あ ど れ な り ん

主にブルベを中心に趣味と日頃の鬱憤を晴らすために書こうと思います。

2018 RM0810 R札幌 2400 / Around Hokkaido 2400 その13 まとめ

2020-05-22 19:39:54 | ブルベ
主な出来事と共に一枚絵にしてみた


・睡眠時間が余りに短いんじゃないか?と思う方が居ると思いますが、
 自分はカフェインの錠剤を飲んでいまして、これがテキメンに効くタイプの人間です(睡眠時間はブログ内の記述の方が正確です)。

・2400のシリーズの最後を書いているところで泣けて来た。
 あの時泣けなかった分、今泣くことが出来た。
 これで本当の終われたのかもしれない。

・網走でDNFしたNさんは、その後、何回かに分けて網走から帯広までを走りきった。
 Nさんが自分より遅い完走者だ。

・2400を走る前は、絶対走りきるぞという思いが凄い強かった。
 自分は良くラジオを聞くが、5月のGW後くらいから全く聞くことを止めた。
 何か、番組の世界に引きずり込まされてしまう感じがするし、余計な情報が入るのが嫌だった。
 テレビは持って無く、ネットでロードレースを見る程度だった。
 これまでスポーツにここまで集中したことは無かった。
 思いが強いと自然とこの様な行動を取るんだなと思った。

・2400完走後は参加者に会えなかったが、その後のブルベでは色んな人に再会し、知り合いになることが出来た。
 あの時はああだったとか思い出話を語れることが楽しい。
 また、知り合いの知り合いは知ってる人ということが結構多くて面白い。

・2400を走ったことで、この後のブルベには余裕を持って望むことが出来るようになった。
 逆に緊張感がなさ過ぎて怖い。

・この後の10月に1000kmブルベにも出たけど、11月の後半から体調を崩し、12月中頃には帯状疱疹も発症してしまった。
 一年のうちに肺炎、帯状疱疹という免疫が下がったことで罹る病気を2度も経験してしまった。

・この次の年のパリ・ブレスト・パリには無事参加することができたが、時間内の完走はならなかった。
 なぜだか分からないけど、モチベーションが高まらなかった。
 自分の中で、この2400kmというのを走りきったというのが大きかったかもしれない。
 そもそも、ブルベを続けてこれたのは達成感だけれども、真に自転車に乗ることを楽しんでいるのか?
 ブルベを楽しんでいるのか?と思うと、どちらも出来ていない気がする。

・このブルベでリカンベンターのピーター・ヒールさんに会ったのがきっかけで本格的なリカンベントを購入した。
 ロードバイクだと下を向いてしまい、余り景色を楽しめていないな。もっと楽しく走りたい。
 そんなことも重なったことが理由だ。
 ごく、最近になってやっと走り出したけど、結構難しい。

・これを書いているのは2020年5月22日のコロナ禍が一旦終焉を迎えようとしている時(一枚絵の作成は18年末)。
 自分でも訳が分からないけど、自転車に乗るモチベーションが凄い下がっている。
 上述の様な病気が重なったり、実は切れ痔が治らなかったり、手の腱鞘炎も治らなかったりと、そういった体への負担の積み上げが原因なのかもしれない。
 今は在宅勤務で仕事も繁忙期を外れている。そんな訳でかなりストレスが無い状態。
 こういうストレスが無いと逆に何かをやろうというやる気が起こらないのかもしれない。
 いや、ちょっと分からない。
 今は自転車の整備一つとっても今までのように楽しさを感じられない。面倒だし疲れを感じる。

次の大きな目標としては、ロンドン・エジンバラ・ロンドンと、その先に本州一周TTを掲げているが、やっぱりモチベーションが上がらない。

ブログは続けるつもりだけど、ちょっとこれも疲れるんだよな。
しばらくお休みするか、PBPのレポートを書くかどうしようか。

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これにて、2018 RM0810 R札幌 2400 / Around Hokkaido 2400 シリーズの完結とします。
途中でデータが消えたりとかして、完結に恐ろしく時間が掛かってしまいました。
自分で始めたことなのに、終わらせることができず、ずっと気にかけていました。
これでやっと肩の荷が降りた気がします。

