・オラフ・クリスティアンという名前を捨てて、
「無方」という戒名を頂き、彼の禅僧としての修行がスタートします。
(冬の安泰寺本堂)
2002年には安泰寺の住職に就任しますが、そこに至る修行生活も順調ではありません。
二度ほど安泰寺での修行生活に絶望して山を下りています。
そして、京都にある臨済宗の有名寺院での修行、山奥に籠っての仙人生活、
大阪城公園でのホームレス修行生活を経験します。
日本仏教の現状に失望し、己の不甲斐なさを嘆き、悩み惑いながら流転する
日々の様子が綴られています。
こうした紆余曲折の末、仏家としてスタートを切った安泰寺を護る立場となって
現在に至っています。
この本の雰囲気を感じていただくために、大阪城ホームレス修行時代に
著者が「坐禅」についてネットカフェで書いた坐禅に対する考えの一端を
以下に紹介しておきましょう。
坐禅をして、何になるのか? その答は、『坐禅をしても何にもならない』ということです。私は絶えず、何かを求めて生きてきました。それは金だったり、恋人だったり、学校や社会での成功だったり・・・・・。最終的には、そのときの私に欠けていた「しあわせ」を追いつづけていたのです。一生懸命に「しあわせ」になろうとしている私は、今ここ、この時分の本当の有りようを見失って、自分をいつも留守にしていたのです。「しあわせ」になろうとしているうちに、「しあわせ」とはいったい何なのかということも、今この私はすでに「しあわせ」のど真ん中にいるんだという真実も分からなくなってしまいました。今いったん、求めることを止めにします。何かになろうと思わず、自分を坐禅の中に投げ込んで坐禅をします。そうして、初めて坐禅が坐禅をします。私ではなく、坐禅が坐禅をします。と同時に、私が初めて本当の私になり、「自分」をします。
今、現在のネルケ無方禅師は、安泰寺の住職として、また全国各地の講演を通して、
日本人が忘れた「本物の仏教」を説いて回る多忙な日常をこなしています。
ここまでは、この本の前半です。これからが住職としてのネルケ無方禅師の禅修行を通じて、
彼の考える「本当の仏教」を多方面から考察し比較的易しく説いています。
ご興味をお持ちの方もそうでない方にも一読をお勧めしたいと思います。
◆附録◆
先日、恒例の後楽園お庭茶会が催されました。今回は「七夕茶会」と銘打って、
七夕ムードが満喫できる茶会でした。今回は写真を中心に簡単にご報告です♪
:::::::七夕茶会写真集:::::::
◎会場の後楽園内、栄唱亭外観
後楽園内の能舞台に接するこの建物、主として能楽鑑賞の場として使われる建物です。
◎お抹茶を点てて頂くお点前さん(女子大茶道部の学生さん)◎
今回、は全員ゆかた姿で七夕ムードあふれるお茶席でした。
◎会場の床の間◎
御軸は仲 春洋作の「梶の葉と糸巻きの図が掛けられていました。香合もやはり
中村宗伊作の糸巻形で“七夕”の取り合わせでしょうか。
◎本日のお花◎
花入れは夏向きの淡々斎好三友籠でしたお花は何だったかな・・・ご覧下さい。
◎菓子「星に願いを」石原製◎
最初は、おやこのお団子、中の一つが抜けてる・・・珍しいな~なんて思ったけど、よく
考えたら七夕。。。おり姫星とひこ星なんですね、そして串が天の川。頂く時に二つの
団子をもっと接近させなきゃ・・・後で気がつきました。
◎茶「宇鶴の白」辻利園詰◎
◎茶道具類◎
いつものように茶道具一式の拝見で七夕茶会は華やかな雰囲気の中でお開き。。。
◎会場別室でも七夕紙芝居風景◎
女子大生お手製の紙芝居も上演、観客が少なくちょっぴり寂しい芝居コーナーでした。
◎会場「栄唱亭から見る園内風景◎
笹飾りを通して後楽園の園内が遠望できます。
最後までご覧頂きありがとうございます。
宗教に関しては仏教徒でありながら家には神棚があり、
クリスマスも祝うという典型的な日本人の私のこと。
あまり多くは勝たれません(><)
お茶会の様子。やっと見せて頂けましたね。
もう少しアップでお茶道具を観たかったところですが・・・。
お団子のおり姫星とひこ星さんは
パピーさんのおなかの中で逢瀬を楽しんだことでしょう♪
それを外国人が発見して紹介
とっても面白そうな本ですね ♪
私も、自分が日本を離れるまでは
色んな事が見えなくて、日本が大嫌いでした
あなたはアメリカに恋してるから
今、何を言ってもダメだね・・・
と、友人に呆れ顔で言われた記憶があります^^;
「可愛い子には旅をさせよ」と言うけど
海外生活で色んな苦労をしながら
学んだことが沢山あるような気がします
「求めない」生き方ができたらいいですね!
凡人の私達には難しいことだけど・・・
求めないで与えるだけと言う境地は神様仏様
自分の子供に無償の愛を与えることは別として
他人にも与える事ができるかと問われたら
多分、今の私には無理だと思います^^;
人間関係、一方通行では成り立たないし・・・
色々と難しいですね ><
茶道、いいですね~
学生時代は和菓子が食べたくて
文化祭で茶道部へ行った私です(笑)
ミラーレスのカメラ
液晶画面でマニュアルフォーカスは
かなり難しいですね!
