憲法改正反対!国際法違反の現行憲法凍結!大日本帝国憲法再生!

いろいろなブログを貼っていくつもりです。
いわゆる、「他人のふんどしで相撲を取る」他力本願寺ですね。アニメ、特撮

三角忠て誰?

2017-01-17 20:06:57 | 歴史
東アジア黙示録さんのブログです


http://s.webry.info/sp/dogma.at.webry.info/201612/article_5.html



引用


次の舞台は済州島…吉田清治小説第2弾の原作者が自供を始めた。そして今年もニコニコ現金払いの外務省に代わり、慰安婦ユネスコ登録阻止に向け真実派有志は一点突破でUNの古傷をえぐる。







「次にわれわれがなすべきことは、クマラスワミ報告の見直し、最終的にはこれの破棄ということになります」

先ごろ発刊されたムック『国連発 世界反日時代』のインタビュー記事でも、藤岡教授は、そう力説する。捏造慰安婦のウィークポイントがクマラスワミ報告書にあることは間違いない。

「出版社も吉田も彼の著書が小説であって全く証言と言えるものではなかったと認めました。加えて吉田の息子は、父は行ったことのない場所の地図を見ながら本を書いたと告白しています」



息子の告白とは『新潮45』9月号に掲載された大高未貴さんの衝撃スクープで明らかになったものだ。そこで吉田清治こと吉田雄兎の長男は、捏造派が目を覆いたくなるような事実を語っていた。

「父は済州島に行っていません。それは父から聞いています。それで父は、済州島の地図を見ながら、原稿用紙へ原稿を書いていました」(前掲誌70頁)

俗に言う創作秘話である。また、藤岡教授が指摘した「小説と認めた出版社」とは、デビュー小説を発行した新人物往来社のことだ。20年以上前に秦郁彦氏に対し、フィクションと明言していた。
▽デビュー小説『朝鮮人慰安婦と日本人』(S52年刊)


一方、この期に及んでも吉田清治の小説をノンフィクションと言い張る嘘吐き連中がいる。1人は、旧バウネットで朝日新聞幹部と一緒に共同代表を務めていた捏造派の拡声器・西野瑠美子だ。

そして、もう1人が小説第2作の版元である三一書房の元編集者・三角忠である。ネット上でも全く無名の人物だが、慰安婦捏造の黒いVIPである可能性が高い。

【小説第2弾の原作者が判明した】

「“日本軍による朝鮮人女性の強制連行”という戦後最大のフィクションを、とてもではありませんが父一人で書けるはずがありません。父の本を担当した編集者がなんらかの鍵を握っているはずです」(『国連発 世界反日時代』96頁)

取材に訪れた大高未貴さんに吉田雄兎の長男は、そうアドバイスした。「父の著作の謎」を解く鍵を三一書房の三角忠が持っていると言うのだ。大高さんは続いて三角の直撃にも成功する。

「あれは真実なんです。(略)吉田証言を否定することは朝鮮人慰安婦に対する冒涜だと思います」(前掲書97頁)
▽笑顔でTBS出演の吉田清治


のっけからノンフィクションだと断言する。吉田のデビュー小説には下関で慰安婦をスカウトする逸話が登場。それが何故、小説第2作では済州島での大規模慰安婦狩りに変化したのか?

「私からヒントを出した」(「新潮45』69頁)

三角は自分が勧めたことをアッサリ自供した。三角は当時、済州島蜂起を描いた在日作家・金石範の小説『火山島』に刺激され、吉田にストーリーを解説。すると吉田は、こう反応した。

「あっ、そう言えば」(前掲誌70頁)
▽吉田と朝日新聞関係者の謝罪ショー


突然、思い出したという。「20世紀最大規模の人身売買」と米議会が決め付けた“悲劇”にしては軽いノリである。現実には記憶が蘇ったのではなく、担当編集者が小説の設定を提供しただけである。

出稼ぎの朝鮮男の“強制連行”にすり替えても読者のウケは悪い。そこで三角忠は、デビュー作で地味な扱いだった慰安婦を主役級にし、舞台を済州島に変えて執筆を促した。無茶な注文だ。
▽蜂起に続く済州島大虐殺’48年4月


その為、吉田は地図と睨めっこしながら創作する羽目に陥った。実際、三角も担当作家が済州島に不案内であることを知っていた。「父は行っていない」という長男の言葉を伝えるとイキナリ開き直る。

「“彼が済州島に行ってないだろう、だからこの本はデタラメだ”ではなく、済州島に慰安婦は居たんですよ。吉田清治が慰安婦の問題を提起したことが重要なのです」(『国連発 世界反日時代』97頁)

日本叩きの一環で創作小説を戦中秘話と偽って出版したことは明らかだ。この三角忠は単なる極左出版社の元編集者ではない。よく言えば社会運動家、ストレートに表現すればテロ組織の現役活動家である。