最後まで読んでくださった方がいらしたら、本当に嬉しいです。
ありがとうございます。

また、改めて運営を担当したランドヌール札幌の皆さん、道中応援してくださった皆さんに感謝申し上げます。
ありがとうございました。

2018 RM0810 R札幌 2400 / Around Hokkaido 2400 その12 釧路~帯広

2020-05-16 20:35:57 | ブルベ
自分は物事の最初は覚えていて、後半は忘れる質だ。
釧路~帯広間は道程がシンプルで天気も穏やかだったため、スムーズに移動できたと記憶している。
逆にその間のことは余り覚えていない。
そんな、8月19日。スタートから10日目。ついに最終日がやってきた。
残り130km。

記録を見ると5時過ぎには移動を開始している。
リミットが12時間伸びたので、17時11分までに着けば良い。
疲労困憊で両膝も痛いが、これだけ有れば何とか走りきれるだろう。
朝もやの中、朝食を食べるために近くのコンビニに入った。

朝の気温は13~14℃ほどだったと記憶している。
前日に釧路入りして初めて気づいたことだけど、都市部は誤差の範囲で天気予報が当たるが、
都市部を離れるとその範疇ではなくなり、気温が下がるようだ。
山に行けば寒いというのは体験していたが、平地でもこういった違いが有るというのは初めてだった。

 そういうことか…

こういうのは体験しなければ分からないものだ。

早起きしたのは、もし調子が良ければ打ち上げに間に合うのではという淡い期待も有ったからだけど、
ここまでの疲労と両膝の痛みでスピードは出せず、とにかくゴールを目指すことにした。
とはいえ、この日は朝から気温が上がり、風も弱く順調に進むことができた。

残り80kmくらいで、これなら行けると確信めいたものを感じることができた。
そう思うと少し余裕が出て、ここまでの苦労を思い出した。
帯広入りで躓いたこと。膝痛。雨風に悩まされたこと。低気温の中を走り続けてきたこと。
ホテルや宿の人の驚きや励まし。
入って間もないクラブのLINEには、合間合間にメッセージを送っていたが、
みんな自分を励ましてくれて、励ましの声がなかったら続けられなかった。
すれ違うオートバイのツーリストには、何度もサムズアップを貰ったりして元気を貰った。

 頑張っている人に対しては励ましてくれる。普段は分からないけど世の中は良い人が溢れているんだ。

それが分かった途端、走りながら涙が出そうになってきたけど、まだ泣くのは早いと思って我慢した。
人の優しさを実感できた。
それが分かっただけでも、このブルベを走れて良かった。
今ここで倒れてしまったら、とても残念に思うだろう。
でも、後悔は無い。そう思えた。

最初に書いた通り、途中のコンビニに寄ったり、釣りをしている人達の後ろを走ったりなど、断片的な記憶しかない。
あとは道東より街が点在しており、安心して走れたことくらい。

浦幌の厚内トンネルを出た辺り


浦幌十勝川橋の端


やがて、十勝川に着いた。10番目。最後のフォトチェックポイントにやってきた。
時間は11時前。残り、51km。
ここまで来れば大丈夫だ。
後はゆっくり確実に進むよう心がけた。

十勝河口橋の看板と。ここは天気が良かった。


写真を撮る余裕が出てきた。十勝川。


この後も休憩したが、記憶が断片的だ。
次の記憶は帯広の町中になる。

交通量もだいぶ増え、都心部に入ってさらに蒸し暑く感じたのを覚えている。
とにかく事故に合わないよう、気をつけながら走った。

あと20km。
あと10km。

最後はやっぱり泣いてしまうのかな?
倒れ込むのかな?
そしてガッツポーズ?
クラブのみんなにはどうやって伝えたら良いか?
そんなことを考えながら走っていた。

あと5km。
あれ?雲行きが怪しくなってきたぞ?

