遡ること15年前、2008年
コンプライアンス宣言が発出させる1年程前のこと。
《非信者の控えめな父》と《快活で熱心な信者の母》の組み合わせですが、夫婦仲が良い平和な家庭でした。
ですが...
ある時、母が管理していた父の資産に、勝手に手をつけ献金に注ぎ込み、その事が父にバレて大噴火した事を皮切りに、そこから壊れかけていきます。
(※後に発覚したのは、父だけではなく、資産のある親戚からもお金を集め、勝手に献金し、その他、生活が大変な祝福家庭に貸していた)
しばらくの間は、両親の激しい喧嘩のせいで家が休まる場所ではなくなり、ストレスを感じながら生活を送っていました。
そして、しばらく続いた喧嘩と、教会の不誠実な対応に呆れて、怒った父が遂に家を出て行ってしまいました。
『行かないで!』と発狂し、『ごめんな、お母さんの顔も見たくないんだ』と言って、家を出ていく父親を見送ったこの時はあまりにも悲しく、当時の事を鮮明に覚えており、思い出すと今でも寒気がします...
ある時、兄弟の部屋からすすり泣く声が聞こえた時に私の心は崩壊寸前でした。
当時中学生だった私は、この一件を機に教会に対して暫くの期間、強烈な恨を持つようになります。
最初の頃、教会は父の要求であった【返金と謝罪】に応じず、段々と状況が悪化していき、
『教会のせいで大好きな父親を奪われた...』
『平和だった家庭を壊された...』
こんな感情を抱いていたので、教会に行くたび、挑発するような言葉を吐いたり、腹が立って教会のガラス扉を蹴り上げて教会長を罵った事もあり『取り扱いに困る子』と言う風に思われていたと思います。
婦人達を見る度に、『貴方もウチからお金借りて先祖解怨したのね?』
自分の家系の解怨を進める為に人に迷惑かけて...
【為に生きましょう】と善人ぶって...
このように思っていたので、所属教会の祝福家庭の婦人達に、嫌悪感を抱いていました。
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話を戻すと、
喧嘩の末、父が家を出て行き別居生活が始まり、両親の喧嘩の声を聞かずにすむ安心感と、父が居なくなった喪失感で複雑でしたが、幸い日曜日の一瞬だけ父が私と兄弟に、顔を見にくる事をしてくれたので、離れて暮らしていても、愛情も感じ、父の存在を失ったわけではありませんでした。
そして、父が怒りをぶつけに一時帰宅した際に、教会からお金を返金させると言って母と話し合いが始まります。
父の人柄は、誰に対しても優しく、腰も低く、普段は控えめで大人しい人です。
非信者ですが、お酒も一滴も飲まない父でした。ですが、この期間は普段から想像出来ないほど、様変わりしていました。
久々に見た父が、飲酒してフラつき呂律も回らない様子をみて複雑な気持ちになった事を覚えています。
お酒で気を紛らわせ、飲まないと、やってられない状態になっていたんだと思います。
『俺は文鮮明の為に働いてるんじゃない、家族の為に働いている』と繰り返し、怒り狂っていました。
男性が外で家族の為に、働いて稼いできたお金を
『教団に持ってかれ悔しい。』父がこのよう思うのは当然だと思う。
続く⇒【#2】
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