哲学日記

盲目の欲は自己の保存と拡大のみを欲する

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 おれは、月1回、近隣の神社の裏山に岩清水を汲みに行く。
もちろん無料である。

この水を使っていれた美味しいお茶を飲みながら、ちょっと思いついたことがある。「もちろん無料である」と書いたが「まだ今のところは無料である」と書くべき時代ではないのかと。

以前、NHKで、世界中のきれいな湧き水の使用権を独占しようとする、企業の活動を特集していた。




 欲望は、自らひたすらに生き続けようとする盲目性をその特徴とし、自己保存と自己拡大以外の目的をいっさい持たない。

非常に多くの人は、この盲目の欲をコントロールする意欲に欠けている。
いや、そんなどころではない。こう云うべきだ。
大多数の人間は物心ついた頃には、この盲目の欲望と自分をすっかり同一視し、自ら望んで盲目の欲の奴隷になったことに気づこうとさえしなくなると。
(欲の奴隷は、欲望と意欲の区別ができないので、すぐ見分けはつくが)



 この盲目の欲が形を変え、資本主義となって現れても、本来の特徴である盲目性はそのまま受け継がれている。

資本主義下の企業は、自由な活動をしているだけだが、事実は自ら望んで資本主義システムの奴隷になっている。
法を整備し悪人を減らす努力は無駄ではないが、個々人の善意ではどうにもならないシステム独自の問題があるとおもう。

誰も望んでいないはずなのに、いじめも戦争も、一向になくならないのは、欲のシステムに欠陥があるからだ。

ブッダはシステムの欠陥を貪瞋癡と呼んだ。

同じように、99%の人々がそうなることを意識的には望んでいないにもかかわらず、やがて水も空気も有料の時代が来るとおもう。
盲目の欲に同化して、欲の塊になってる自分に気づきがない人々は、貪瞋痴に夢中なので、それを止める力など持てるわけがない。



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (My Favorite Songs) 


ミネソタの卵売り /暁テル子

 


買い物ブギ / 久和田佳代 Cayo Kuwada

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