あと3km
あ、雨降ってきた

あと、2km
遂に最後の曲がり角に来た。と思ったところで、雨が本格的に振り始めてしまった。

 (-゛-;) イラッ

また雨かよ!
結局、10日のうちで完全に雨に振られなかったのは、9日目だけ。
最後も雨という巡り合わせの悪さに苛ついてしまい、感動のゴールどころではなくなってしまった。
致し方なく、レインウェアを着てゴールのコンビニを目指した。

2403.2km地点 セブンイレブン音更木野大通西店
時間は13時57分。
遂にゴールに到着した。

誰も居ないので、ゴールを間違ったかな?と思い、場所を確認していると、
吉田さん他スタッフの人が出てきて、迎い入れてくれた。
ここがゴールだと分かり、やっとホッとすることができた。
以外にも倒れ込むこともなく、(イラッとしてたから)感情がこみ上げるようなこともなかった。

コンビニの中で領収書と写真の確認をして貰い、認定を受けた。
自分より遅い人はおらず、記録を見ても延長時間を使ってゴールしたのは自分だけということで、ダントツの最終走者となった。
その後は、簡単に道中の辛かったことや、同時開催のクローバー1200の話などをした後、お別れした。

スタート地点に戻ってきた。
9日前にここを旅立ったんだなという感慨と、一人だけの旅の終わりに寂しさを感じながら、少しだけ思いに耽った。

十勝大橋


十勝川インフォメーションセンター案内図の前


宿に戻ると、オーナーの人が無事と達成を喜んでくれた。
部屋に入ったら、当然シャワー。速攻で着替えたらベッドに入り、爆睡した。

朝の4時頃目を覚ますと、LINEにクラブの人達が次々に達成を祝福するメッセージを送ってくれていてとても嬉しかった。
クラブに入ったのは、旅のドキドキやワクワク、達成したときの喜びを共有したかったからなので、
それができたことにも満足した。

朝は2回も食事をし、急いで自転車の箱詰めをして帰りの準備を進めた。
そして、昼前に帯広空港へ。
この日は久しぶりに帯広でも30℃近くになったはず。
もう少し早くこんな日が訪れてくれていたらと思わずにはいられなかった。

爽やかな気候で気分は良いが、参加者と会って話すこともできず、ちょっと寂しい気持ちも有りながら出発を待った。

やっと北海道らしいもの(?)を食べることができた


晴れていた


帰りの飛行機は予定通り行けるようだ。
時間になると、飛行機は安堵と心地よい疲労感を乗せて帯広を飛び立ち、北海道を後にした。

こうして、北海道一周2400kmブルベの挑戦は終わりを告げた。

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※Around Hokkaido 2400 シリーズは統括編として、その13が有ります。

2018 RM0810 R札幌 2400 / Around Hokkaido 2400 その11 根室~釧路

2020-05-09 16:19:35 | ブルベ
8月18日。スタートから9日目。
9日目は本来であれば3時起きで納沙布岬を周り、その後、浜中、釧路で仮眠、帯広へゴールの予定だった。

当日は7時起きだったと思う。
宿の人とは昨晩は殆ど話せなかったので朝食を食べながら、ブルベの事を話した。
45分頃には出る予定だったが、鼻血が出て来てしまい、横になることにした。
左側は手術をしたので、何かきっかけが無くても出てしまうことがある。
この日はそれだった。
普通の鼻血であれば15分ほどすれば収まるが、なかなか収まらないので焦ってしまった。
またDNFが頭にちらついたが、30分以上も経ってから何とか収まり、8時30分を過ぎて出発することができた。
納沙布岬から同じ場所に戻ってくるので、不要な一部の荷物を宿に残しておいた。
民宿たかの

晴れているが風が冷たく、レインウェアを羽織った記憶がある。
1時間ちょっとで納沙布岬に到着した。意外と遠かった。

2097.9km地点。8つ目のフォトチェックポイントととなる。

本土最東端(2020年現在)


根室の市街地の近くのどこか


この後は一旦、宿に戻って荷物を回収した。
途中で間食を食べ、一路、浜中(霧多布)へと向かう。
この区間は民家、商店が無い。そういった意味で気をつけて走らなければならない区間だ。

昼になって気温も上ってきて暑さを感じた。
この日は弱い向かい風か横風だった気がする。
釧路までは起伏が激しいので、順調に進むのが難しい区間だ。
海岸沿いを走っている間は木々が無く、一つ先の道路の起伏が見えた。
落石というところから、若干内陸に入ると木々の間を走る道路になった。
巡航中の最高速度は22km。体温が上がらないせいもあるだろう、
木陰の間を走っている間は若干肌寒く感じた。
車の通りも少ないので熊が出るのではないかとヒヤヒヤしながら走った。

