哲学日記

「五取蘊を担いで苦しむ者」というたとえ話

佐々木閑 仏教講義 7「阿含経の教え 3,その5」(「仏教哲学の世界観」第10シリーズ) - YouTube


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五取蘊という大荷物をかついで苦しんで歩く者

という深いたとえ話。

 

1、荷物とは

2、荷物を運ぶ者とは

3、荷物を受け取る者とは

4、荷物を下ろす者とは

 

 

 

我に執着する渇愛が、大荷物の受け取り手。

 

世界を解釈し適応し生きるために必要なインフラとして、自我(俺、俺のもの)という架空の存在を、自動作成するプログラムが、五取蘊の中に初めからある。

生まれてくる者は誰も、この狂ったシステムに逆らえない。

 

 

無明が渇愛です。無明の別の言い方が渇愛です。ここ重要!

 

無明は単純な無知ではないので、五取蘊が苦だと学んでも、絶対に五取蘊という荷物を下ろしたいと思わないのだ。

無知が解消されても、

肝心なことは何一つ変わらない。

我々は渇愛の威力によって、担いで歩く苦しみに夢中だから。

 

 

 

 

ブッダは

 

渇愛は滅することができる

 

と、実体験に基づく教えを説かれた。

 

五取蘊-渇愛=五蘊

 

変化し続ける五蘊があるだけだ。

 

五取蘊の担ぎ手は最初からいない。

 

 

ブッダのことば。

 

重い荷物を下ろしたら、
二度と他の荷物を担ぐな。

無明による渇愛の根を引き抜けば、
無欲、寂静となる。

 

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