「自分がしている仕事に対して、こんな仕事なんて言葉は使ってはいけませんよ。」<o:p></o:p>
その言葉は当時の私には重くのしかかった。<o:p></o:p>
「そう言われても、こんな仕事しかないからしょうがないじゃないか。そもそも就職氷河期世代の自分達は時代に恵まれなかったんだ。」<o:p></o:p>
と言い返したかった。しかし、そんなことを考えたことすら恥ずかしくなるような雰囲気を持ったAさんに言い返すことはできなかった。<o:p></o:p>
それから、自分の仕事の誇れる部分を探すように心がけた。介護職は絶対に必要な仕事だ。自分の仕事によって救われている人も大勢いる。さらには「ありがとう」の言葉も沢山もらえる仕事だ。自分の仕事を好きになるように意識してみた。しかし、現実はそんなに簡単ではなかった。<o:p></o:p>
認知症の患者さんには怒鳴られ、看護師には邪魔者扱いをされ、相変わらず空気のような存在だった。それでも、自分の仕事に誇りを持つのはとても難しかった。<o:p></o:p>
Aさんはついに、理事長の秘書という立場にまで上り詰めた。突然の人事に周りは驚きの声をあげていたが、私としてはAさんが介護職という仕事に留まる人ではないと感じていた。<o:p></o:p>
理事長の秘書になったAさんは、職場の改革を行なっていった。まず、私たち介護職にとって大きな変化だったのは、サービス残業がなくなったことだ。それまでは、1時間早く出社して、2時間程度の残業が当たり前だったのだが、2時間の残業がなくなった。<o:p></o:p>
次に看護師の会議にも介護職が出席して意見が言えるようになった。<o:p></o:p>
私も交代で会議に出席したが、意見は言えなかった。しかし、会議の場に出るだけでも自分たちのような介護職も組織の一員だと思い出すきっかけになった。<o:p></o:p>
そこから、介護職と看護師の関係もよくなっていったように感じる。挨拶をしてくれるようになったし、時々看護師も仕事を手伝ってくれるようになった。ようやく自分達が空気ではなく一緒に仕事をするメンバーになれたという気持ちだった。<o:p></o:p>
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