画家 田中恵子のブログ

画家 田中恵子の鎌倉七里ガ浜のアトリエから

大学時代の「空手」から30代で「居合」、術後「居合」に復帰!!

2017年06月08日 | 脊柱側弯症「46歳での手術まで30年間いかに生きたか !?」

大学時代の「空手」から30代で「居合」、術後「居合」に復帰!!
~脊柱側弯症「 46歳での手術まで30年間 いかに生きたか!?」その3~

高校時代は、脊椎の側弯が進行しないように、
ミルウォーキータイプのコルセットをしていました。
大学に入り、成長期が終わったということで、コルセット無しの生活になり、
医師に、筋肉で背骨を支えるために全身運動をしなさいとの指導を受けました。
スイミングを薦められましたが、近くにスイミングクラブなどなかったため、
父が柔道を長くやっていたので、武道で一人で出来る自発的な全身運動になるものを考えました。
近所に日本屈指の空手家がいて、
鎌倉体育館で「形(かた)」を教えているということで、そこに入門しました。

空手の四大流派の一つ「和道流」の蔵並先生の元で2年間、和道流空手の「形」の修行をしました。
先生のお弟子さんで「形」で優勝した女性が、見本の「形」をやりに来てくれていました。
また「組み手」では、当時、蔵並先生が指導していた日産の実業団の男性が優勝していました。
「形」でも「組み手」でも優勝者を出すすごい先生でした。
家が近かったため、帰りは江ノ電で一緒に帰り、親しくしていただきました。
家では、高校時代にリハビリの体操をしていた代わりに、毎日一人で稽古をしました。

空手の「形」は、突きや蹴りなどを組み合わせた一連の技の流れを一人で演武するもの。
「組み手」は実際に相手とやりますが、寸止めで、相手には当てません。(極真空手以外)

空手の「形」の良いところは、四畳半程度のスペースがあれば、一人で稽古ができることです。
水曜はもともと子供たちの稽古の日だったので、
始めて1年ほど経った頃には、
優勝者の女性の代わりに、子供たちの前で見本の「形」をやるお姉さんになっていました。
小学生の頃から父に柔術を教わることはありましたが、
武道の基礎はこの時、空手で身に着けました。

そのころジャッキー・チェンの映画が流行っていましたし、
真田広之、志穂美悦子のアクションにあこがれ、
千葉真一が主催するジャパン・アクション・クラブに応募してみたこともありました。
リハビリから始めた空手がここまでエスカレートしましたが、
武道はこの辺で一旦お休み。

(※空手の「形」は流派によっては脊柱側弯症の方に向かない場合もあるかと思われます。
和道流の基本の「形」は、固定手術前で普通に運動できる方には特に問題ないと思われますが、
いずれにしても医師にご相談ください。)

別のことに没頭する時代があり、30代半ばに、
健康のためにも、一生続けられることとして選んだのが「居合道」でした。
実は子供の頃からの夢の一つは「侍(サムライ)になる」ことでした。
剣道ではなく、私が子供の頃からやりたかったのは「居合(いあい)」だったんですね。
弟が剣道をやっていて、大会の時に居合刀で演武する先生方を見て憧れましたが、
剣道をやらないと「居合」はできないと思っていたら、
「居合」は独立して存在していたのでした。

「居合」は、居合刀または真剣で、敵を仮想し、一人で、
抜刀から、いくつかの技をやって、納刀までの一連の「形」をやりますが、
武道の中では精神的なものが最も重要視されます。

当時、父が鎌倉で「居合」をやっていたので、
埼玉県狭山市に住んでいた私は、近所で居合道場を探し、
入間の渡辺満先生の道場に通い始めました。
一対一の稽古で、基礎をみっちり仕込まれ、
関東大会にも、父と一緒に出場したことがありました。
ここで私の子供の頃からの「侍になりたい」という夢が実現しました。

しかし、この「居合」も一生続けることができなくなりました。
40歳を過ぎてから脊柱側弯症が原因で、腰椎の後弯が少しずつ進行し、
やがて、長時間立っていることが困難になり、
居合をやめるざるおえなくなりました。
それでも子供の頃からの夢がかなったのですから、
「居合」は私の人生の大切な宝物になりました。


ここで、私の「居合」の物語は終わってしまうのが普通ですが、
46歳で九段坂病院の中井修先生に脊椎の矯正固定手術を受け、術後7年目の診察で、
「筋力が落ちる年頃だからスポーツをして体を鍛えなさい」という指導!
脊椎の広範囲の固定をしたから、背骨は曲がらないし、身体をねじることも出来ないので、
もう一生スポーツも武道もできないと思っていたのに!!!
胸椎の途中から腰椎全て(胸椎10番から腰椎5番までの8椎体)広範囲に、
金属による固定をされている身体で、一体何ができるのか!?
背骨を曲げたりねじったりしないスポーツ・・・
私が経験した中では「居合しかない!」と思って言ってみたら、中井先生の許可!
10年ぶりに「居合」に復帰することになりました。

父は前年に他界していました。
その父の愛弟子であった方を師匠に、父が伝えた技を鎌倉七里ヶ浜道場で修行し、
七里ヶ浜アトリエの庭では居合刀で、
狭山にいる時は入間市の森の公園で、木刀を使って、一人で稽古をし、
今年3月、父の祥月に父を偲んでお弟子さんやお仲間が開いてくださる
「ダルマ忌演武会」で、私も演武し、
師匠と共に父の独自の流派「柔心流」をお披露目いたしました。
そして、「柔心流」は本年(平成29年)4月に、
正式に一流派として独立いたしました。

