ターン・プッタタート法話「どうしたら死に見つからないか」より引用させて頂きます。
今世界には平和がなく、ますます平和が無くなっているのは、世界の人がこれに興味がなく、そして
「俺が死ぬ」死を望まない
ので、益々ひどい欲情の奴隷になり、ますます自分があるようにすることしか望みません。…
…………………………………………
一人の権力のある皇帝が、国中の学識者や思想家を宮殿に集めて、正しく完璧な人間の歴史を書くよう命じました。
何百人もの哲学者が集まって何年も会議をしたので、皇帝は「もう終わったか」と尋ねました。まだ終わらないので、先に延ばして、「もう終わったか」。まだ終わらずにまた何年も、何年か知りません。そして最後に提出したのは、「人は生まれ、人は苦しみ、人は死ぬ」でした。これが人間の永遠の歴史です。これは本当の哲学者と呼ぶことができます。現代人が学んでいる歴史のように、些細なこと一切合財を、何千何万ページも書きません。
みなさんが一抱えもの歴史書を読んでも、書棚全部を読んでも、「人は世界に生まれて、そして死ぬまで苦しむだけしかない」という要旨を掴むことはできません。どんな種類の歴史を読んでも、石器時代から現代まで、これしかありません。これが人間の精神面の歴史です。
歴史をこのように知ることが、世界をすぐに平和にする一助になります。今勉強しているように歴史を学べば、頭から溢れる知識で危機を脱すことはできないので、何の利益もありません。この世界を平和にする機会はありません。
今世界中の大学で教えている歴史は、苦を終わらせないようにし、平和にせず、そして愚かにも、「哲学や歴史を学べば世界を平和にする博士になる」と言います。これは最高にバカな話だと思います。この形で哲学や歴史を知っても、道から外れるばかりで、絶対に平和には出合えません。
(引用終。強調は私です)
何度も何度も書いてきたが、ブッダは
人間が自分は死ぬ定めだと本当に認めれば、人間は自由になり世界は平和になる。
と明解に説いた。
このブッダの教えを、残念ながら、大多数の人達は頑なに理解しない(※衆生自秘※)
死には「正反対」と言える二つの意味があり、ほとんどの人たちは否定的な方の意味だけしか見えてないからだ。のみならず自分たちの盲目の否定を堂々たる肯定だと錯覚してる(一見肯定的な「不死不滅の魂」という例のタチの悪い幻想のこと)
※衆生自秘※
衆生は無明妄想を以て本性の真覚を覆蔵するが故に衆生自秘と曰う
(空海『弁顕密二教論』)
しかし、人間の永遠の歴史は人は生まれ、人は苦しみ、人は死ぬで全てだとほんとうに知れば(=苦聖諦)、このブッダの教えこそ真実の智慧だと、自分の手のひらを見るようにはっきりとわかるようになる。
(My Favorite Songs)
(過去記事増補編集再録)