デパス発エチゾラム行きからの脱出

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1-2週間の気付き 認知の差異

2022-08-28 21:11:00 | 日記
エチゾラムの断薬に伴い、新たな境地に立つ、拓くこともある。おそらくは、四感が不完全となったことで、想像する力を得たのであろう。

まさに感覚が不完全なのであるから、物理現象としてのリアルの世界とは摩擦や軋轢が生じる。それは、容易に想像のつくことだ。

例えば、1-2週間の間は、皮膚の張りも普段とは全く違う。

私は、特に意識して、回復の基準を皮膚の張りに置いている。四感を失った状態をエチゾラムの断薬による離脱症状だとして、それの状態であると、皮膚がピンと張ってしまう。

皮膚が張った状態であると、顔の毛穴は脂汗を分泌する。
毛穴が脂を出すのは、スキンケアを謳うウェブサイトでは、乾燥が原因だと書いている。そして、乾燥させないために保湿を十分に行うことをすすめてくる。

しかしながら、私の断薬による症状は、皮膚の乾燥という幻を認知して脂汗を分泌しているが、実際は特に乾燥しているわけではないのだ。

全く難儀なものだ。断薬の症状が薄まると、皮膚のつっぱりが取れて、途端に毛穴が開き、肌質が変わる。私の場合は、急にヒゲが生えてくる。物理現象と感覚の認知に差異が生じていることのわかりやすい例である。

1-2週間の認知

2022-08-28 19:45:00 | 日記
エチゾラムの断薬による1-2週間の認知。

嗅覚を除く四感が減衰している。夢の中のようなぼんやり感の中で日々を迎える。ウクライナでは、旧宗主国のロシアが戦車のキャタピラによる轍を刻んでいる。その瞬間をぼんやりと過ごしている。戦争における一瞬。その前後の事象の差異は圧倒的なものだ。

エノラ・ゲイがマリアナから広島へ飛んで帰る時間には、大きな結果が伴う。
エノラ・ゲイは原爆を落として、一瞬で十万人の広島市が壊滅した。が、エチゾラムの断薬では人は死なない。そんなドラマチックな事象は人生では起こりづらい。起こりにくい。

1-2週間の長さで人生が大きく狂うことなどは、まず、ない。焦らずにゆったり楽しめる時間であることを理解して楽しみを享受しよう。少なくとも、この境遇は9歳の時に克服していたドラマなのだ。なんという気付きだ。くだらないが尊い。

このような四感の衰えで見える世界。それは、気付きの連続である。
ハンドリングの妙はあるが、他人のいろいろが見えてもくる。

あのおじさん、なぜ公道で大声で世間に話しかけていたのか。サヴァン症候群という名の天才病。祖母の認知症。全て概ね理解できるようになる。そういう意味では、たった2週間でこれほどの学問を習得することなどまずはない。

1-2週間の過ごし方

2022-08-28 19:20:00 | 日記
人間の自覚する時間。それは、私の年齢になると恐るべき速さで過ぎていくものだ。誰しも、子供の頃の時間の経過と社会人10年目では、全く異なるものだという認知があるだろう。

子供と大人では、1分あたりに吸収すべき知識がまるっきり異なるものだ。身体が成長するか、老化現象に任せるか、その時点で吸収する知識の質は、まるで異なる。

生きる術と生きる時間の記憶では、性質が異なる。

横道に逸れることも善しとしよう。エチゾラムの断薬の記憶を全て忠実に残すこと。それは、自身の記憶として残すべき有意義なものだ。
そして、他人とシェアすることで、他人の認知の一助となれば、この上なく嬉しいものである。

