ベトナム南部生活13年目の感動

なんて素敵なサイゴン ブンタウ ドンナイ省LongKhanh市の生活

その4 今日の出来事 フェイスブックからコピペ編集

2016-02-18 23:57:30 | 日記
その4 今日の出来事 フェイスブックからコピペ編集

その6 工科大学生のママさんとお話&食事会

4月からのホーチミン市工科大学から金沢大学編入留学を前に
一緒に日本の勉強をって来週からスタート
本日はママさんらと語らいでした。
母親の愛情に感服しました。
楽しいひと時をありがとう。






その5 忙しそうサイゴンインセルコ

北海道の組合さん一行9人がお仕事で到着‼












先日は熊本の女性ブローカーさんが訪問
熊本県だけでも千人を斡旋したって
ベトナム難民さんから成功した
熊本弁ペラペラさんが❗
是非とも熊本企業へって。

本日は北海道行きが決まっている
50名近くの学生が玄関で出迎え。

凄えです。軍隊並みの挨拶














まだまだ研修生に北海道に来て欲しいって募集も人が集まらないって‼

三羽のひなと親鳥が楽しそうにしています。




来週、再来週と来訪予定が続き
スタッフさん連中も忙しそう‼

我輩も忙しい
先日の工科大学生のお母さんたちと今夜夕食をって‼


その4 全てがグー@赤トンボ

久しぶりのブランチ@赤トンボは
大満足












それに少しうたた寝できます。


その3 珍しくいつもの食堂もザ•デッキも中止

Vimas終わって本日は赤トンボへ迷わず直行

カツカレーが食べたくなっただけだが‼

信号にことごとくかかるも20分で到着。

このところCaPheSuaDaを飲む機会が減り
バイク修理屋の隣のオバちゃんの
昨日がトリガーになりそれも
赤トンボの誘因でした。



その2 18日、本日 18名の乙女たちが今朝の便で大阪へ出発

珍しく家の近くで交通警察官?
でも12区なら大丈夫、今まで捕まったことなし。
それに最近捕まった記憶がないど運転上手になっている。

そして大通り出る交差点
ここの信号は長く、70 単位は秒ではなく、30秒位だが‼

大概は50くらいで安全確認しながら赤に関係なくスタート
本日も‼ なんと曲がったところに3人の警察官
久しぶりに罰金袖の下50-200万ドン覚悟

でもお咎めなし、ラッキーでした。

定刻15分前にVimas到着

交通量は普段の8割くらいでスイスイでした。
駐輪場にバイク少なく教室にほとんど学生がいません。

タイトルの乙女たちが18名がTSNから台北経由で大阪。
皆さん見送りに行ったみたい。

我輩とTuyetさんだけ。オフィスはがら空き。



おかきをいただきV9V10男性だけの授業へ‼


我輩も
授業よりも見送りに行きたかったです。
女子学生の多くも見送りに行ったみたい。女子学生少なし。

皆さん11時頃には空港から戻って来るみたい。

4回目の休憩

午後11時59分

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その1 若い人 我が生活

2016-02-18 05:22:12 | 日記
その1 若い人 我が生活

平成28年 西暦2016年 2月18日 木曜日

すっかり午前4時代起きが板についてきました。
夜は強引に午前0時半までには消灯を心がけています。

今朝は4時20分ゲットアップでした。

昨夜は結局、夕食は午後11時頃
超簡単写真の稲荷寿司とおむすび!!


裕次郎の映画を思い浮かべながら若い人を読書
上巻238Pを読み終え、下巻第一章を読み終えました。P247まで!!



北海道の函館から東京から関西までの修学旅行
そこで上巻はフィニッシュ

ほんとに読みながら吉永小百合や石原裕次郎や浅丘ルリ子が脳裏に浮かんできます。
小百合が我輩より一つ上、7月生まれのルリ子が五つ、裕次郎が一回り上です。
高校生の時にはサユリストでした。

院生のときはコマキストでしたが!!

ビデオレンタルで何度か見たことがあります。
そしてワイフと結婚 マサコイストになり何十年とファン でも今は怖いです。

ネットにも写真が一杯
我がブログ記事まででてきます。
そこから写真をゲットしました。















映画のあらすじはコピペ
1960年代って日本が輝いていました。
我輩は高校生から大学氏の頃、ちなみに東京オリンピックは1964年10月10日 我輩は高校三年生

若い人(1962)
1962年10月6日公開

石坂洋次郎原作を「草を刈る娘」のコンビ三木克巳が脚色、西河克己が監督した青春ドラマ。

青い空とそれよりももっと青い南の海につつまれたこの町の女学校は、今日も若い娘たちの歓声でわきかえっている。新人教師間崎は全校中の人気のまとだったが、生徒の中に一人かわった娘がいた。江波恵子、頭がよく美人で、勉強ができるくせにわざとしないでいる妙にひねくれたところがある。年若い女教師の橋本スミ子は、間崎のおうようさと、やさしさが恵子の心を救えるのではないかと考えていた。それは、恵子の大胆な作文から私生児である彼女がさまざまな悩みの末、大きな男の愛に飢えていることを知ったからだ。恵子の母親ハツは不幸な女だった。若い時には生活苦のため何人もの男に近づき、いまでも場末のいかがわしい所で飲み屋をやっていた。そのハツを連れて間崎の下宿を訪れた恵子は「橋本先生は私を嫌ってるの、だからきっと間崎先生が好きなのよ」と真面目くさっていうのだった。修学旅行の日が来た。東京最後の夜、行方不明になった恵子を、間崎はやっと見つけ出した。「先生、好き、このままどこかへ行っちゃおう……」ひたむきな顔でじっと間崎を見あげた恵子は駄々っ子のように泣きじゃくった。こんなことがいつの間にか“恵子が妊娠した”といいふらされてしまった。間崎に対するスミ子の態度は冷たかったが、あるとき「いま、先生を必要なのは江波さんです」というのだった。“俺が本当に愛しているのはこの人だ”間崎ははっきりと自分の愛を知った。と同時に、その言葉の裏に秘められたはげしいスミ子の愛の炎も感じとっていた。ある夜、決心した間崎はハツの飲み屋をたずねて行った。大喜びで迎えた恵子だったが、喧嘩の仲裁に入った間崎はケガをしてしまった。翌朝急を聞いてかけつけたスミ子に、ハツはわざとらしく恵子の介抱ぶりをいいふらし、たまらなくなったスミ子は早々に立ち去った。学校に向かう間崎を送ってきた恵子は「先生、橋本先生と結婚なさい」といい放って、来た道をスタスタと戻っていった。それを見送りながら間崎は恵子の将来を憂慮しつつも己が道を歩もうと決意するのだった。

1回目の休憩
午前5時40分

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