kazzdokkのひとりごと

酒呑みの翁の日常の出来事

晩秋のうつくしま、ふくしま(其の壱)

2013年11月16日 | Weblog

久しぶりの連休。女房殿と一緒に行ったことのない福島まで紅葉を見に行こう。

たまたまコンビニで日本の街道という本を立ち読みしていると、日光街道大内宿が紹介されていた。
大内宿に立ち寄り会津若松に宿泊して、猪苗代~安達太良山を経由して二本松菊人形まつりを見物する一泊二日の小旅行へ出掛ける計画をたてた。

歴史にあまり興味のない女房殿は、史跡・旧跡だけのコースでは満足しないだろう。
サスペンスドラマに出てくるような景勝地が好きなので、大内宿へ行く前に”塔のへつり”という場所に立ち寄ってみた。へつりとは会津地方の方言で「川に迫った険しい断崖」という意味らしく、実際川向うはかなりの断崖絶壁である。
同時に渡れるのは30人までと書かれた吊り橋を渡って往復するのだが、観光バス到着後は30人どころじゃなく、橋の端をドスドスと歩く人もいて、吊り橋は左右に大きく揺れる。
女房殿も少し怖がっていたが、そのうち怒りに変わってきて「明らかに30人以上いるだろうが。渡りきるまでそっちで待ってろよ」と、聞こえるような聞こえないような微妙なボリュームで文句をたれていた。(怖)



大内宿まではやや遠回りだが、混雑を避けて旧街道を突っ走る。

茅葺屋根の民家が並ぶ宿場は、爺と婆を江戸時代にタイムスリップさせてくれた。
この宿ではネギを箸代わりにして蕎麦を喰らう風習があるようなのだが「食べ終わった後、そのネギどうするの?」と、女房殿の小さな疑問を解消できず、十一割蕎麦なるもので腹ごしらえをすることになった。
十一割蕎麦とは、蕎麦粉十割、つなぎ一割であり、冷静に考えれば九割蕎麦なのである。
100歳を超えた婆さんが、囲炉裏で岩魚を焼いている茅葺屋根の古民家で食べる蕎麦は、九割ではなく100%美味しかった。



 

会津若松市に入り、ホテルチェックイン前に飯盛山へ。言わずと知れた“会津白虎隊”が自刃した場所である。
墓所まで向かう道の両脇には多数の土産屋が軒を連ね、どの店にも大河ドラマ“八重の桜”のポスターが貼られている。

彼らの墓前では、袴姿の女性が白虎隊のテーマ曲?に合わせて剣舞を披露しており、それを見た女房殿が「あー、前に来た時もこれやってたわ」とひと言。
「えっ、会津に来たことあるの?」
「うん、独身の時に、病院が企画したバス旅行で来たことあるよ」
「え~、知らなかったよ」
女房殿が会津に来たことがあることを初めて知った。



鶴ヶ城にも来たことがある女房殿が経験していない場所で夕食を摂ろうと、複数の案から決めたのは、会津郷土料理「渋川問屋」
渋川問屋は固より、周りの商店にも必ずと言って良いほど“八重の桜”のポスターが貼られていた。
元々海産物問屋だったこの店のメニューは、鰊の山椒煮・鰊昆布巻き・鰊の天ぷら・棒鱈の煮付けがメインで、これにこづゆ・舞茸の炊込ご飯といったものが付く。
今の世では質素とも思えるこのメニューを、趣のある歴史的建物で味わうのは乙なものであり、女房殿もこれには満足してくれた。
爺もこれらを酒肴に会津の冷酒を呑んで大満足。



 

ホテルに戻りシャワーを浴びた後、チェックインの時にいただいた会津ほまれ二合徳利の無料券をポケットに忍ばせ、1階にあるレストラン ラ・メールへ。
会津の郷土料理と会津の酒で、爺は大満足。

 

熱燗を呑みながら、ふと思った。
女房殿と知り合ってから30年ほど経つが、互いに知らないこともまだまだあるんだろうな~、と。
その女房は今、ホテルの部屋でひとり、バレーボール・ワールドグランドチャンピオンカップの日本×ドミニカ戦に釘付けである。
初めて2人で来た会津若松のホテルに置かれていた新聞のTV番組表を見て、こうなることは間違いないと予測していた。

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