メンターから教わった成功哲学

資産2億円以上。手取り18万円の介護職からスタートした私が成功するまでのストーリー。

第21話

2023-09-19 07:00:00 | 日記

私は早速、それまで住んでいたアパートを引き払い。この一軒家に引っ越しをした。引っ越し代も最小限にするために、冷蔵庫や洗濯機や身の回りのもの以外はほとんど処分することにした。いろいろなものを捨てているうちに、これまでいかにつまらないものにお金を使い続けてきたかを反省した。これを買わなければ、1万円は手元にあった。これを買わなければ3万円は手元にあった。そんなふうにものを捨てながら、お金持ちになりたいと言いつつも、全くそんな風にはできていなかったということを思い知らされた。

 

家賃を減らすと、それまで以上にお金が貯まった。運が良かったことに、田舎ということもあり、近所の人が野菜を分けてくれたりもした。また、田舎のスーパーは価格も安く、食費も節約をすることができた。

 

そうしているうちに、いよいよ学校へ入学する時期になった。貯めていた貯金で入学金や教科書代も支払うことができ、前期の学費を支払いしても手元にいくらか残る状態だった。職場の上司に退職することを伝えたが、金曜日、土曜日、祝日や学校が夏休みの期間だけパートで夜勤をさせてもらうことになった。それで月10万円程度は稼ぐことができた。

 

家賃は5,000円に抑えられていたし、それ以外にはローンは抱えていなかったので月10万円の収入でも十分に生活することができた。今までローンに追われて、給料日を待って、毎日銀行の残高と睨めっこするような生活を続けてきた私にとって、ローンがなく、意識せずともお金が貯まっていく生活というのはこんなにも快適なのかと思い知ることになった。

 

この頃から、私はお金を使わない生活を徹底しようと考えた。メンターはお金を使って、どんどんお金を稼ぐことを推奨してきたが、今までの私の性格などから考えても、ビジネスを起こしてバリバリと成果を残せるタイプではないことは薄々感じていた。ナンパの指導の時にもほとんど声をかけることもできずに1日を終えていたくらいだ。私が何かのビジネスを始めたとしても、営業能力は高くないし上手くいかないと考えた。

 

そこでメンターに相談をした。

“メンターからはお金を貯めることよりも、自己投資にお金を使って才能を活かすように勧めていただきました。しかし、私にはメンターのようにビジネスを起こして成功できるタイプではないような気がしています。”

 

メンターからはこのようなアドバイスをいただいた。

“確かにお金を貯め続ければ、必死に努力をして成功をしようとするよりも楽かもしれない。僕はどちらかというと攻めの成功を意識していたし、僕のメンターからもそのように教えられてきた。だけど、N君は守りの成功にチャレンジしても良いかもしれないね。”

 

この時に、「攻めの成功」と「守りの成功」ということを意識することになる。さらにメンターはこのように付け加えた。

“しかし、守りの成功を目指すのであれば中途半端ではいけないと思う。お金が貯まれば貯まるほどに様々な誘惑がN君を襲ってくる。それに目もくれずに徹底的にお金を守ということをしなければいけない。それはN君が想像しているよりもきついことだと思いますよ”

 

その時の私には、お金を使わないという守りの成功がなぜきついことなのか想像できなかった。しかし、メンターはその先の未来までお見通しだった。メンターはこのように教えてくれた。


第20話

2023-09-18 07:00:00 | 日記

運良く最初の学校から合格通知が届いた。入学金は30万円程度、年間の学費は100万円程度、それに教科書代などを合わせると初年度は160万円ほどかかる計算だった。運良く入学まで半年の猶予があったため、どのようにすればいいかメンターに相談する時間があった。

 

メンターはこう言った “まずは固定費を徹底して見直しましょう”

 

私は生活費を安くするために、まずは引っ越しを考えた。初期費用は安くても15万円ほどかかる。しかし、4万円家賃を下げることができれば4ヶ月で初期費用は回収できる計算を立てた。4万円の家賃を下げるとなると、実質家賃は2万5000円が上限になる。私は不動産会社に行き、家賃2万円で無いか探し始めた。

 

今でもはっきりと覚えているが、家賃2万円を希望していると不動産会社に伝えると門前払いに近かった。

 

「そんな価格では1件もありませんよ」

半分笑っているかのように不動産の男性は言った。そこで、私はどうするべきか考えた。とにかく、合格をもらった学校の近くを歩いてみることにした。

 

学校が田舎だったこともあり、周りは田んぼや古い民家が沢山あった。その中でも入居者募集と旗を出しているところは、聞いてみると家賃は安くても4万円からと言われた。そこで、ある計画を思いついた。

 

