書いてみるぞい。
ひとり部屋で日記としてノートに書けばそれはそれで済むのだけども、ここで書くのには意味があって、私の文章をじっくり見に来る事は無くとも目に触れるだろうし、目にした時にどう感じるのかを見たかったから。
そうだなぁ…無人駅で、地元の人がごく稀に来る様なシチュエーション?で歌を歌う様な感覚に近いかな。
家のお風呂で声を出すのはリラックスして気分が良い。いくらでも歌える。
けども人気の殆どないとはいえ外で知らない場所という条件で歌うのはそれなりに気合が必要だ。
人からの見えない反応が怖い
たとえ相手が何も感じなくとも、先回りして身構えてしまうのだ。
SNSで発信する人達も不特定のアイコンに対して自分の思いを伝えるのでしょう?
私もやった。
信じているものに対して主張をしていた。
共感してもらったり嬉しかった。
でも急に怖くなった。
別に誹謗中傷の類を受けたとか、無視されたとかそんなのは一切ない。
ただ
「今の自分は何?」
「作られた 自分?」
「私は相手の眼を見て対等に会話出来ているの?」
そんな思いが押し寄せて来てしまい操作する指を引っ込めてしまったのだ。
昔からの人の仕草や表情を見る私の癖がこのSNSでも如実に表れてしまうなんて、笑っちゃうよね。顔なんてない2次元アイコン相手なのに。
私のこの厄介な性格は生まれつきでは勿論なく、活発な幼少期だった。寧ろ活動過多な方だ。
でもある事がキッカケで、適応しなければならなくなった。
常識という名の「洗礼」を受けたのだ。
それは誰でもが迎える当たり前の通過儀礼かもしれないが、更に追い討ちを受け過剰適応を起こしてしまいそれ以来人形みたいになってしまっていた。
年齢とともに態度は大きく図太くなって来たと思うが、意見を言う時に胸が詰まったり、呼吸が浅くなるのは変わらない。
大人数の前でテンションが異常にハイになって押さえつけるのに苦労したな。
「退避部屋」いう名の誰も居ない空間に暫く留まって精神を落ち着かせようとしたもの。
トイレや踊り場 空き教室も好んで選んでた笑
勿論休み時間とか放課後とか。
いつもではなかったから、多少浮く程度でなんとかやり過ごせたはず。
でも職場ではそういった場所はごく限られてるし、職場環境によってはお局に行動全てを監視されるという目にあった時は流石にしんどかった。
(それがたまたま、お局の休憩時間中にどうしても確認しないといけない事態があって聴きに行った時に邪魔したんだかで、機嫌を損ねて憂き目にあったんだよ。
ターゲットにされ最終的に精神的に追い詰められた
苦き思い出)
今は訪問職という天職をやっている。
移動は1人だし、対面する人数も少ないもの。性に合っている。
気の合う仲間も多くはないけどもいる。
現実世界では申し分ない。
今のところはSNSだけ。そっちは抜けたり入ったり好きに出来るもの。
でもこのままではいけないって思っているの。
よくSNS更新していたのに期間空くと
「何しているんだろう」
「来なくなったよね」
必然的に思念として出てくるものなんだけど、一つだけ
「どうした?」
何か別の感覚が…
私の心を探られてる?
そうなんだ 何故かこの「フォロワーさん」は何らかの形で名前やキーワードで目にするんだ。
実は私が必要としているからだろうけど。
何もかも自分妄想スレスレで困るw
別の吐露場所が折角用意されているんだけどもあそこ強すぎて爆此処だから想いを吐露出来る唯一の場所
大切にしたい。
よし、いくらか楽になった。
この場を提供してくれてありがとう。
やってみるよ。