こんな感じの道が何キロも続く


海沿いはこんな感じ


やがて、浜中(霧多布)に到着。
コンビニで飯を食っていると、吉田さんからSMSで今どこに居るのか問い合わせが来た。
現在の場所を返すと、この先は熊出没区間なので日が明るいうちに抜けるように言われた。
それを早く言ってよと思ったが、北海道はどこもそうなのだろう。
どこが危ない地域なのかは調べておいたが、全区間を把握するのは難しい。
「無理せず、とにかくゴールすることだけを考えましょう。」と言われた。
この時までは、打ち上げには出たいと思っていたが、無理だと悟った(打ち上げ開始は翌日の昼)。
釧路で一泊することに決め、PCの近くに宿を取った。

浜中はモンキー・パンチの出身地でルパン三世の登場人物の旗(?)が飾られている。
それがフォトチェックポイントとなっている。
2187km地点。時間はちょうど16時。

次元、五右衛門、不二子も居ましたよ。


今日はまだ85km有る。
先を急がなくてはならないが、9日目になって、ついに右足だけでなく左足も痛くなってきた。
もう、まともにペダルを回せない。
走り始めて数キロの琵琶瀬展望台というところでクリートをいじるとかしてみた。
何とか再始動。
熊に怯えながら走ったはずだが、次の記憶は厚岸のコンビニまで飛ぶ。

厚岸のコンビニに着いた頃にはすっかり日が暮れ、寒くなっていた。
この日はここからも辛かった。
気温がどんどん下がり、厚岸から10kmほど先の尾幌というところで、遂に10℃を下回って9℃になってしまった。

 え?まじかよ?

日にちは8月18日。標高も10mくらいのはず。
予報は11~12℃だったし、低地でこの日付でこんなにも寒くなるとは思いもしなかった。

釧路までの国道44号の途中は名前は無いが峠のようなところを通る。
そこはもっと寒いということではないだろうか?
着られるものは全部着て、顔にも手ぬぐいを巻いて走った。

やがて上述の峠の様なところに着くのだが、ここは標高は明らかに高いのに気温は11℃になっていて混乱した。
実際、先程より暖かく感じる。
北海道とは本当に不思議な土地だと思った。
ここに来て、またクリートをいじった事を覚えている。

寒さに耐えながら、何とか釧路に到着。
寒かったので、うどんを食べたいと思って店の前まで行ったが自転車の置き場所がない。
諦めてコンビニで飯を買って、宿に行くことにした。

22時前、2272.9km地点。PC9のセブンイレブン釧路寿町店に到着した。
本当は仮眠だけでさっさとゴールしたかったが、この寒さと両膝の痛みでは途中で野垂れ死にしてしまう。
今日も200km走ったので十分だろう。

その後は急遽予約した宿へ。
しかし、宿に着いて、目が点になった。

 ふ、古い… (;・Д・)

扉を開けると、変な匂いが…

 カ、カビくせぇぇぇぇぇ!!!! ∑(`ロ´;)

昭和だ。完全に昭和だ。自分の推測だと30年代の建物じゃないかと思う。
玄関には誰のものと分からないくらい靴や物が雑然と置かれたりしていて、人を向かい入れる「宿」とはとても思えない。
一時的な滞在なので安い所を選んだが、限度というモノがある。
ツーリスト達がまとまって泊まるライダーハウスという扱いらしく、個室素泊まり2500円くらいだっただろうか。
安いのだから文句を言うなと言われるかもしれないが、Googleレビュー3.7は信じられない。
なんで3以上の採点なのか不思議でならない(飯が旨いらしい)。
おばさんは良い人だったけど、呼んでも誰も出てこないし。
銀燐荘

部屋もカビ臭かったが、暖房が効いて暖かい。寒さを凌げるだけでも良しとしなければ。
風呂には入らず、体拭きシートを使った記憶が有る。
ついに明日がゴールだ。とにかく寝て、明日に備えよう。
疲れているのだから当然だ。布団に入ったら直ぐに寝入ってしまった。