私はどう見ても空き家の一軒家を見つけた。近所に住んでいる方に話を聞くと、その住人はすでに亡くなっているとのことだった。息子さんが都会にいるので、誰も管理できていないという話を聞けた。そこで、息子さんの電話番号を聞き電話をかけてみることにした。

 

「私はNと申します。近所の○○学校に来年から通うことになりました。近くで家を探しているのですが、誰も住んでいない一軒家を見つけて、失礼ながら息子さんのお電話番号を教えていただきました。」

 

事情を話すと、家をきれいに扱ってくれるなら貸しても良いとのことだった。金額は月5,000円で良いとのことだった。かなり運が良かったと思っている。

 

かなり長い間放置されていたのだろう。ドアは軋んで、靴下が真っ黒になる程に埃が積もっていた。カビ臭い匂いに、ゴキブリのフンがあちこちに撒き散らかされており、一瞬心がめげそうになった。

家具類は全て処分して良いとのことだったので、使えそうなものだけを残して、残りは粗大ゴミで出すことにした。ゴミの処理費用で1万円近くかかったが、それでも家の中が空っぽになると自分の基地ができたようなそんな気分になった。

 

タンスには住んでいた方が使っていたであろう洋服や、台所には埃にまみれた食器が残っていた。それでも、埃を取って換気をすればそれなりに見える状態にまですることができた。


第19話

2023-09-17 07:00:00 | 日記

読書はほぼ、毎日1冊の本を読めるようになってきた。読むスピード、理解するスピードが上がったというのもあるが、隙間時間をうまく活用できるようになったのが大きな要因だと思っている。今でも本を常に持ち歩いており、10分の時間でも本を開いて読む癖がある。その癖を身につけたのもこの頃だ。

 

メンターの秘書としてアイデア料を頂き、債務整理の借金を返済し終わった後で私はこんなことを考えるようになっていた。

「徹底してお金を貯めたら、より早く成功者に近づけるのではないか」

 

そのことをメンターに相談するとメンターは、最初はあまり乗り気ではなかった。

“Nさんは、お金を自分の成長に使って、その才能を活かせる仕事に就くことができるはずだ。お金を貯めることについては反対しないが、必要だと思えるところには積極的に使ってもいいと思う”との返事だった。

 

当時の私にとって、成功者とはお金をたくさん稼ぐ人のことだったので、それもそうかと納得した。債務整理を支払った後に残ったお金が50万円ほどあったので、15万円をメンターにお礼として渡し、残りの35万円で最初のメンターの指導の通りにオメガの時計を買った。

この時にはメンターに選んでもらって中古のスピードマスターを購入した。

 

この時計も手放してしまうのだが、今となってはかなり深く後悔している。メンターに選んでもらった時計はお金以上の価値があるのだが、当時の私にはそれが分からずに売却してしまった。

 

そこで私は、借金も0、貯金も0というまっさらの状態になることができた。

 

手取り20万円、メンターへのお礼に5万円。残りの15万円でひと月生活することになるのだが、メンターの指導が始まってからは物欲も収まっており、それほど節約せずとも少しずつのお金を手元に残せるようになってきていた。ボーナスはほぼ全額貯金することができ、100万円ほどの貯金が貯まった頃にメンターから次の課題を与えられる。

 

詳しい職業はこのブログには書かないが、とある資格を取得しなさいというものだった。資格取得のためには学校に通う必要があったため仕事を辞めざるを得なかった。貯金も100万円しかない状態の自分には収入の道が断たれると生きていくことができるのか一瞬だけ躊躇した。

 

だが、この先の不安よりも楽しみの方が大きかった記憶がある。その日のうちに自宅から通える範囲の学校へ資料請求を行った。受験日は早い学校で翌月。英語や小論文などの入試科目だったが、知識はほぼ0に近い状態である。そうであれば、手当たり次第、受験して受かった学校に行くしかないと思い、試験日と願書の締め切りを一覧にして早い学校からすぐに願書を郵送した。


第18話

2023-09-16 07:00:00 | 日記

メンターの秘書として、メンターと過ごす時間が増えたことで私は多くのことを直接的に学ぶことができたと思っている。<o:p></o:p>

 

その当時、私が取り組んでいた課題であった読書は、いつの間にか趣味に変わっていた。1日1時間の読書という課題だったが、1時間では終わらずについつい3時間以上読むこともあり、ほぼ毎日1冊くらいのペースで本を読むようになった。読むのはミステリーから時代小説までジャンルを問わずに読み耽った。<o:p></o:p>

 

