〜 未来の息子と娘との会話 〜

50歳からパパはじめた男の語り

スマホの恐怖 ー 家族に訪れた大きな問題 ー(前編)

2024-06-04 19:54:03 | 日記

下記は尊敬する

故・伊集院 静氏の言葉


スマホの中には何があるのか?

データがあるだけでしかない。

そのデータを或る種の答えと錯覚している人間が大半である。

検索は、押す作業と引っ張って行かれる作業をしているだけのことで、到達点と思われる所にあるのは答えではなく、状況もしくは今のところ、これですと伝えているだけだ。

これを若者、子供がやると、それが正解などと思ってしまう。無知とはたいしたものなのである。

企業、会社でもパソコンは必需品である。

一人のデスクに一台パソコンがあり、それにむかってキーを打つことが大半のビジネスマンは仕事と錯覚している。

そんなもん仕事であるわけがない。

なぜならキーを打って、何かに引っ張られているだけだからである。

仕事にとって一番大切な情熱、誇り、個性がパソコンの中に隠れているはずがない。

世界を変える素晴らしいアイディア、そして誤りを発見し修正できる能力はすべて、人間の本能に近い部分への刺激から誕生する。

朝から晩までパソコンの中にある情報、状況に身を置くことは間違いなのである。

そんなものはコンピューターにさせておけばいいのである。

では肝心は何か?

五感で目の前の世界を読み、判断し、何をすべきかを決定していくことだ。

「五感ですか?」

そうです。

文字を自分の手で書き、書きながら思考をくり返して行き、壁にぶつかればそこでまた考え続ける。

誰も引っ張ってくれない行動の中にだけ、個性、次代をより良くする道への扉、鍵が隠れているのである。


現在 私の12歳の長女は完全なるスマホ依存症である。

伊集院氏の言う通り、大事な五感を鍛える機会を幼くして失っている。

食事中も会話に参加せず、両耳にイヤホンしながら食べ物を口に入れる作業的なものとなった。

歯磨きやドライヤーをする時も、片時もスマホを離さない。

出かけた際も、誰と、どこにいようがお構い無しにスマホの画面だけを見続ける。

美しい風景 爽やかな風 草花の匂い 大きな青空の雄大さも、五感で感じなければ、ハワイのような楽園も、四畳半の暗室も、たいした違いがないものなってしまう。

ー イヤホンにスマホ 五感を阻害しての食事 ー

唯一の家族の時間

共に会話を楽しむなど程遠い空気。

食べ物の形や色、匂いや味を楽しむ事が出来なくなる。

またその食材について、感じる、興味を示すなどの機会を失う。

当然、今食べられている事への嬉しさ 楽しさ 有り難さ、作ってくれた人、お片付けをしてくれる人への感謝やリスペクトなどの温かな心とは程遠い、冷淡な心を作っていってしまう。



長女に最初にスマホを渡したのは小学校5年生になる頃てある。

その際に、スマホのルールを作らず手渡した事。

途中でルールを作るが、そのルールを子供がやぶった際に、親が決めたペナルティを科さず、一度怒った後は、すぐ子供にスマホを渡してしまう親の浅はかな行為。

そんな親の甘さを子供は見逃さず、ルールなどお構いなしに、スマホの世界へ深々と入っていく。 

我が家の場合は、私が食卓にスマホを持ち込まないというルールを作っても、妻は食事中にスマホを見なければ食卓に持ち込んでも注意をしないとルールにすぐ変えてしまう。

中毒者に対して完全に遠ざけるのではなく、手元においといて良いというのだ(苦笑)

それでやめられる中毒者などいるわけないという事が全くわかっていない. . .

親も子もルールや約束を守らなければ、もはや子供は麻薬中毒者のように依存症の深みにハマっていくのは当然のことだ。

「 物事は 原因から結果が必ず出るようになっている 」

結局、ルールを作っても守れない、守ろうとしない親の未熟さが元凶となり、子供を狂わせる。



伊集院氏のいう五感とは、自身の「肌感覚」ともいえよう。

目の前で起きていること読み、判断し、何をすべきかを決定していく能力のこと。

この肌感覚のレベルこそが、金持ちとか貧乏とか、学歴とか、身体障害とか、男とか女とか、あらゆる要因に関係なく、ひとりの人間として生き抜く力のレベルそのものではないだろうか。


こんな状態から約2年が経ち、完全なるスマホ依存症となった娘は、実生活のだらし無さを指摘されても、それを正す事はない。

家族の話を素直に聞く事ができず、正しく生き抜く為の、自分の意見や自身を律する行動、人への感謝や思いやりが欠けている。

言い訳や愚痴、聞いてないふりや嘘を繰り返し、自分自身を見つめ直すという大切な行動がない。

そして 都合の悪いことは人のせい、人が決めたことだと逃げ続ける。

「私の言うことなんて聞いてくれないじゃない」と言うが、ではあなたの意見は?と聞いたところで黙りこくるか、成立しない言葉ばかりを並べ、結局はブツブツと文句を言いながら、再びスマホの中への戻っていく人間となった。

結局、スマホ依存症となった人間は 自分の意見を持つことができなきなるのである。

正しい生き方がわからなくなる。

なぜって。

それはスマホは正解を教えてくれもしないし、代わりにやってもくれないからだ。


ー 続く ー



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