2018 RM0810 R札幌 2400 / Around Hokkaido 2400 その10 斜里~根室

2020-05-05 10:51:01 | ブルベ
8月17日。スタートから8日目。
朝の4時半頃起きると生憎の雨だった。
気温も10度ほどしかない。
走り出せるかも不安だったが、ワセリンを体中に塗りつけてゴシゴシと擦り体を温める方法を思い出してそれを実践した。
ウェアを着込み、体の前にはタオルを入れた。

今日は根室までの225kmを走る。
雨の中を走り出すと、ワセリンとタオルのおかげで思ったより寒さは感じなかったので、これは行ける!と思えた。

天に続く道


海沿いに出ると荒れた波が断崖に叩きつけるのが見えた。
風が強く、下を向いて雨と風を凌ぎながら先へ進んだ。

7時42分。1889km地点。PC7のセブンイレブン斜里ウトロ店に到着した。
ここでは雨が止んでいたような気がする。
食事をした後、知床峠へと走り出した。
このブルベでは最後の厳しい峠になる。

登り口にある知床自然センターに着くと、ちょうど吉田さんから電話を貰った。
もう8時を回っており、車の往来が結構有ることを告げると安心してくれたようだ。

膝の痛みは続いているものの、登りの間は雨が上っており助かった。
しかし、峠の近くになると再び天気が怪しくなり、峠に到着すると暴風雨の中だった。
ここまでで一番強い風が吹付けた。
そしてメチャメチャ寒い。
それもそのはず。気温はなんと6度しかない。

気温6℃


知床峠


こんなところには居られない。
上記の写真を撮ってから急いで下りへと進んだ。

雨に濡れた体で下りは寒いこと寒いこと。
風も強くて自転車が煽られ、体はガタガタになってまともにまっすぐ進めない。
危ないので山側のクリートを外してゆっくり下った。

下りきって羅臼の街まで来ると、晴れ間が戻り、気温も16~17度を越えていたと思う。
予定通り、道の駅「知床・らうす」で休憩することにした。

ここで昼食的なもの(うに丼とか)を食べたかったがそれほど余裕はない。
結局は軽食だけで済ませた。
体温がなかなか上がらず、思ったより長居してしまった。

ここではキャンパーの男性に会い、「2400kmなんてすごいですね。ブルベやってる人は尊敬してしまう。」
「できれば前を引いてあげたいけど、ルール違反なんですよね?」なんて言われたりした。
なんかありがたい。

道の駅を出た後にロキソニンを買いたくてドラッグストアに寄ったが、取り扱っていないとのことだった。

この後は中標津へと向かう。
途中でさすがに暑くなってレインウェアを脱いだが、場所が悪く熊が出るのではないかとヒヤヒヤした。

中標津までは気温も上って順調に行けたと記憶している。
途中でバイクツーリングの集団とすれ違い。めちゃくちゃ応援された。本当に有り難かった。

中標津に向かう途中


少し雲が出てきた


7番目のフォトチェックポイントである開陽台へ到着した。
最後の急坂の途中で突風に煽られたので、思わず自転車を降りて押し歩きをした。
開陽台に着いたが、残念ながら誰も走者が居なかった。

フォトチェックポイントにて


景色が良かった。


この後、中標津市街へ入ると時間は16時を回っており、既に肌寒く感じたのを覚えている。
ロキソニンを購入しに薬局に寄った際、いつもこんなに寒いのかと聞くと
「これくらい寒いことは良くあるが、今年は暑いのと寒いのが極端だ。」と言っていた。
タイミングがことごとく悪いようだ。
時間は17時。早めの夕飯をラーメン屋(ラーメンさんぱち中標津店)で取ることができた。

味噌かな


夕方だが虹が見えた


この後は厚床を経由して根室まで行く。
途中で別海という街でお祭りが始まるところに出くわした。
別海という街が有ることを知らなかったので急にオアシスに出くわした気分になった。
陸の孤島と言っても過言でないと思う。

まつりだまつりだ


厚床まであと10kmくらいのところだったと思う。
道路の左側の茂みで急に、ガサッ と音がしたと思ったら鹿が道に出てきて直ぐに茂みに戻っていた。
思わず「だめだよ!」と声をかけた。
いや、本当に驚く。

