2016/6/21(火) 午後 10:32
最近いい年になってやっとわかってきたのですが、上司が優秀でエクセレントでなくてはいけないということは全くないです。
個人が独立しているように見える職種や職場だと、特に上司のエクセレントさを求めがちですが、組織はそうでもないのです。
悪いことをされるのは困るが、良いことを積み重ねてもらう必要も特にないのです。
自分の希望と組織の理は往々にして等しくないのです。
自分が優秀であれば上司が優秀である必要はなく、組織にとって不足のある自分がいるのです。組織にとって不足がちな自分らしさを埋めるのは大変で、偉くなれないことに諦めるか、方向転換することも求められます。
しかし、全国的にみてもエクセレントな上司であれば、(一般的には)部下は明らかに楽です。
人の生は修行であるといいますが、自らの至らなさを自覚しつつ最期まで生きていくというのは、なかなか厳しいものです。
至らなさの自覚がないと、病気になってしまったり、病気の初期設定が行われてしまったり、関係者が重い病であったりすることがあるかもしれません。病気だけでなく、貧乏であったり、いつも切なかったりするのではないでしょうか。
組織での生活も、自由生活も、自らの至らなさという部分への自覚を促すという意味では同じですね。
こんなことを書いていますが、そんなにさらっとしている感じでもありません。