憲法改正反対!国際法違反の現行憲法凍結!大日本帝国憲法再生!

いろいろなブログを貼っていくつもりです。
いわゆる、「他人のふんどしで相撲を取る」他力本願寺ですね。アニメ、特撮

憲法

2016-02-04 14:37:40 | 歴史
ねずさんのブログです

http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2905.html?sp

引用

そのサンフランシスコ講和条約には、「日本と連合国との戦争状態の終了」がうたわれています。
つまり、サンフランシスコ講和条約の発効の日まで、日本と連合国は「戦争状態」にあったのです。
そして「戦争状態が継続」していたから、講和条約で、日本と連合国は「戦争を終わらせた」と、これはそういう意味の言葉です。

すこし余計なことを書くと、では戦争をしていた当事者は誰なのか、という問題があります。
一方の当事者は米国に代表される連合国(United Nations)です。
そして戦争は、交戦相手があって、はじめて行われるものです。

連合国の相手国である戦争当事者は、間違いなく日本です。
そして戦争をしていたのは、江戸幕府の徳川政権でもなければ、豊臣秀吉政権でもありません。
さらにいえば、軍事占領下にあって占領憲法である日本国憲法を持つ「連合国軍統治領日本」の政権でもありません。
戦争をしていたのは、大日本帝国政権です。

ということは、戦争をしたのも講和をしたのも、その戦争当事者は大日本帝国です。
ですからサンフランシスコ講和条約に「全権」として調印文書に署名した吉田茂全権は、占領統治下の日本国憲法が規定する内閣総理大臣としてではなく、大日本帝国の君主である天皇の名代として署名しています。
だから「全権」です。

そして日本がこの条約によって、あらためて独立国として主権を回復したということは、その時点で占領統治憲法は効力を失い、日本は大日本帝国憲法下の日本に戻ったということができます。
なぜなら戦争は、占領統治日本としてではなく、大日本帝国として戦争していたからです。

講和条約を、占領統治下日本が締結したというのは、理屈が成り立ちません。
占領統治下日本は、連合国の下部組織であり、そうなると双方代理にしかならないからです。
日本国憲法が「占領統治憲法」としては有効でも、サンフランシスコ講和条約施行後は無効であるとする議論の根拠もここにあります。

引用以上

占領下の法律変更は無効です。

少女たちは荒野を目指す♯4を見ながら

毛沢東と南京

2016-02-04 13:27:22 | 歴史
日本と中国~さんのブログです

http://s.ameblo.jp/anti-ccp/entry-12124129793.html

引用

毛沢東が、なぜ隠してきたのか…
それはなかったからにほかなりません。
数十万単位での虐殺があれば、
戦後、すぐに問題視し日本攻撃の材料としてくるでしょう。

そして、『南京大虐殺』が起きたとされる
1937年12月13日前後、毛沢東ら中国共産党軍は、
山奥に逃げていました。そこは陝西省延安の山岳地帯。

南京の最前線で日本軍と戦っていたのは蒋介石率いる国民党軍でした。

中共中央文献研究室が編纂した『毛沢東年譜』にも
「南京失陥」(南京陥落)と書いてありますが、虐殺に関する文言は
一言一句書いてありません。
そう、毛沢東はその生涯に渡って「南京での虐殺」があったことを
話したことも書いたことも一切ないのです。

引用以上

ギネスでも堂々の虐殺者ナンバーワンの毛沢東。彼が南京について語っていたら、それこそブーメランでしたね。

彼女たちは荒野をめざす♯2を見ながら

通化事件

2016-02-04 13:11:03 | 歴史
日本と中国~さんのブログです

http://s.ameblo.jp/anti-ccp/entry-12123817169.html

引用

繰り返しますが、この事件は
大東亜戦争が終結したあとの1946年に起きています。

本来あってはならないことが、起きていて
しかもこの史実を振り返ろうとする方も少ない。

捏造された南京事件ばかりが誇大に喧伝され
世界に広まっていますが、日本人が痛ましい思いをした
通化事件も、もっと広めていかなければならないでしょう。

引用以上

詳細はもとブログにて。凄惨ですが、事実です。


少女たちは荒野をめざす♯2を見ながら

フィリピン大虐殺

2016-02-04 12:35:04 | 歴史
日本と中国~さんのブログです

http://s.ameblo.jp/anti-ccp/entry-12123418805.html

引用

大岡昇平氏は、その著書で
日本軍による虐殺として裁かれたのは、
「米軍の行ったマニラ破壊を日本軍に転嫁するため」と述べています。

『レイテ戦記・下』(中公文庫版)より 大岡昇平著
彼(マッカーサー)はフィリピン解放を十分に果たした。
~軍事的拠点の徹底的砲爆撃という戦闘方式の結果、フィリピン人は家を焼かれ、多くの非戦闘員が死傷した。
~マニラは徹底的に破壊された。~ニミッツによれば、彼は自分の赴くところ、常に激戦地にならなければ気がすまなかった男だ。
この処置には、日本軍に強要された形式的なものであるとはいえ、対米戦争状態宣言をしたラウレル政権に対する懲戒の意味が含まれていよう。
~そのためにマッカーサーは破壊的攻撃をしなければならなかった。破壊と放火はこれらの日本の部隊が行なったものだ、ということになっている。
そのため実際には責任がなかった山下大将が、不法な手続きによって絞首刑になったのだが、これは実際は米軍の行なったマニラ破壊を日本軍に転嫁するためであった


引用以上

米国はスペインとの戦争で、独立をエサにフィリピンを味方につけました。しかし、戦後は独立を認めず自国の植民地にしたのです。そして、独立を支援した日本に大虐殺の汚名を着せたのです。


少女たちは荒野をめざす♯1を見ながら