というか、不可能に近いかも・・・
ビューファインダーが欲しくなりました
私も、PENは AF で撮影することが多いけど
今、絞り優先モードにトライしています
レンズもキットで付いてきたモノだから
暗くて、思うようなボケが出なくて・・・
やっぱりフィルム一眼のカメラの方が撮りやすくて
思い通りの写真が撮れて楽しい~っ☆
って、値段や品質が全然違うから当然かも(笑)
ミラーレスでも綺麗な写真撮ってる人は
たくさんいらっしゃいますから・・・
私が使いこなせてないダケだって話なので
もう少し勉強して、色んな機能にトライしてみたいです
一緒に頑張りましょうね ♪
書き忘れたこと、思い出しました(笑)
写真の編集ソフトについて
私はフォトショップをよく使いますが
ネットに無料の編集ソフトがたくさんありますよ!
人気があるのはPicmonkey
http://www.picmonkey.com/
フォトショップより簡単なので
良かったら試してみてください^^
いじめ問題が深刻化している今、仏教の慈悲の心を育てるため若年層にこういった本を読んでほしいです。
ところで、小4の長女も学校のクラブで茶華道をやってます。
和の心、大切にしたいです…
宗教書と見ると固くなるので、「無方」師の
人物史として眺めれば、興味も持てるように
思います。
典型的な日本人、確かにそうですよね。平和の
証しなんでしょうか。現在の寺院とお坊さんに
は確かに問題あるようですね。葬式仏教と
言われて久しいのに改革の芽が見られません。
茶道具にご関心お持ちなんですね。ガラス細工
で香合なんか作ってみましょうか。。。
この団子、食べてから気が付いたのです。
ダメですね。気楽な茶席故にリラックスし過ぎ
ですね。次回からは今ひとつ緊張感を持って
参加しなければ・・・
コメントありがとう
昨夜、返コメ書いて送信するのに数字を
入れなくてポチしたら・・全部消えちゃった。
外国から来たとは云え、日本古来の宗教文化
坐禅。
ボクも今まで一度だけ1泊2日の研修で坐禅を
くみに参加しました。これくらいでは本当の
坐禅の良さが理解できなったようで残念です。
現在、坐禅は日本より欧米を中心に海外での
評価の方が上がっているそうですね。
世界中に坐禅道場があるそうですよ。
カナダにもありかも・・・(笑)
「求めない生活」それあは仏教で云うところ
の「慈悲の心」でしょうか。そういった心を
求めて坐禅を組むのも一つかもしれませんね。
お饅頭目当てで茶道部ですか、、、食いしん坊
だったんだcranberryさんは。。。
ミラーレス、液晶画面だけでマニアル・
フォーカスは難しいでしょう。
ボクのカメラもファインダーは外付になって
います。意外に高価なんですよね。
当面はオートで先ずはAFロックとAFフレーム
をマスターしなければ、と思っています。
それからAFモードでのいろんな機能をマスター
すれば、少しは面白い写真が撮れるのでは、
なんて思って参考書を繰っています。
ひとつづつPCに入れて確認してみなければ
機能の程度が解りませんからしんどいです。
初めての機種は大変です。このお茶会にも
新しいカメラを持参したもので、その操作
に気を取られ茶席での半東さんの説明や雰囲気
をつかみ切れなかったもので一本のブログに
出来ませんでした(笑)
ソフトの件、ありがとう。やっぱりフォト
ショップですね。とりあえずカメラに付属
されたソニーのソフトをマスターしようと
思っています。マニアルが電子化されている
もので、ネット上で見てひとつづつ勉強して
ます。案外いろんな機能が備わっているようで
沢山の写真整理や検索なども可能なようです。
いろいろ大変ですが、少しづつでも老身に
鞭して頑張らねば(笑)
コメントありがとう
(週一だから、ついつい長文になって申し訳
ございません)
日本では宗教教育(道徳教育に類似かな)が
全く無視されていることにも問題はありますね。
でも、ボクは「家庭教育」が最も大切だと
思いますよ。
例えば仏壇に毎朝手を合わせている親の姿を
見ながら育った子供には「いじめ」なんて
思いもよらないことではないでしょうか。
「親」になる資格試験みたいなのが必要かな
唯、一定の年齢になれば大人として全ての
権利を与える。って本当にいいことなんだろうか。
進んで、困苦の中に身を投じて坐禅修行を
しようという日本人が少ないそうです。
近所の禅寺の修行僧は全員外国の人々です。
別段、坐禅を組んで修行までしなくっても
本の一冊も読まないで、テレビばかり見てる
親のもとで育った子供達が可哀そうです。
zuzuさん宅のお子さん、幸せですよ。
ちょっと本の読み過ぎかな(笑)
最近は小学校でも茶道部があるそうですね。
この後楽園お庭茶会でも年に1回、小学校の
茶道部の子供さんが「お運びさん」をしに
来てくれることがありますよ。
コメントありがとう
日本に住み、暮らしているから分からないことがあるかもしれません。
キリスト教のなかで育った著者が、仏教徒になる。
日本人より、純粋に仏教について、座禅を組みながら学んで行ったのでしょうか。
是非、読んでみたいです。
「人間は一体何のための生きているのか」
という著者の疑問に答える手段として仏教
の坐禅に求めたのでしょうね。
実際に座って見なければその心は理解できない
と思います。
いや、ボクタチ凡人は座って見ても理解
できないでしょうね(笑)
狛犬さんがご指摘されよにぼく達は仏教国
日本で生まれ育った故にかえって仏教について
真剣に考えることがなかったのでしょうね。
今の日本、心の問題が問われていることが
多いようですね。宗教がその全てを解決する
とは思えませんが、参考にはなるでしょうね。
この本のように比較的簡単に取り組めること
の出来る宗教書がもっと多く世の中に出回って
欲しいな、と思いました。
コメントありがとう
今の本、読み終われば買い求めに行きます。
お茶会も素敵
お団子もメルヘンチックで七夕ムード満喫ですね。