私は読書とメンターの側で成功者の振る舞いを学んだおかげだと思っているが、その頃から私はかなり女性にモテるようになってきた。女性からは知的だと言われることが多くなり、介護職の仕事をしていると言うと、「勿体無い、もっと給料がいい仕事に就けるはずだ」と、そんな言葉をもらうようにもなった。<o:p></o:p>

私は他人よりもかなり性欲が強い方で、毎晩のように誰かを家に誘うか、誰かの家に行ってセックスをするという日々が続いた。その過程で多くの女性を傷つけてしまったと反省をしているが、それほど性欲というのは止めようがなかった。<o:p></o:p>

 

そんな中でも読書は続けており、眠っている女性の隣で本を読み耽った。性欲が止められないことをメンターにも相談したが、メンター自身も性欲はかなり強いようでそれ自体について何か言われることはなかった。それでも課題をしっかりと続けている自分を褒めてくれることもあった。<o:p></o:p>

 

メンターはとある大企業からコンサルティングの依頼を受けており、その企業に同行することがあった。問題点を探して欲しいという企業からの要望に対して、メンターから私に意見を求められた。私は、その時の思いつきでメンターに「こうしてみてはどうでしょうか?」と伝えてみた。すると、それがかなりいいアイデアだったようで、その企業は特許を取得して順調に事業規模を大きくしている。その時にはアイデア料としてまとまったお金を受け取ることができた。そのお金のお陰で、毎月コツコツと返済していた債務整理中の借金を一気に返済することができた。<o:p></o:p>

 

この時に、メンターから言われたことがある。<o:p></o:p>

Nさんの才能は着想ですね。着想というのは、新しいものを生み出すアイデア力のようなものですが、全く新しいものを考えるのではなく、あるものとあるものをくっつけて新しいものを生み出す能力です。例えば、鉛筆と消しゴムは全くの別物ですが、それをくっつけてしまって、消しゴム付き鉛筆を思いつくような感覚です。」<o:p></o:p>

メンターから才能について言われたのは初めての経験であり、嬉しかったのを記憶している。<o:p></o:p>


第17話

2023-09-15 07:00:00 | 日記

主任になった私の給料は15000円ほど上がった。さらに毎年の昇給で5,000円程度上がったので手取りは20万円弱になった。収入の25%をメンターに支払う約束になっていたので、45,000円から50,000円に増額された。しかし、不思議と嫌な気持ちはせずに、むしろもっと沢山の恩を返せるようになった自分が誇らしかった。<o:p></o:p>

 

今では指導は受けていないが、当然収入が上がった分、指導料はかなりの高額を支払っている。しかし、メンターが居なければ私は今でも手取り18万円の介護職の時代から抜け出せていなかったはずだ。どれだけ指導料を払っても、受けた恩に報いることができていると思えないほどの多くの恩を受けた。<o:p></o:p>

 

私が一番長く取り組んでいた課題は「読書」だ。それまで全く本を読むことがなかった私に読書を教えてくれたのはメンターだった。メンターもかなりの読書家で、時間さえあればすぐに本を取り出して読む習慣がある。かつてのメンターの自宅には大きな書斎があり、床から天井まで本が積み上がっていた。まるでファンタジー映画に出てくる魔女の部屋のように本に囲まれていた。<o:p></o:p>

 

メンターからの指導は毎日1時間、読書をしなさいというものだった。選ぶ本は、自己啓発本やビジネス書と呼ばれる類の本以外なら何でもいいと教えられた。私は、早速近所の古本屋に行き数冊の本を購入した。全く本を読む習慣がなかった私にとって、1時間という時間は長く感じて苦痛だったが、初めに取り組んだナンパの課題などと比較すれば容易いものだった。<o:p></o:p>

 

ちょうど、私が読書を習慣とする課題に取り組んでいる頃、メンターは「研修に行くのでしばらく連絡が取れないから、読書の課題を続けてください」と言ってしばらく連絡が取れなくなった。メンターにも師匠が居て、その師匠の課題を受けているのだろうと想像していたが、まさにそうだったようで、「研修」から帰ってきたメンターは別人のような風格を漂わせていた。<o:p></o:p>

それまでのメンターも誰が見ても成功者という雰囲気だったが、その日以降のメンターはいくつものビジネスを同時に展開したりと、凄まじい勢いで様々なものに取り組んでいた。<o:p></o:p>

 

そんな時に、メンターはとある成功者の集いの責任者的な存在になったと聞かされた。人手が足りないから、私には秘書をしてほしいと頼まれ、その日から私はメンターの弟子でありながらも、秘書という存在になった。秘書といっても給料が出るわけでもなく、介護の仕事で生活をしながら、指導料を払いながら、1日の終わりにメンターの書類などを整理する。支払いなどを代理で行う程度の秘書だった。<o:p></o:p>