哲学日記

「イビピーオ」と仏法の近接性。無我と「主語抹殺論」

 YouTube「ゆる言語学ラジオ」が楽しすぎる。

毎回かかさず視聴させてもらってる。

 

 

吉幾三的な言語と、その本質「イビピーオ」の幸福度がすごい【ピダハン後編】 #35

 

 この紹介話を聞く限り、ピダハンの「イビピーオ」に、ブッダの教えを感じる。

あと一歩で仏法に達するくらい、ピダハンの生き方の本質が仏法的なのかもしれない。

 

しかし、自己観察satiのない自然人であるピダハンが

この最後の一歩を踏み出すのは原理的に不可能で、

ピダハンのブッダが現れることは、ついにない。

 

 

 

 

 

 

 

 おれは、仏法の無我を語る困難性を、ずっと感じていた。

語るには当然言語が必要で、言語には主格が前提されているからだ。

そんな時「主語抹殺論」を聴いたのが

「ゆる言語学ラジオ」に夢中になる最初だった。

これの感想も(まだまとまらないが)そのうち書きたい。

今回は「主語抹殺論」に関する動画だけ。

 

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(My Favorite Songs) 

カンドレ・マンドレ:アンドレ・カンドレ(井上陽水)

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