毎日新聞2018年1月23日 東京夕刊『特集ワイド』
日本人と祈り、山折哲雄(86)さんに聞く
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年初、初詣の行列で男女の会話が耳に入った。
「やっぱり正月は神社だな」と男性。
「なんで?」「さあなあ」「50円でいいかな」「100円だろう」。
2人は長いこと手を合わせていた。誰に、何を祈っているのか。
生老病死、その中でも究極の祈りは死に向かうときだろう。
高齢化で終末医療や死があふれる時代。
日本人の祈りについて教わろうと・・・
以前、ナイジェリアの上空で急降下する旅客機に、
特派員だった私が居合わせたときのこと。
乗客約150人の悲鳴が響く中、誰かが「ジーザス」と唱えると、
別の一団は「アラー」と叫び出した。
機体が地上200メートルほどまで落ちると、「アラー」と
「ジーザス」が共鳴し絶叫は大音量に。
私は傾いた機内から窓の外を見ながら、激突となれば飛行機を
支えようと右手を伸ばす愚かな行為に及び、
「こんなとき、誰に祈ったらいいのか」と孤独な気分になった。
そんな話をすると、山折さんは「ほおー」と興味を示した。
米国で生まれ、父は僧侶。幼い頃から日本人の宗教観、死生観
を考え続けてきた人だ。
祈りには合格祈願、家内安全などいろいろだが、死に際しての祈りこそ、
その人の、その国民の個性が表れるはず。
山折さんなら、答えを持っていると思った。
「学界の権威を批判し、研究職を完全に干され、欲求不満の塊だった
30代の終わりのことです。
胃をやられているのに酒を飲み続けて吐血し、緊急入院したんです。
意識を失う直前、5色のテープを吹き流したイメージが現れ、
いい気持ちで吸い込まれていきました。
虹のグラデーションみたいな、あんな美しい映像は見たことがなかった。
(評論家の)立花隆さんに話すと『それは臨死体験だよ』と。
そのとき、私に祈りの言葉はなく、『逝ってもいいや』という気分でした」
危機のときの日本人の祈りについて考えてはきたが、いまだに明答はないと言う。
代わりにと2001年9月11日に起きた米同時多発テロの話を始めた。
「その夜、米国のブッシュ大統領が演説の最後に旧約聖書を読み出すんですね。
『死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません』
といったダビデの詩編を。
米国の指導者は危機のときに聖書を持ち出すんです。
その半年後、小泉さん(純一郎首相)と京都の学者との食事会があったとき、
私は問いを一つ持って行きましてね。
『ブッシュさんはああ演説したけど、もし、東京の首相官邸がテロにあったら、
小泉さんは何と言いますか』と。さっと座が白けましてね。
小泉さんはしばらく天井を見据え、『何もないな』という返事でした」
予想はついていた。「日本人には聖書のような言葉はない。
小泉さんだけでなく、自分にもない。
祈り、神仏への日本人の信頼の度合いは非常に淡いと、そのとき思いました」
以前、戦争体験者が私にこう話していた。「仲間はみな『おかあさん!』
と叫んで死にましたよ。『天皇陛下バンザイ』と叫んだ者など一人もなかった」。
そんな話をすると山折さんは「確かに特攻隊員の遺書も『おかあさん』が多い。
自分が出てきた元へ帰りたいのか、日本人はアラーでもジーザスでもなく、
やっぱり『おかあさん』なんですね。それか、すぐにあきらめの境地に至るか」。
確かに、日本人は死に対して淡泊な印象がある。
では、「偉大なる何か」にすがらない一般の日本人は一神教の信者とどう違うのか。
「一神教の人が神にすがるのは基本的には契約です。
絶対神と人間が個々に垂直につながっていると信じているから、
契約を果たしてくれと神の名を呼ぶ。
日本では個と神との1対1の考えが育たなかった。
それより他者との関係をすり合わせ、妥協する共同体的な調和を大事にした。
だから、個という考えは借り物なんです」
個人差はかなりあるのに、例えば「アラサー」「アラフォー」と自分を年齢
や出身地、出身校、職業などの枠に収めて安心しがちなのが日本人かもしれない。
組織ぐるみの不祥事の発覚に何十年もかかるのも、個が集団に埋没するためだろうか。
16年に出版した「『ひとり』の哲学」(新潮選書)が今も書店で平積みにされている。
「個」より、日本人になじむ「ひとり」という言葉を広め、生きる指針を示すのが狙いだ。
<ひとりで立つのは、けっして孤立したまま群集の中にまぎれこむことではない、
無量の同胞の中で、その体熱に包まれて生きるのである>。
それを個々人が体得したとき
<はじめて、われわれ人間同士の本質的な関係が回復されるにちがいない>。
山折さんは執筆動機をこう語る。
「戦後一気に広まった個や個性という考え方は西欧のように定着しなかった。
その意味を吟味せず、教育に取り入れることもないまま、
ただ個の尊重という言葉が独り歩きしてきました」
昭和1桁生まれの山折さんは終戦時、14歳だった。
「疎開先の岩手県で天皇さんの言葉(玉音放送)を聞いたとき、
瞬間的に解放感があり、民主主義への転向は当たり前でしたが、
全てのことに二面性があるという考えが身につきました」。
このため、山折さんは戦後世代を「純粋培養された近代的少年」
と呼び、その理想主義や過激主義を常に疑ってきた。
そして、彼ら戦後世代が「個」を独り歩きさせ、現代の閉塞(へいそく)を
もたらしたと思うに至った。
「個性を叫ぶ一方、平等幻想があるから、比較が好きな世代です。
性格や容貌、経済の良しあしを比べ、自分を安定させようとするが、
うまくいかない。
どうしても人との違いを見てしまい、次第に嫉妬が出てくる。
『比較地獄から嫉妬地獄へ』と私は呼んでいます。
嫉妬から人を引きずり下ろし、徒党を組んで人を攻撃する。
ツイッターもそれが強いでしょう。
嫉妬地獄が国民的な広がりを見せるとき、社会全体がうつ状態になる。
産業でも学界でも学校でもうつ病が多発し、
その中のごく少数が抑圧から爆発し、異常な殺人や自殺に向かう」
そんなうつ状態から抜け出すには人の目や空気、世間を気にせず、
自分は自分という「個の確立」が求められるが、その考えが根づかない。
「そこで『ひとり』が解決の糸口にならないかというのが私の問題意識です」
「借り物」の「個」よりも、周囲との調和を重んじ、
俗っぽさも欲望も絡めた「ひとり」という居場所を考えてほしいというのが
山折さんの願いだ。
西洋的な「個」と日本的な「ひとり」との間にある微妙な違いを考え、
自分たちは何者かを見いだした先に、日本人ならではの祈りが見えてくる
のかもしれない。
【紹介】 「ひとり」の哲学
現代人よ、「孤独」をそんなに悪者にするな!「独居老人」「孤独死」など、
まるで「ひとり」が社会悪であるかのように世間は言う。
が、人は所詮、ひとりで生まれ、ひとりで死ぬ。
「孤独」と向き合うことで、より豊かな生を得ることができるのだ。
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