【最重要資料2点の原作者は同一】

「『労組交流センター』代表の三角忠は公安のスパイだ」

そう大きく書かれたアジビラが都内で撒かれた。波状攻撃を実行したのは後期高齢テロ組織の革マル派で、三角忠は中核派の活動家だという。60年代の香り漂う内ゲバである。

噂や憶測ではない。三一書房退職後、三角が代表に就任した「全国労組交流センター」は、中核派の機関紙『前進』に頻繁に登場する。三角が、いわゆる公然活動家であることは確実だ。
▽路上で暴れる三角忠(前進系HP)


三一書房でも労組トップだった三角は、退職後に編プロを立ち上げた模様だが、本職は変わらず反国家活動。2年前にはJR水道橋で駅員を襲撃し、逮捕されている。

“済州島慰安婦狩り”のプロットを提示し、偽の戦記をプロデュースした人物が凶悪な活動家であっても特に驚きはしない。だが、三角が世に送ったのは、吉田清治だけではなかった。
▽安田浩一の同志・三角忠のアジ演説


「慰安婦といえば金一勉さんなんかの本も担当しました」(『国連発 世界反日時代』96頁)

昭和51年に発行された在日朝鮮人・金一勉(キム・イルメン)の『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』も三角が練り上げたものだったのだ。慰安婦の90%近くが朝鮮人で推定20万人など嘘を並べた捏造本である。

金一勉の地味な捏造本は約20年後、香港在住オーストラリア人ジョージ・ヒックスの『The Comfort Women』として華々しく復活。同署の引用は大半が金一勉の著作で、正体は焼き直しだ。
▽三角忠編集の捏造本(三一書房刊)


UN人権委のラディカ・クマラスワミが筆頭に上げた“歴史資料”がヒックスの捏造本で、次が吉田雄兎の小説だった。この2点に中核派・三角忠が深く関わっていたのだ。

ちなみにヒックスの捏造本は、クマラスワミ報告に合わせて和訳版が出ている。金一勉の英訳版を更に和訳するというトリック編集で、これも出版は三一書房。担当者は恐らく三角だろう。
▽金一勉捏造本のヒックス名義“再編集英訳版”


「私たちは新たに特別報告者を日本に派遣し、クマラスワミ報告の信憑性を検証するようUNに対し、強く要求します」





引用以上



三角忠
公安のスパイであることを暴露され、
逃げまわる「労組交流センター」
代表三角忠を追撃せよ
 米・英のタリバンへの空爆テロ弾劾!
 自衛隊派兵・日本の参戦阻止!
 権力のスパイ集団に操られた「11月労働者集会」を許すな!





2001年





2月27日、「2.27ビキニデー50周年東京集会」が、同実行委員会の主催で阿佐ヶ谷の産業商工会館で開かれました。集会では、第5福竜丸元乗組員の大石又七さんとヒロシマの被爆2世の野田次郎さんの「第5福竜丸とヒロシマをつなぐもの」をテーマにした反核対談を中心に、核と戦争の問題を掘り下げました。過去のものとして葬られてきたビキニの被爆の問題が現在につながる課題てあることが明らかにされました。




2004年

​​ビデオプレス  

173-0036 東京都板橋区向原2-22-17-403

現在制作中の「君が代不起立・続編」に対して264名に達するDVD予約・制作カンパが寄せられています。

での署名

2008年





731部隊・細菌戦被害者の証言集会の司会


2010年







2月20日(金)、警視庁・神田警察署は、救援連絡センター運営委員である三角忠さんをJR水道橋駅の職員とのささいなトラブル(全治3日間)を口実にして、傷害容疑で不当にも令状逮捕した。編集者の三角忠さんが、20日に逮捕された。三角さんは、三一書房を退職したあと、編集工房・朔を経営し、精力的に社会問題を世に問う本を出版してきた。

また、救援連絡センター運営委員やユニオン東京合同副委員長などを務め、 秘密保護法に反対する運動にも熱心に取り組んできた。2014年

よこはま夢ファンド50000円寄付

2014年





三角忠(8・6 広島-8・9 長崎反戦反核闘争全国統一実行委員会事務局長)2014年




三里塚芝山連合空港反対同盟
署名2016年


2016年 1月   救援連絡センター運営委員会
代表      足立 昌勝
代表弁護士  葉山 岳夫
事務局長   山中 幸男
運営委員   長谷川英
同      三角  忠

