哲学日記

「無明は単純に不知であり、それ以上の何ものでもない」であるはずがない。

おれは以前、
『(盲目の)意志』は無明だ!…
無明が単なる無知であるはずがない。それでは、現にある人間と世界が、現にあるようには理解できない
と書いた。ショーペンハウアー 編修3

(初出は、060928「無明」)

 

ショーペンハウアーを読んで、初めて、ブッダの説く無明がちょびっと分かった気がした。

 

 

 後年、この認識の裏付けになる気がするスマナサーラ長老の法話の存在を知った。
 
特に40分以降を聴いてください。
 


関西月例冥想会 2013.12.15 1/1

 

「無明は単純に不知 Nichtwissen の意である」(和辻哲郎『原始仏教の実践哲学』)であって、それ以上の何ものでもないのだ
という主張が無明に関する学界の絶対権威になったということは、人間の直面している事実の話を、学者がたんなる語源話で上書きしてしまったということだ。

月をさす指を月だと主張したに等しい。

和辻哲郎って中学生の頃「古寺巡礼」と「風土」読んでなんとなく尊敬してたけどな。

月をさす指を月だとおもうのは勉強頼みの馬鹿がやらかす定番のミスだ。

ブッダの教えと無縁の話だ。

 (My Favorite Songs) ソフィア・ローレン。
歌ってないけど、懐かしい映画の1シーンってことで。
 

ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニのコンビの映画は当時何本も観た。
このたわいないシーンだけ、はっきり脳裏に焼きついてる感じ。前後も全体もまったく忘れてるのに。
 

(過去記事統合増補編集再録)
 
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