UC(信仰二世)

🐵🙉🐒

【#5】家庭連合に思う事...

2023-09-14 11:11:00 | 日記
続き↓


壊れかけた家庭を時間をかけ修復していき、今は以前よりも関係が良くなり、休日は夫婦で散歩に行き、職場の愚痴や相談を、子供が母親に話すように夕食支度をする母に向かって、父が椅子に座り聞いてもらっているのをよく見かける。

あれだけ母を、心身共にボコボコにしたのに、『お母さんと出会えて良かった』『お母さんが居ないと生きていけない』そして『自慢の子供達にも恵まれお父さんは幸せだ』といつも言ってくれる。


私はこんな両親の元に生まれ、厳しくも優しい兄弟に恵まれて、祝福家庭ではない一般家庭で、しかも信仰二世で、教会的ヒエラルキーでは1番下かもしれないが、劣等感をそこまで感じてこなかった。(祝二から心無い言葉をかけられ傷付いた事は多々あったけど🥹w)


心の中で、『私は貴方よりも劣っている点が一つも見当たらない』と勘違い(?)していた為、表面上はニコニコして言い返さずにいられた。

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話を戻すと、

私の家は雨降り地固まっただけで、アボジがご存命の摂理が激しかった時代に、沢山の壊れた家庭があるのを知っています。

家庭平和を掲げている教団なのに、まるで本末転倒。


私は現役信者ですが、離教二世や反対派の方が出版した本を、ほとんどに目を通し読んでいます。

こんなにも苦しい悲惨な路程の兄弟姉妹が多く居たのかと具合が悪くなるほどでした。

私の家庭が修復することができたのは、

あの教会長の謝罪であり、

父と向き合い土下座までした。

そこから風向きが変わったと思っています。


教会は傷付いてきた二世をこんなに沢山輩出してしまい、沢山の大切な兄弟姉妹を失いました。

被害を訴えている兄弟姉妹に対しては、誠意を持って対応して欲しいと願っています。

そして、それは決して神に背く行為でも、サタン圏の人に屈して頭を下げる事でもないと思っています。

そもそも離れた兄弟姉妹をサタン圏の人と言うのは間違っていると思う。


天の父母様の下の人類一家族と言ってるでしょ?

と思う...。矛盾していると感じる。


自分達は、一つ高い所にいると勘違いをして、傷付けているのは信者の方ではないだろうか...


私は家庭連合によって、傷付く事もあったけど、家庭連合の教えによって救われた。


神様を知らなければ越えられなかった位、苦しかった時期もあった。神様と出会えたのはここ家庭連合があったからであり、自分の価値観は、生まれた時から身近であった教会の教えで培われた部分が大きいので、そんな教会が解散せずに存続するならば、

今後本当の意味で変わってくれる事を、末端信者の私は望んでいます。

ですが、

改革しますと宣言しても、

正直、人や、刷り込まれた価値観は変わっていないので、なかなか簡単ではないと現状感じています。

現場で声をあげると、話が全く通じない層が上にいて呆れる事も多く、

何も分かっていないのね...

もういい!

と全ての意欲を削がれる事も有る。


ここまできて、変わることができないのであれば、

一度壊れれば良いと思っている。


長きにわたり、家庭連合がつくった讒訴条件はあまりにも大き過ぎたと思う。

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【#4】戻ってきた父と母の愛

2023-09-14 10:46:00 | 日記
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自宅で教会長と話しをして、非信者の父が誤解をしていた、大きな内容の一つは、教会の上層部は末端信者からの、巻き上げた献金で贅沢をして生活していると思っていた事...。


教会長を見た時に、贅沢に暮らしていない事は身なりや雰囲気で、そして会話の中から父はすぐに感じ取ったようで、話をするうちに献金したお金は韓国に流れてるいる事、この時に父は理解したのではないかと思っている。


教会長が自宅にきて父と話をし、謝罪をして、そして少しばかり誤解も解いた。

これを機に少しづつではあったが、段々と落ち着いていき、間も無くして自宅に父が戻ってくる事になった...T^T

(私の家は返金されることになった。現在進行形で訴訟してる方もいらっしゃると思うので金額等の詳細は控えます)


この教会長のお陰だと思う。

もう家族全員心が壊れる寸前であったので、神様はこの教会長をその時、送って下さったんだと今はそう感じています。



父が家に戻ってきてしばらくは、すっかり冷え切ってしまい以前のような日常にはすぐに戻らなかったが、そこからの母は凄かった...