ついに厚床まで来た。1週間くらい前に最低気温3.6℃を記録した場所だ。
ここで最後の休憩を取った。

一呼吸入れてからついに根室へ。
この頃になって、やっとエアロバーのしっくりくるポジションが出せた。
慣れてくると肘の間は狭くても大丈夫だ。
当初より、かなり狭くして走れるようになっていた。

根室半島の根本に有る温根沼橋は警戒していた通り吹きさらしで強い横風を受けて辛い思いをしたが、
網走で痛い目に会っていたので我慢してやり過ごすことができた。

22時。やっとの思いで根室に到着。
2073.9km地点。PC8のセブンイレブン根室敷島町店に到着した。
16時間半掛かってなんとか225kmを走りきった。

この後は宿の人に断ってラーメン屋に行った。今日2回目のラーメンさんぱち(根室店)。
店の入口では、このブルベで知り合いとなった二人目のOさんに会い、店の中では天塩でも話したOさんにも会った。
二人目のOさんの方は、もう納沙布岬を通ったのでこれから浜中(霧多布)まで行くというので驚愕した。
時間は22時半頃で、浜中は70km先だが、そこまでの両手で数えられるくらいの農家しかない。
宿を予約しているとのことだが、ゆっくり走ってもまだ日が昇っていない時間に着いてしまう。
未明に着いてもどこも開いてないはずなのだが…。
彼がこの後どうしたのかは知らない。

ラーメン美味いなあ


食後は宿に戻ってから風呂を浴び、0時過ぎに寝ることができた。
今日も何とか走りきった。残り330kmというところまできた。
明日は比較的天気が良い。
何とかなるんじゃないかと思えてきた。


2018 RM0810 R札幌 2400 / Around Hokkaido 2400 その9 紋別~斜里

2020-05-05 10:39:12 | ブルベ
8月16日。スタートしてから7日目。
ちなみに、この日は写真を1枚も撮っていなかった。
本当にそれどころでは無かったということを分かっていただければと思う。

1時間半寝る予定だったが、寒さでそれより早く起きてしまった。
熟睡も出来なかった気がする。しかし、寝てもいられない。
時間は3時。寒さに震え、体を擦りながら準備を整えて再スタートを切った。

今日は260km先の羅臼(知床半島の東側)まで行く予定だ。
まずは宿泊予定だった紋別のホテルへと向かう。
1番近いコンビニで朝食を済ませ、紋別の街中に入ってから、またも雨脚が強くなった。

ホテルに着いて、カクカク云々説明した後、泊らず、部屋にも行かず、着替えたら直ぐに出ることを伝えると、当たり前だが驚いていた。

なる早で準備したが、ここは最後のドロップバッグ地点。
入れ替えるものが多く30分ほど掛かってしまった。

北海道へ来る前に厚床で一桁の気温を記録したというニュースを見て北側は寒いと予想し、
長袖ジャージを用意しておいて助かった。
しかし、雨は普通にザーザーと降っているし、相変わらず向かい風及び横風で
時より台風のような強い風が吹付け、引き続き苦行を強いられた。
そして寒い。
相変わらずの厳しい天候にイライラして、ついには

 ちくしょう!

と、叫んでしまった。

 何だこの土地は…

ブツブツと、独り言が続く。
もっと景色が良く、走っていて気持ちの良い北海道を期待していたのに、気持ちよく走れたのはまだ1日だけ。。
台風の影響で納沙布1200が途中でキャンセルになったことは知っていたが、
こんなにも寒さと雨が続くとは予想だにしていなかった。

道中のことはもう細かくは憶えていないが、網走までの区間は空が薄く白く薄暗い途中の景色だけが印象に残っている。
途中のコンビニでは後に知り合いになる小径のMさんにコンビニですれ違ったり、
前日、数分だけ前を引いて貰ったお二人に抜かされたりした。
網走のクローズタイムが迫っており、雨の中でパンクが有るとギリギリになってしまうので、着実に前に進む必要があった。
眠気は思ったより無く、なんとか先に進めていた。

1808.9km地点。PC6のローソン網走大曲店。
クローズ38分前になんとか滑り込んだ。
吉田さん他のスタッフが待機してくれており、この先は通過チェックのみで良いと伝えられた。
とりあえずは食事を取って少し休憩した。