なかなか精力的に活動してますね。

慰安婦問題の火付け役

2017-01-17 18:04:35 | 大韓民国

マダムの部屋さんのブログです


http://blog.livedoor.jp/hanadokei2010/archives/4737236.html


http://blog.livedoor.jp/hanadokei2010/archives/4736400.html



引用



 1983年、吉田清治という男が『私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行』(三一書房)という本を出しました。韓国の済州島で現地の女性を自分が先頭に立って「脅してかたっぱしからトラックに押し込んで連行した」という内容でした。このネタに朝日新聞が飛びつきました。何度も紙面に吉田清二を登場させこれでもか、これでもかと日本軍=悪のイメージを読者に刷り込みました。しかし、吉田清二が稀代の詐欺師であったことはのちに明らかになり、朝日新聞は過去の記事を訂正しました(それでも謝罪はナシ)。
 1990年、社会党の参議院議員、本岡昭次が予算委員会で質問しました。ここで初めて「従軍慰安婦」と「朝鮮人強制連行」を結びつけた造語「従軍慰安婦強制連行」という言葉が公の場に登場しました。「従軍」=軍属。「従軍記者」「従軍看護婦」「従軍カメラマン」は存在しましたが「従軍慰安婦」はもちろん存在しません。存在しなかったものが存在していたことになってしまいました。
1991年8月、当時、朝日新聞大阪支局にいた植村隆が「元従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」の見出しで記事を掲載しました。生存する慰安婦が初めて自分の体験を語ったスクープ、と朝日新聞は大はしゃぎでした。しかしソウル特派員がちゃんといるのに、なぜ植村隆がこの記事を書いたのか、という疑問が湧きます。その理由はのちに明らかになりました。彼の妻の母親は慰安婦の支援団体の幹部だったのです。情報を事前に入手し、自分の手柄にしていたわけです。
1992年1月、朝日新聞は「慰安所、軍関与示す資料」という大見出しの記
事を掲載しました。
中央大学教授の吉見義明が朝日新聞に資料を提供したらしいです。この資料をきちんと読めば「軍の関与」とは「善意の関与」であったことが分かります。しかし吉見義明も朝日新聞も事実とは真逆の「悪意の関与であった」かのように記事を偽装しました。
1996年、国連人権委員会に「クマラスワミ報告書」なる文書が提出され、ここで初めて「性奴隷」という言葉が登場しました。「慰安婦は性奴隷だった」というのがクマラスワミ報告書の主張ですが、この「性奴隷」という言葉を作ったのは戸塚悦郎という弁護士です。今では慰安婦の碑に当たり前のように書かれている言葉ですが、実は国連に自分を売り込みたい戸塚悦郎がたまたま思い付きで使った言葉だったそうです。もう一人、売国弁護士として忘れてはいけないのは高木健一です。1991年12月、金学順ら3名の元慰安婦を含む32人の原告が日本政府を相手取り、東京地裁に提訴した時の主任弁護士です。1993年、高木弁護士はインドネシアの新聞に「日本政府に対して賠償を求める裁判のために元慰安婦は名乗り出てほしい」という広告を出しました。するとなんと! 当時は生まれていない人や、生まれていてもまだ赤ん坊だった年齢の人までが名乗り出たそうです。
 「慰安婦問題」に火をつけた女性の中で有名人はやっぱり社民党の福島瑞穂さんでしょう。1991年12月、金学順ら3名の元慰安婦が名乗り出た時、記者会見に同席して金学順に話す内容から話し方までレクチャーしていたのが福島瑞穂です。もう故人になられましたが、松井やよりさんも忘れてはいけない人です。元朝日新聞編集委員であり、2000年12月「女性国際戦犯法廷」を開いて「昭和天皇は戦犯」というとんでもない判決を出す立役者だった人です。