父が戻ってきてから、母は父に毎日お弁当を作っていた。もちろん父は持って行かなかったが。

それでも黙って母は持って行くか分からない、お弁当を毎日作り、玄関のドアの前に毎日置いた。


数ヶ月間、一度も置かれているお弁当を持って行かずに毎日ドアの所に放置して出勤していたが、


数ヶ月後、ある日、父が出勤後に玄関からお弁当が無くなっている事に気づいた母は涙が出たと言っていました。その日を境にお弁当は毎日玄関からなくなっていたそう。


母のこの類の話はごまんとある。

(文字にすると安っぽくなっちゃう🥹)

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この一連の献金トラブルは、親戚に知れ渡ってしまった為、しばらくの間、父や両家の親戚から白い目で見られ、色んな言葉を浴びせられた母でしたが、何を言われても、何をされても耐え続け、むしろ逆の対応で返し、愛を持って父に接し続けました。


時間は要しましたが、徐々に父の態度が変わっていくのを肌で感じ【愛でしか屈服できない】を母は言葉ではなく、私に実体で教えてくれました。


(でも今は思う...元はと言えば人のお金を勝手に使い込んだ母が圧倒的に悪いwww)


【#5】に続く→



【#3】教会長の土下座〜父との面会〜

2023-09-14 02:19:00 | 日記
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前任の教会長が逃げ切り、新任の教会長に変わって間もない頃...

我が家に起きている事の状況を把握すると、

その教会長は前任の教会長とは、まるで対応が違い、すぐに父の要求に全て応じる姿勢を示した。


父がコソコソと、弁護士とやり取りしている事も把握したのでマズい...と思ったのかもしれない。


自宅に来て父に会ってくれると約束した。

当日、母に子供達は2Fから降りてくるなと言ったが、心配だったので、階段の曲がり角に隠れて『何かあったら私が間に入ろう』父は普段から躾には厳しかったが、私には絶対に手を出さない自信があったので、直ぐに飛び出していける所にこっそり隠れてスタンバイしていた。


父は荒ぶっていたので教会長は内心、自宅訪問はきっと怖かったと思う...

父は長身でインテリ。  

父に太刀打ちできるだろうか...殴らないだろうか...

と母は不安に思っていたらしいが、

その教会長もまた、超インテリだった(前任はヘッポコ🐣)


チラチラ様子を見に覗いていたが、

父は椅子に座り、教会長は床にひざまずかされ、2時間ほど土下座する形で父のお説教を受けていた。


でも、何を言われても、腹立つ言葉を浴びても、絶対に言い返さずに、父の話しを最後まで聞き、受け答えや、話す内容は、父も言い返せない内容で父への対応は完璧だったと母が言っていた。


そして最後に、その教会長は父に誠意のある謝罪を、膝をついた状態でしてくれた。自分が指示した事ではない尻拭いを全部引き受けてくれた...