父には子供の頃からよく武道と仏教の話を聞き、
大人になってからも、父のアトリエで二人で武道と仏教について語り合っていました。
いつか何らかの形で私が父の跡を継ぐことを予期していたのではないかと思ってしまいます。
今、父はみ仏の元で喜んでくれていること間違いなしですね。
居合の初めの師匠である渡辺先生もご他界されましたが、
生前、最後にお電話でお話した時、
「恵子さんに教えていた頃が一番楽しかった」と言ってくださいました。
渡辺先生も、喜んでくださっていることでしょう。

現在、師と共に、父が残してくれた「柔心流 居合道」の研鑽の日々が続きます。
「柔心流 居合道」は、父の精神を受け継ぎ、心と技が一体となった純粋な居合道を目指しています。
理学療法士の先生のアドバイスをお願いしてあり、
脊柱側弯症や腰椎後弯症などによる脊椎の広範囲固定手術を受けた方にも、
演武できる「形」を完成させていきます!!
体幹が安定しているのが武道の基本なのですから、インナーマッスルを鍛え、
脊椎の広範囲固定も強みにしていきます!

 

私の脊椎手術について知りたい方は、私の公式ホームページの
「九段坂のちょっとおかしな入院ライフ」をお読みください。

鎌倉伊織 URL http://www.kamakura-iori.net

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「脊柱側弯症の手術について」~患者の立場から~

2017年03月14日 | 脊柱側弯症「46歳での手術まで30年間いかに生きたか !?」

「脊柱側弯症の手術について」~患者の立場から~
脊柱側弯症「 46歳での手術まで30年間 いかに生きたか!?」その2

特発性脊柱側弯症の患者さんやご両親の方々も、お読みになっていることと思います。
私の成長期(30年前) に比べ、現在では脊柱側弯症の手術方法も進歩しています。
30年前は1年間入院が必要でしたが、現在は1ヶ月程度だそうです。
(若い方の側弯症の手術の場合)

私は重度まで進行していたにもかかわらず、当時すぐに手術を薦められなかったので、
成長が止まると、病院に行くこともなく、
20代から30代前半にかけては、悪いなりに安定していましたが、
30代後半から痛みが酷くなり、40歳を過ぎてから目に見えて症状が進行しました。

45歳での中井先生の初診では腰椎変性側弯症と診断されました。
脊柱側弯症が原因となって、年齢を重ね、腰椎がねじ曲がり、
腰椎の椎間板の前の部分が3カ所つぶれて固まって、
側弯症より腰椎の後弯の方が深刻な状態でした。
手術方法は、腰椎変性側弯症、腰椎後弯症などに対する中井修先生の術式
「後方前方後方三段階矯正固定術」だったため、長時間の大手術となりました。
 若い方の脊柱側弯症の手術とは違いますので、
どうか誤解のないようにお願いいたします。

とは言っても、脊柱側弯症の手術は浸襲の大きな手術です。
脊柱側弯症の手術のことを知りたい方は、「脊椎手術ドットコム」
http://www.sekitsui.com/
をご覧ください。
ご本人もご両親も、手術について学んでおくことが大切です。
現在のところ、脊柱側弯症の手術は固定しか方法がありません。
固定範囲と固定の部位により程度は違いますが、
当然、固定された部分は動かなくなり、不自由を感じると思います。
背中の傷跡は、個人差がありますが、
私の場合は1年半くらいで、目立たなくなりました。

特発性脊柱側弯症の患者さん方が、信頼できる医師にめぐり逢い、
手術が必要な方は、ご本人にとって適切な時期に、
良い手術を受けられるように、願ってやみません。
私にとっては、46歳という年齢が、全ての面において、最も適切な時期でありました。

私としては、特発性脊柱側弯症の方も九段坂病院を受診されることをお薦めしたいと思います。
若い頃からの側弯症が悪化して、お困りの方は、是非、九段坂病院を受診してください。
九段坂病院も今は新病院となり、快適な空間で、
今までと変わらないスタッフの温かい対応に心が和みます。
九段坂病院のホームページは
http://www.kudanzaka.com/

九段坂のちょっとおかしな入院ライフより(2016年3月14日更新)

私の脊椎手術について知りたい方は、私の公式ホームページの
「九段坂のちょっとおかしな入院ライフ」をお読みください。

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この写真は、術後8年目


「私、絶対あきらめないので!」

2017年03月05日 | 脊柱側弯症「46歳での手術まで30年間いかに生きたか !?」

「私、絶対あきらめないので!」
脊柱側弯症「46歳での手術まで30年間 いかに生きたか!?」その1

ドクターXの決めゼリフが「私、失敗しないので!」なら、
私の生き方は「私、絶対あきらめないので!」です。
脊柱側弯症が重度まで進行し、
いずれ広範囲の脊椎固定手術を受けなければいけないと宣告された高校時代、
ならば、固定手術まで精一杯生きようと決心した。
小さい頃からの夢も、当時の夢もできる限り実現しようと決めた。
勉強も、仕事も、スポーツも、趣味も。
そして全ての夢を実現した46歳、手術の時が来た。
悔いは無かった。精一杯生きたから。
そして、希望だけがあった。
その希望は九段坂病院の中井修先生が与えてくれた。

 

私の脊椎手術について知りたい方は、私の公式ホームページの
「九段坂のちょっとおかしな入院ライフ」をお読みください。

鎌倉伊織 URL http://www.kamakura-iori.net

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