哲学日記

六境六根への執着が人を苦しめる。ジャニスの絶唱 Ball and Chain

 

佐々木閑 仏教講義 8「阿含経の教え 4,その1」(「仏教哲学の世界観」第11シリーズ) - YouTube


www.youtube.com

 

 


対象
色声香味触法の六境(六外処)

感覚
眼耳鼻舌身意の六根(六内処)

 

ただ、六境六根への執着妄想(鎖)が人を苦しめる。

呆れるほど単純明白なこの事実にだけは、

たとえ百曼陀羅ひゃくまんだら聞かされても、

人はけっして本気で気づこうとはしない。 

 

 

 

 


なぜなら、

人は六境六根への執着を

楽と錯覚し、夢中で貪ってるからだ。

 

 

 

ブッダのことば。

苦に夢中なら、

当然、

その人は苦から抜けられない。

 

 

 

ここのところを、スマナサーラ長老が、親切に

「我々はみんなに瞑想を教える時でも、思考妄想するなよと。思考妄想はすっごい煩悩だよと言うのは、実際瞑想する人々に理解しやすくするためであって、心が束縛じゃないんです」

と注意してくれてる。

たとえば、理解を促すためインパクト重視で「思考はごみです」と端的に教えるのは、思考への執着を捨てさせるためで、厳密には思考そのものがごみではないという意味です。

この点を誤解しないでください。


以下は、このことを踏まえたうえで聴くべき、先覚の懇切の説法です。


「逢佛殺佛」

は、語録の王といわれる

臨済録の特に有名な偈です。

逢佛殺佛 逢祖殺祖
逢羅漢殺羅漢 逢父母殺父母
逢親眷殺親眷 始得解脱

仏に逢うては仏を殺し、

祖に逢うては祖を殺し、

羅漢に逢うては羅漢を殺し、

父母に逢うては父母を殺し、

親眷に逢うては親眷を殺して、

初めて解脱を得ん

(以上引用終)

 

 

対象と感覚が触れて生じる識別領域の妄想を、

なんであろうと片っ端から殺しまくれ

と言ってるんです。

臨済禅師はそのために

 


「自分を徹底的に信じよ」

 


と教えてるんです。

臨済禄は全編ほとんどそれしか書いてないと、おれはおもう。

 

 

 

 

悪魔との対話 サンユッタ・ニカーヤ 中村 元訳 第2章第9節「耕 作 者」
より引用させていただきます。

(悪魔・悪しき者は、このようにブッダに語った)
修行者よ。眼はわたしのものです。色かたちはわたしのものです。眼が〔対象に〕触れて起こる識別領域はわたしのものだ。そなたは、どこに行ったら、わたしから脱れられるのだろうか?

嗅覚作用はわたしのものだ。香りはわたしのものだ。嗅覚作用が〔対象に〕触れて起こる識別領域はわたしのものだ。そなたは、どこに行ったら、わたしから脱れられるのだろうか?

舌はわたしのものだ。味はわたしのものだ。舌が〔対象に〕触れて起こる識別領域はわたしのものだ。そなたは、どこに行ったら、わたしから脱れられるのだろうか?

身体はわたしのものだ。触れられるものは、わたしのものだ。触れられるものは、わたしのものだ。そなたは、どこに行ったら、わたしから脱れられるのだろうか?

心はわたしのものだ。心で考えられるものも、わたしのものだ。心の接触から起こる識別領域は、わたしのものだ。そなたは、どこに行ったら、わたしから脱れられるのだろうか。
(以上引用終)

 

 

 

対象
色声香味触法の六境(六外処)

感覚
眼耳鼻舌身意の六根(六内処)

六境六根合わせて十二処という。

 


対象と感覚が触れて生じる6種の
識別領域
眼識,耳識,鼻識,舌識,身識,意識の六識

十二処とこの六識を合わせて十八界という。

 

ウィキペディア「三科より図を引用させていただきます。

 

 


十八界(六境六根六識)は、この世の一切を意味する。

したがって悪魔は、ブッダに

 


この世の一切はわたしのものだ。

誰一人わたしから脱れられない。

そなたも、どこに行こうと

わたしから脱れられない。

 

 

 

と脅してるのだ。

 


この世の一切が悪魔のものだということは、

ブッダも初転法輪の初めから、明確に認めてる。

(そのうえで、こうしたら悟れたという唯一の道を発見し、説き広めた)

これを認めてないのは、悪魔の策略に気づきたくない、世間の人々なのだ。

悪魔の支配下で絶えず苦しみながら、

その苦を愛し夢中になってる。

やがて必ず自分を殺す刺客を、

恋人のように慕ってるのだ。

彼らは

自分を信じてないから、

誰一人悪魔から脱れられない。

 


病なんの処にか在る。

病は不自信の処に在り。
(臨済録)

 

 

 

 


自分を深く信じるためには、
自分に対して一切ごまかしがあってはいけない。

自分の心は自分ではない。

自分の心にごまかされないように、
よく注意すること(sati)が大事です。


憎む人が憎む人にたいして、怨む人が怨む人にたいして、どのようなことをしようとも、よこしまなことをめざしている自分の心が自分に対して自分でなすほどには、それほどひどいことをしない。
(ブッダの感興のことば31・9中村 元訳)

 

 

 

 

 

 

「人は死んでも、自分だけは死なない」
と邪な心は盲目的に渇望し、

自分を根底からごまかしてる。

この状態で、自分を信じることは不可能です。

 

 

 

母も父もその他の親族も、正しく向けられた心が自分のためにしてくれるほどの益をしてはくれない。
(ブッダの感興のことば31・10)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

五蘊こそが刺客なり――サーリプッタ尊者の「逢佛殺佛」論 誓教寺オンライン仏道実践会⑤|スマナサーラ長老の初期仏教法話(21 Mar 2021 ゴータミー精舎からライブ配信) - YouTube


www.youtube.com

 

 

 

 

 

 

(My Favorite Songs)

ジャニスの絶唱 Ball and Chain


Janis Joplin - Ball and Chain (sensational performance at Monterey)

 

久しぶりに、この熱唱を聴いてるうちに、

 

鎖に繋がれた黒牛と白牛の喩え

 

を連想した。

 

「男が女を束縛するのか、女が男を束縛するのか、それとも互いが互いを束縛するのか」

というワンパターンの3択問いは、ひどくずれてんだよね。

 

こんなにずれた問い方には、答えられない。

 

だって、3択の中に正解がないんだから。

 

 

ジャニスは、そんな愛の狂酔を全身全霊で表現してる。

Why the man I love wanna leave me in so much pain.

なんで、あのひとは私をこんなに苦しめておくの?

 

そうじゃないだよ。

 

苦しめる犯人は

自作自演のball and chainだ。

これが歌の題名になってるのは象徴的だ。

 

 

黒牛と白牛の喩えは、40:20あたりから。


心のロックを外す――幸福の人が必ず断ち切っている10の束縛 相応部チッタ相応「束縛経」を読む|スマナサーラ長老のパーリ経典解説(27 Sep 2020 ゴータミー精舎からライブ配信)

 

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