老態自己観察メモ

2017年12月5日現在73歳、日々変わりゆく自分。
その目線には変わりゆく世界、その変化を日記として記録する。

身の回りのシンプル化を意識的にする!

2017-12-27 15:36:08 | 老態観察

12月になって身の回りのシンプル化を意識的にしているが気分爽快である。
一時流行った『断捨離』の実践かも知れない。
日々無意識に実践している人と気にしながら出来ない人もいる様だ。
関連して「成程!」と頷ける記事に出会ったので書き留めて置く。
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2017年12月24日 04時02分(最終更新 12月24日 04時02分)

(新・心のサプリ)  『年末の大掃除』 by 海原純子(心療内科医)

 片づけが上手な人と下手な人がいる。
片づけが上手な人は捨てるのも上手なことが多く、すんだもの、使わないもの、
自分にとって不要なものを実に上手に、素早く捨てることができる人だと思う。

 私の母も捨てるのが上手で、あまりにもうますぎて私には理解不能なことが
しばしばだったが、そのおかげで家の中に不要なものが一切置かれることなく、
きちんと片づいていた。

 片づけが上手な人は捨てるのも上手な人なのだと最初に気がついたのは
小学生のころで、クリスマスプレゼントにと母へ贈った木製の卓上写真たてが
数カ月後、ゴミ箱に捨てられていたのをみつけた時で、その時はかなりのショックだった。
ただ、母のものの見方からすれば、写真たてに写真を入れて飾れば、
置いた場所を掃除しにくくなるということらしかった。
引っ越しの時にアルバムが数十冊ゴミ出しされており、驚いて回収したこともあったが、
アルバムはあってもみることがまずないし、そのために収納スペースを設けるのは
無駄だし、倉庫に入れればそれこそ入れっぱなしになるだけだ、
という理論なのだった。確かにそう言われればそうなのだが、
アルバムはたとえしじゅうみることがなくても「そこにある」ということに意味がある
と反論して救出した。

 極めつきは中学生のころ大事に飼っていてよくなついていた2羽の手のり文鳥が、
学校から帰ったら突然いなくなっていたことだった。文鳥と遊んでいて勉強しないから、
という理由で2羽とも知人にあげてしまったというのだが、その喪失感は今でもはっきり
覚えていて、思い出すと胸がキュッとつまる。
子どもだから親に従うしかなかったが、大人になったら自分のものの見方で必要と
不必要を決めよう、と心に誓った。

 

そのせいだろうか、私はものを捨てるのがうまくない。

いただきもののぬいぐるみが捨てられない。送られてきたお手紙が捨てられない。
洋服でも、随分昔のものが捨てられない。
雑誌で「1年着なかったものは処分するのがよい」と片づけ特集をしていても、
捨てられず置いてあるものが多い。
ものに思い出があったり、何かしらの思いがこめられているものを捨てることが
できないのだ。

 以前、読み終わって今後読まないであろうと思われる本を処分したことがあるが、
その後ひどい喪失感におそわれ、以後は本を処分するのはやめようと決めたが、
そのために再び部屋が本に占拠されて片づかない。

 年の暮れ、今年は捨てるのではなく、誰かに使ってもらえるものを仕分けして、
家の中を整理しようと思う。思いがこめられたものや思い出があるもののなかから、
その思いだけを心の中にしっかりとおさめ、整理していくのが本当の片づけ上手
なのかもしれないなあ、と思ったりする。

 


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