その2



ありもしない「慰安婦問題」に火をつけ、大火事にした日本人の中であまり知られていないのが「日本キリスト教婦人矯風会」の代表だった高橋喜久江さんです。1990年12月、高橋喜久江さんは尹貞玉(元「韓国挺身隊問題対策協議会」共同代表)に千田夏光の『従軍慰安婦』という小説を送っています。千田夏光は売れない小説家でしたが「従軍」と「慰安婦」を組み合わせた造語「従軍慰安婦」をタイトルにしたこの本はけっこう売れたそうです。しかしこれはノンフィクションではなく、あくまでもフィクションでした。尹貞玉は高橋さんに教えられるまでこの本の存在を知らなかったそうです。高橋喜久江さんがどこで慰安婦問題と出会ったのかは分かりません。しかし1990年代に毎年のようにソウルで、あるいは東京で開かれていた「挺身隊問題アジア連帯会議」に高橋さんは出席しています。
 ソウルの日本大使館の前に1991年12月、捏造慰安婦像を建てた団体が「韓国挺身隊問題対策協議会」です。「挺身隊」=軍需工場などに勤労動員された女学生で、慰安婦とは本来、何の関係もありません。しかし韓国では「挺身隊」=慰安婦=売春婦なのです。この時点でもう事実とまったく違う話になっているし嘘はどんどんエスカレートしていきました。この「韓国挺身隊問題対策協議会」の背後に北朝鮮がいたことは今では明らかになっています。
 1990年代というのは慰安婦の嘘がどんどん広がった時代でした。そして、その頂点と言えるのが1993年8月4日に発表された「河野談話」でした。「河野談話」自体は「慰安婦の強制連行」を認めたものではないにもかかわらず、記者の質問に(誘導に?)答えた河野洋平官房長官があたかも強制連行があったかのような発言をし、それを反日メディアが事実のように報道しました。
 「日本キリスト教婦人矯風会」は明治19年(1886年)、「東京婦人矯風会」という名前で設立されました。1870年代のアメリカで禁酒運動を展開していたプロテスタント系の団体「女性キリスト教禁酒連合(Women`s Christian Temperance Union)」の日本支部として矢嶋楫子らが中心となって設立したそうです。明治26年(1893年)、「日本キリスト教婦人矯風会」に改組。初期の活動は「禁酒禁煙運動」「公娼制度の廃止運動」「婦人参政権獲得運動」「一夫一婦制の建白」などで、どちらかというと保守系の団体だったようです。日露戦争の時には戦地の兵士に慰問袋を送る活動などもしています。
 しかし現在の活動は保守とはとてもいえないようです。「慰安婦問題」以外に「靖国神社問題」「戦後補償問題」「天皇制問題」「外国人住民基本法案制定運動」などに取り組んでいるそうで、立派な反日政治団体といえます。キリスト教の「愛と平和」を語りながら日本の先人を貶め、国家解体をめざす活動に邁進している、といっても過言ではないでしょう。




引用以上


最初はまともな組織だったのに、いつの間にか反日勢力に入り込まれ変質させられてしまう。マスコミや家電メーカーもこれをやられてしまいましたね。

沖縄独立のダブルスタンダード

2017-01-17 09:15:25 | 歴史
農と島のありんくりん〜さんのブログです



http://app.m-cocolog.jp/t/typecast/610475/515571/86646283



引用




さて、ここで提言ですが、本島の「オール沖縄」は琉球新報の笛に誘われるようにして分離・独立志向を強めています。

今後、翁長氏が「オスプレイ撤去」「移設反対」で県民投票をすることがあれば、その真の主題は分離・独立です。

八重山・宮古の皆さん、本島について行ってこの愚かな企みにつきあいますか?

分離・独立の先には、中国領への編入が待ち構えているのは明白だからです。

その場合、八重山・宮古は本島の独立派が使うロジックである、「有事独立」を「先住民」として行使されたらいかがでしょうか。

オヤケアカハチ

沖縄の分離・独立派が「自分たちは日本人じゃない」と言うなら、八重山人もまた「沖縄人」ではないと言い切れます。

「オール沖縄」が「琉球処分で軍事侵略された」というなら、八重山を武力侵略したのは、他ならぬ琉球王国です。

薩摩の収奪を恨むなら、八重山に過酷な人頭税を課したのは琉球王国ではなかったのですか。
人頭税石 - Wikipedia

人頭税石

オヤケアカハチは誰と戦ったのでしょうか。琉球王朝の軍事侵略に対して激烈な抵抗したのではありませんか。
オヤケアカハチ - Wikipedia

私は本島が分離・独立という愚かしさの極みの選択をした場合、八重山・宮古は沖縄県から「先住民の民族自決権」を行使し、「八重山・宮古県」として「独立」すべきだと思います。

「オール沖縄」が使ったロジックを、そのまま逆手に取るのです。

そしてさらに、「八重山・宮古県」は本土政府へ再統合を要請して下さい。

もちろん、今日書いたことは空論にすぎません。

しかし、今やただの空論とはいえないようなことを起こそうとしている人たちが、県政を握ってしまったのは紛れもない事実なのです。

最後に「ゆう」さんのコメントにあった、石垣島初老の方の言葉で締めくくらせていただきます。

「ゆう君、君にとっては、琉球というと、沖縄から与那国島まで全てをさすと思っているだろうけど、これだけは言っておくよ。八重山は八重山であり、琉球じゃない。私は、八重山人として「琉球」と一括りにされるのは違うと思っている。」





引用以上


沖縄が日本から独立するのが可能ならば、宮古・八重山が沖縄から独立することも又可能です。
『 遠弥計赤蜂の乱(オヤケアカハチの乱)は、1500年に八重山島大浜村[1](現在の石垣市大浜)の豪族オヤケアカハチ[2]と、琉球王国(尚真王代)との間で行われた戦争である。琉球が勝利し、赤蜂を殺害した。』にあるように独立戦争を仕掛けても構わない訳です。アメリカがイギリスから独立したきっかけも税金だったのですから。