『人の本気の謝罪は赦すものだ』と、

そのポテンシャルが父に備わっていた事も有り、最終的に怒りが収まっていた。


教会長が帰る時、母は父に、教会長は単身赴任で一人暮らしである事、生活に余裕がない事を伝えると、『お前も被害者なんだな』と言って『何か手土産を持たせて帰しなさい』と母に言い、冷凍してあった自家製のシュウマイを手渡して、『今日は言い過ぎてこちらも悪かったな』とドアの前で父が教会長に詫びていた。


何もなくて良かった。と膝から落ちるほど、ホッとしたのをよく覚えています。


【#4】に続く→


【#2】謝罪拒否した教会長

2023-09-14 02:10:00 | 日記


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ある休日、父が話し合いの為に一時帰宅した際に、

遂に母に対して"手が出た"。


母は、子供に喧嘩する姿を見せてはいけないと思い、『外出しなさい』と父が帰ってくる度に言われていた為、その場には居合わせなかったが、帰宅すると母の顔が大きく腫れ上がっていた。

母の顔を見てすぐに理解し、私は母に


『もうやめよう...』

『お金返してもらって脱会しよう...』



このような言葉をかけ、泣き崩れ、母は何度も『ごめんね』と言って、私を抱きしめて、玄関で一緒にわんわん泣いたのを覚えています。


翌日になると、真っ黒に変色し、さらに腫れて変形してきた母の顔を見るのはあまりにも辛く、

大きなショックを受けました。

大好きな父が、大好きな母を殴る....

これは中学生の私にはあまりにも耐え難い状況でした。

(※実際には文字にできない程の内容がありました)


こんな状況になっても、母は『お父さんは悪くないの。お父さんを悪く思わないでね。』とこのような言葉をかけられたと思います。


ふざけて父をイジる事はあっても、普段から子供の前では父を悪く言ったり、下げるような発言は絶対にしない母でした。

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父と離れ離れになった事、

大好きな両親が対立している事、

教会の対応があまりにも不誠実だった事、


よほどストレスだったのか、この頃から自分の身体に異変がでてきていました。


そんな状況で、日に日に教会に対して恨みが増していき、自宅の祭壇のご父母様のお写真が目に入れば、倒して伏せてしまう程でした。


そしてある時、二世担当の婦人がクリスマスに

【ハゲ頭と苺 -(著文亨進)と言う本を

『プレゼントだよ。』と、

私に手渡してきた婦人に対して『要らない!』と受け取らなかった時、無理やり『持ってなさい』と強引に手渡してきたので、爆発してしまい

『要らないって言ってるでしょ?』

と言って、本を婦人に向かって投げつけそうになったが、一瞬理性が働き、放り投げるように床に捨ててしまった。

婦人は驚きすぐに私に謝罪してきたが、帰宅後、私は酷い罪悪感でいっぱいでした。


こんな調子で、家庭が悪化するのと比例して教会内ではますます反抗的になっていきました...


ただ、神様の存在は疑わなく、いつも常に自分の中に居た為、神様に『いつまでこんなことが続くのでしょうか?家族一緒に仲良くまた暮らしたい。それ以外は望みません、だからお父さんを返して下さい』と毎日祈っていました。


両親が居て家族仲良く、普通に暮らすただそれだけの事が、どれだけ尊い日々だったのか強く実感しました。

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その頃、父が母と教団に対して提示していた、最終的な要求は『教祖の謝罪』(無理すぎw)『返金』だった。


(※この時期に父はコッソリと【被害者家族の会】に入っていることが判明し、そして弁護士とやり取りしている事も分かった。)


今は笑えるが、当時は真剣に『文鮮明を呼べ!』『お前達がしてる事がいかにおかしな事か分からせてやる!』このような事を言っていた。


自分の要求が、あまりにも無謀な要求であるかが分かると、今度は『献金を指示した責任者を呼べ!謝罪に来い説教してやる。』と言っていたらしい...


すべて後から聞いた話しだが、母が教会長にお願いすると、何とずっと訪問での謝罪を『拒否』していたらしい。(🥹🥹🥹)

おまけに教会長は、なすりつけるように、婦人部長に謝罪に行かせようとしていた。


父は『女性はダメだ』教会の1番の責任者を出せと、婦人部長だったら来るなと、拒否していたらしい。

それでは、『話を聞くので会っても良い、教会に来て下さい』と教会長が母を通して父に伝えたところ、さらに父が怒り狂い、上から目線の態度である事や、普通は謝罪する側が出向く事を注意され、この教会長は更に父を怒らせ、火に油を注いでいた。


後に分かったが、謝罪を拒否していた理由は『サタン圏の人間に謝罪する事は赦されない、神に背く行為だ』と、その教会長は言っていたそう。


この理由は私が大人になってから母から聞いた内容だったが、私は呆れて開いた口が塞がらなかった...