上記のお二人と一緒に走っていた女性は握力が落ちてしまい、自分を抜き去った先の紋別でDNFしていた。
このブルベで知り合いになった道民のNさんは寒さに対する装備が足りないということで、
彼もここでDNFするとのことだった。
先に来ていた上記二人のうち一人はAJの副会長さんなのだが、
「行かざるを得ないんです!」という言葉を残し、休憩もそこそこにWさんと一緒に再出発していった。
小径のMさんは後から来たのに、小休憩だけで再出発していった。
上記の3人はがっしりした体型で体が太い。早いというより、強い人達だ。
自分はというと、もう皮膚の方まで雨が染み込んでおり、
止まって暫く経ったら体が冷えてしまい、なかなか再出発できないでいた。
体を拭いたりしたが、ウェアも濡れているため気休めでしかない。

体の前にタオルを入れ、気合を入れて再出発することにした。
近くに作業着などを売っている店が有るようだったので、そこで服がバタつかないようにするためのベルトを購入した。

網走の町中を抜け、涛沸湖へと向かうが町中を抜けてから台風のような突風が吹き付けてきた。

 う 、うぐぅ…

さらに濤沸湖の前から強烈な向かい風が吹き付けて、湖の横では時速が12kmまで落ちてしまった。

 先に進まねえ…

なんだこの天候は?
台風なんじゃないか?
こんな向かい風の中を進み続けるのは無理だ。
これはもう自転車に乗るどころではないんじゃないか。
というか乗り続ける事が出来ない。
今日は知床の峠を越えた羅臼までの予定だったが、とてもそれどころではないぞ?!
ゆっくり進んだ先に「はなやか小清水園」という道の駅が有ったので、一旦避難することにした。

このままではまともに先に進めない。体も冷えているし、昨日はまともに寝ていないし、膝だって相変わらず痛い。
この先に進む自信がない。
座りながら途方に暮れた。

DNFも考えたが、とりあえずは今日中に知床峠を越えるのは諦め、その手前で宿を取って休むことにした。
スマホで検索した結果、斜里という街のホテルに宿が取れた。
比較的近くなので直ぐに出発した。

出発した直後、道の駅の本の数十メートル先に、なんとモンベルショップを発見する。

 こんなところに!?

紛れもなくモンベルだ(モンベル オホーツク小清水店)。
喜び勇んで店に入り、アームカバーと太めの裾バンドを購入した。
裾バンドは腕に巻いてレインウェアのバタつきを抑えるためで、それとともに防風にも役に立つ。
早速身につけて斜里に向かった。

斜里第一ホテルに着くと、ホテルの方が良くしてくださり、汗と雨でぐっしょりした靴を乾燥室に入れてくれたりした。
実は自分の下調べと焦りのせいで、斜里が知床峠の手前かと思っていたら、37kmも手前だった。
(PC7が「セブンイレブン斜里ウトロ店」という名前だったので斜里とウトロがこんなに離れているとは思わなかった)
間違ってしまったが、途方に暮れていたところから40km以上を走る気力は無かった。
時間は16時前。少し早いと思ったが、3時発でほぼ200km走ったので十分だろう。

一つ分かったことは、濤沸湖の様に海沿いに有る湖と、海の間に有る土地が低い場合はとても風が通りやすいということ。
そこに有る道路は海の上を走っている様なものだ。
だから、その区間は猛烈に風邪が強いが、湖の脇の区間を抜けると風はそこそこ弱まる。
その区間は我慢して走れば良かったのだ。

どこかに食べに行きたかったが、着替えもないのでホテル内でゆっくりして、また明日から頑張ることに決めた。
夜になると、またショートメッセージが来て「知床峠付近で熊の目撃情報があり、夜間の走行を控えること」と有った。
更にその後、吉田さんから直に電話が有り、今どこなのか、宿が無ければ取る。
明日の朝はまとまって走り、車で前後に付くといったことを伝えられた。
現状を伝え、明日の朝の出発時間を伝えると、(一緒に走れないの)で吉田さんは一瞬固まってしまった。
そして時間延長をさらに10時間プラスするとも伝えられた(合計12時間の延長)。

そうなったら、思ったよりもゆっくりできる。
少しだけ落ち着きを取り戻した。
予報だと明日の朝もずっと雨だが、少しでも好転するよう祈りながら眠りについた。