エチゾラムの離脱症状があるとされる1-2週間。
即断すると、非常に長い。昨日のことと記憶しそうになる事象が今日のことになる。やたらと時間の経過が遅いのだ。

昼に見た久本雅美のTV番組が、3日も前のことのように思えるほどに、時間の経過が遅い。
ちなみに、久本雅美のTV番組は、八丈島観光のプログラムであった。

私は、普段はTV番組は見ない。
寧ろ、人生においてはくだらないTV番組は、雑音でありノイズであるとの認識で、徹底的に排除している。

言ってしまうが、TV番組の有用性に気づいたのも断薬のおかげである。私程度の意識でも、断薬の苦しみは、総じて新たな経験として有効活用できるものだと思うのだ。

断薬の1-2週間。これは、社会人としての1年レベルの長さだと思える。寧ろ、そういう類の時間軸の存在を定義して、世に広く認知されてみれば面白い。

その遅い時間。失われた(感度の減衰した)四感を埋める作用があるのか、やたらと子供の頃の記憶が脳内に去来する。昔の出来事や考え方、辛かったこと。そして、それらの乗り越え方。断薬による四感の衰えを以て、成長途上の子供の身体に起きた異変と心の認知の記憶が蘇るのだ。大の大人が取り組む悩みも、既に9歳の自分が克服していたと分かれば、それは大きな励みとなる。

子供の頃、肉体的、精神的な発達の過程で、その2局の和か積か、いろいろなことにぶつかっている。私の中で、四感が減衰した状態。つまり、今、最も重大なトラブル案件にも対峙し、克服した記憶がある。実にあっけらかんとした記憶である。

こういう脳の皺に刻まれた記憶。それがピンチになるとどうにかしようとする仕組みは面白い。
30年を越えてやってくる。そう思うと長生きはするものだ。経験は生きてくる。人は等しく生きている。

いろいろな気付きがある。のだ。

1-2週間

2022-08-28 18:44:00 | 日記
エチゾラムの離脱症状が顕在化するのは、1-2週間とのことだ。ネットで調べた限りでは、そういうことだ。

「調べる」ことの弊害は、後に述べたい。

少なくとも、私には、夜、普通に過ごしていた寝室の壁面には人の顔が現れて、自分の顔では、顎から下がなくなってしまった感覚が「ある」のだ。

これが異常でなくて何なのだろう。

少なくとも、「異常である。」とウォーニングしなければ、正気ではいられない。「断薬のせい」「コロナワクチンの副作用のせい」など、直近のイベントを疑い、その精にせねばならない。

「神の声を聞いた」「天使に悪戯された」が、主語であってはならない。もう少しだけ現実的に認知行動をとらなくてはいけない。

そう思うと、神の声や予言、お告げを頂く選ばれた人間には、眉唾してかからなくてはいけないのであろう。その辺りの思いも、落ち着いたら書こうと思う。

そして、1-2週間であっても、それらが「断薬の症状」であっても、とてつもなく辛く長い時間であろう。


デパス エチゾラムとは

2022-08-28 18:25:00 | 日記
デパスという名前で急速に拡まっていった薬がある。イタリア、韓国、日本ではポピュラーな薬だそうで、使用用途は抗うつに留まらず、肩こりや筋肉痛にも処方されているそうだ。

斯くいう私は、そのジェネリック薬であるエチゾラムを服用していた。その薬の成分名が薬剤の名前になったものだと思っている。

それからの脱出をテーマにブログを書くことは、ワン・イシューなので、扱いやすいと思った。また、ネット上には参考文献はあれど、自身の持つ症状を述べるものがない。
ならば書いてみようと思った。

斯くしてエチゾラムを断薬して2週間。
自身を見まったのは、かつて味わったことのないものであった。

まずは離脱。簡単に言えば夢の中にいるような気分になること。ただし、向き合うのは間違いなく現実。リアルな世界との対峙である。
五感のうち、なぜか嗅覚のみは健全で、他は一歩(かどうかは分からない)不測している。そんな不完全で世界を見る。もちろん異状だ。

それらは、ロスト・コントロールへの不安を呼び起こす。五感のうちの四つが芳しくない。それに伴って奇異な行動をしてしまわないか。

こういう場合、急激な変化に対峙することを想像して悶えてしまう。五体満足な自分が急に手足を失ってしまったような変化。
現実には無論起こる可能性は低い。手が徐々に感覚や機能を失っていくことはあるだろうが、あくまで徐々にである。1日や2日で起こり得ることではない。

それらに恐怖すること。

それは、想像以上に辛いことだ。

私は、配偶者に伝えることにした。
「現在のところこんな感じ」なので「次に起こるのは、〜が考えられる」ので、正常を保つ手伝いをして欲しい。

それを頼んだら少し落ち着いてきた。