その教会長は自分を守る為に、父の要求や約束を守る事もなく、最後まで父に会うのを拒否し、トンズラした。

しばらく経って、教会長が変わった。

後に、このお方が状況を変えていく、きっかけを作る人となった。(※現在松濤本部職員)


 ⇒【#3】へ続く


【#1】献金がバレた2008年

2023-09-13 10:56:00 | 日記


遡ること15年前、2008年

コンプライアンス宣言が発出させる1年程前のこと。


《非信者の控えめな父》と《快活で熱心な信者の母》の組み合わせですが、夫婦仲が良い平和な家庭でした。


ですが...

ある時、母が管理していた父の資産に、勝手に手をつけ献金に注ぎ込み、その事が父にバレて大噴火した事を皮切りに、そこから壊れかけていきます。


(※後に発覚したのは、父だけではなく、資産のある親戚からもお金を集め、勝手に献金し、その他、生活が大変な祝福家庭に貸していた)



しばらくの間は、両親の激しい喧嘩のせいで家が休まる場所ではなくなり、ストレスを感じながら生活を送っていました。

そして、しばらく続いた喧嘩と、教会の不誠実な対応に呆れて、怒った父が遂に家を出て行ってしまいました。

『行かないで!』と発狂し、『ごめんな、お母さんの顔も見たくないんだ』と言って、家を出ていく父親を見送ったこの時はあまりにも悲しく、当時の事を鮮明に覚えており、思い出すと今でも寒気がします...


ある時、兄弟の部屋からすすり泣く声が聞こえた時に私の心は崩壊寸前でした。


当時中学生だった私は、この一件を機に教会に対して暫くの期間、強烈な恨を持つようになります。


最初の頃、教会は父の要求であった【返金と謝罪】に応じず、段々と状況が悪化していき、


『教会のせいで大好きな父親を奪われた...』

『平和だった家庭を壊された...』


こんな感情を抱いていたので、教会に行くたび、挑発するような言葉を吐いたり、腹が立って教会のガラス扉を蹴り上げて教会長を罵った事もあり『取り扱いに困る子』と言う風に思われていたと思います。


婦人達を見る度に、『貴方もウチからお金借りて先祖解怨したのね?』

自分の家系の解怨を進める為に人に迷惑かけて...

【為に生きましょう】と善人ぶって...

このように思っていたので、所属教会の祝福家庭の婦人達に、嫌悪感を抱いていました。

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話を戻すと、

喧嘩の末、父が家を出て行き別居生活が始まり、両親の喧嘩の声を聞かずにすむ安心感と、父が居なくなった喪失感で複雑でしたが、幸い日曜日の一瞬だけ父が私と兄弟に、顔を見にくる事をしてくれたので、離れて暮らしていても、愛情も感じ、父の存在を失ったわけではありませんでした。


そして、父が怒りをぶつけに一時帰宅した際に、教会からお金を返金させると言って母と話し合いが始まります。


父の人柄は、誰に対しても優しく、腰も低く、普段は控えめで大人しい人です。

非信者ですが、お酒も一滴も飲まない父でした。ですが、この期間は普段から想像出来ないほど、様変わりしていました。

久々に見た父が、飲酒してフラつき呂律も回らない様子をみて複雑な気持ちになった事を覚えています。

お酒で気を紛らわせ、飲まないと、やってられない状態になっていたんだと思います。


『俺は文鮮明の為に働いてるんじゃない、家族の為に働いている』と繰り返し、怒り狂っていました。


男性が外で家族の為に、働いて稼いできたお金を

『教団に持ってかれ悔しい。』父がこのよう思うのは当然だと思う。


続く⇒【#2】