出かけるのも少し楽になったので京都へ行った。5年ほど毎日見ていた碑であったが女性が働く繊維工場の跡だとずっと思っていた。「八重の桜」を観て初めて学校跡だということを知った。「本邦高等女学校之濫觴 女紅場址」日本初めての高等女学校という意味らしい。
写真を撮ってしばし眺めていたら「あら~」と自転車に乗った女性に声をかけられた。数年前までは一年に一度5月1日会っていたが最近2,3年も会っていなかった。町の真ん中で偶然と言えばあまりにも偶然だった。八重さんのおひき合わせかもしれない。
写真を撮ってしばし眺めていたら「あら~」と自転車に乗った女性に声をかけられた。数年前までは一年に一度5月1日会っていたが最近2,3年も会っていなかった。町の真ん中で偶然と言えばあまりにも偶然だった。八重さんのおひき合わせかもしれない。
一か月以上カンカン照りだったこの夏、やっと雨が降った。あちこち暴れまわる豪雨と違って平穏に降っている。
藤圭子が自殺したとのニュースが駆け巡った。まだ銀座も新地も飲み屋すら知らなかった時代、どこか投げやりで退廃的な雰囲気を漂わしながら歌う彼女はそのかわいらしさと妙に不似合いながら心にしみるものがあった。すっと長い間彼女には薄倖のイメージが付きまとっていた。新宿のやぐらの上で歌っていた映像はいまだに忘れられない。やがてヒットを連発し2度の結婚をしアメリカに住み、ベガスで遊びまくり大金を持ち歩くなど大金持ちになってしまった。娘も大成功した。もう何の興味もなかった。そこに今度の事件である。真相は知る由もないがあえていえばやっぱり薄倖の女だったのかもしれない。
藤圭子が自殺したとのニュースが駆け巡った。まだ銀座も新地も飲み屋すら知らなかった時代、どこか投げやりで退廃的な雰囲気を漂わしながら歌う彼女はそのかわいらしさと妙に不似合いながら心にしみるものがあった。すっと長い間彼女には薄倖のイメージが付きまとっていた。新宿のやぐらの上で歌っていた映像はいまだに忘れられない。やがてヒットを連発し2度の結婚をしアメリカに住み、ベガスで遊びまくり大金を持ち歩くなど大金持ちになってしまった。娘も大成功した。もう何の興味もなかった。そこに今度の事件である。真相は知る由もないがあえていえばやっぱり薄倖の女だったのかもしれない。
松江はついこの前も行ったしなんだか訪れた好きな街の一つだ。その松江市の教育委員会がこともあろうに
学校図書館に「はだしのゲン」の開架をやめ申し込まなければ読むことが出来ないように指令した。
はだしのゲンは中沢啓治氏が自身の被爆体験をもとにし先の少年Hと同じく子供の純粋な目を通して
原爆、戦争のおそろしさ、愚かさを描いた漫画名作である。多くの小学校で教材としても使われている。
安倍内閣、維新の会の改憲、戦前回帰と期をいつにしていると言わざるを得ない。
一昨日まであった教育委員会の直通メールアドレスは削除された。
学校時代3カ月 当時京都にあったはだしのゲンの出版社、汐文社でアルバイトしていた。
学校図書館に「はだしのゲン」の開架をやめ申し込まなければ読むことが出来ないように指令した。
はだしのゲンは中沢啓治氏が自身の被爆体験をもとにし先の少年Hと同じく子供の純粋な目を通して
原爆、戦争のおそろしさ、愚かさを描いた漫画名作である。多くの小学校で教材としても使われている。
安倍内閣、維新の会の改憲、戦前回帰と期をいつにしていると言わざるを得ない。
一昨日まであった教育委員会の直通メールアドレスは削除された。
学校時代3カ月 当時京都にあったはだしのゲンの出版社、汐文社でアルバイトしていた。
盆も過ぎてやがて夏も終わりというのにとにかく暑い。今週いっぱいは続きそうだ。
台風もおいそれと近づいてこない。
暑い中甲子園球場に高校野球を見に行ったのが一番の思い出というのも情けないが
それでも級友と会えたことはやっぱり記憶に残りそうだ。
鈴虫とはいかないが夜になるとどこからか虫の声が聞こえてくるようになった。
鈴虫の声
台風もおいそれと近づいてこない。
暑い中甲子園球場に高校野球を見に行ったのが一番の思い出というのも情けないが
それでも級友と会えたことはやっぱり記憶に残りそうだ。
鈴虫とはいかないが夜になるとどこからか虫の声が聞こえてくるようになった。
鈴虫の声
この暑さに昼間出かけるのも億劫になるので朝9時から映画「少年H」を観てきた。
以前から小説は知っていたが戦争の悲惨さとか少年の苦労とかが先に立って読むのも見るのも
躊躇していた。
声高に反戦を叫ぶでもなくまた戦争の悲惨さを強調するでもなく淡々と広島から
神戸に出てきた敬虔なクリスチャンの洋服の仕立て屋の息子Hの目を通してあの戦争が何だったのか、
その時大人たちとりわけ父親がどんな行動をとったのか深く考えさせらる映画だった。
当時神戸に住んでいた我が家ではどうだったのか、父親は母や娘たちにどんな話をしたのか
映画の途中からずっと水谷豊と父がだぶっていた。
さすがに年配に人が多かったが久しぶりに満員の映画館だった。
公式HPから 画像をクリックしてください。
以前から小説は知っていたが戦争の悲惨さとか少年の苦労とかが先に立って読むのも見るのも
躊躇していた。
声高に反戦を叫ぶでもなくまた戦争の悲惨さを強調するでもなく淡々と広島から
神戸に出てきた敬虔なクリスチャンの洋服の仕立て屋の息子Hの目を通してあの戦争が何だったのか、
その時大人たちとりわけ父親がどんな行動をとったのか深く考えさせらる映画だった。
当時神戸に住んでいた我が家ではどうだったのか、父親は母や娘たちにどんな話をしたのか
映画の途中からずっと水谷豊と父がだぶっていた。
さすがに年配に人が多かったが久しぶりに満員の映画館だった。
公式HPから 画像をクリックしてください。
南北海道代表の北照高校が出るということで小樽生活13年の友人に連れられて甲子園球場に応援に行った。
初めて高校野球のアルプス席で応援団と一緒にそろいの帽子や道具を持って応援してきた。
とりわけ暑い今年の甲子園 どうなる事かと思っていたが銀さんの下は比較的涼しく
風も吹いて楽な観戦が出来た。
試合は残念ながら完封負けだったがなぜかみんなそんなに残念がる事もなく淡々と引き上げていた。
甲子園
(読み込みに少し時間がかかります)
初めて高校野球のアルプス席で応援団と一緒にそろいの帽子や道具を持って応援してきた。
とりわけ暑い今年の甲子園 どうなる事かと思っていたが銀さんの下は比較的涼しく
風も吹いて楽な観戦が出来た。
試合は残念ながら完封負けだったがなぜかみんなそんなに残念がる事もなく淡々と引き上げていた。
甲子園
(読み込みに少し時間がかかります)