哲学日記

肉体様への妄信をぶった切る「勝利の経」

身体の不調を瞑想の妨げにしてはいけないーー肉体への執着を断ち切る「勝利の経」の自己観察|スマナサーラ長老の初期仏教法話(22 Nov 2021 由宇ふれあいパーク)


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以下のブッダの教え

(スッタニパータ 第1章11 193-206)

は、古来

勝利の経

と呼ばれてるんですよ。
さて、なぜでしょう。


193 ある いは歩み、或いは立ち、或いは坐り、或いは臥し、身を屈め、或いは伸ばす、―これは身体の動作である。

194 身体は、骨と筋とによってつながれ、深皮と肉とで塗られ、表皮に覆われていて、ありのまま見られることがない。

195 身体は腸に充ち、胃に充ち、肝臓の塊・膀胱・心臓・肺臓・腎臓・脾臓あり、

196 鼻汁・粘液・汗・脂肪・血・関節液・胆汁・膏がある。

197 またその九つの孔からは、つねに不浄物が流れ出る。眼からは目やに、耳からは耳垢、

198 鼻からは鼻汁、口からは或るときは胆汁を吐き、或るときは痰を吐く。全身からは汗と垢とを排泄する。

199 またその頭は空洞であり、脳髄にみちている。
しかるに愚か者は無明に誘われて、身体を清らかなものだと思いなす。


200 また身体が死んで臥するときには、膨れて、青黒くなり、墓場に棄てられて、親族もこれを顧みない。

201 犬や野狐や狼や虫類がこれをくらい、鳥や鷲やその他の生きものがこれを啄む。

202 この世において知慧ある修行者は、覚った人(仏)のことばを聞いて、このことを完全に了解する。何となればかれは如実に見るからである。

203 《かの死んだ身も、この生きた身のごとくであった。この生きた身も、かの死んだ身のごとくになるであろう》と内にも外にも身体に対する欲を離れるべきである。

204 この世において愛欲を離れ、知慧ある修行者は、不死・平安・不滅なるニルヴァーナの境地に達した。

205 人間のこの身は不浄で、悪臭を放ち、(花や香を以て)まもられている。種々の汚物が充満し、ここかしこから流れ出ている。

206 このような身体をもちながら、自分を偉いものだと思い、また他人を軽蔑するならば、かれは盲者でなくて何だろう。
(ブッダのことば「勝利」 中村 元訳より引用終。強調は私です)

 

 

 スマナサーラ長老の解説勝利の経序「変えたくはない固定概念」に

 

『勝利の経』は、…
…なかなかこころが俗世間の次元を破れずに、欲の泥沼の中から脱出できないで苦労している時、

強いインパクトでこころに真理を叩き込むための経典

なのです。

 

とあります。

 

 

 

 

 

ブッダは
身体は不浄である
と言明してます。

 

(ブッダの真理のことば ダンマパダ 中村 元訳)
 あれこれの考えをしずめるのを楽しみ、つねに心にかけて、(身体などを)不浄きよからぬものであると観じて修する人は、実に悪魔の束縛のきずなをとりのぞき、断ち切るであろう。
(引用終)

 

 



人間中心の世俗主義的思考に馴らされた大多数の人々は、これがさっぱりわからない。

大昔の古臭い間違った考えでしょと思ってる。
アホバッカリヤ

 

 

 

 重要なポイントは
仏道は自分で実行するためだけにあり、
からだが不浄であるという事実をふかく観じる
不浄随観がそのかけがえのない入口だ

ということだ。

 

 

(パティパダー巻頭法話)スマナサーラ長老の法話

より引用させていただきます。


 身体は穢いものです。それは事実です。その証拠にあなたは毎日のように入浴をするでしょう。
一週間ほどからだも顔も洗わず、歯も磨かず、下着もそのままにしていたらどうなるでしょう。結果は想像できますね。人間はみな美味(おい)しいものを食べます。しかし、美味しいと思ったその食品も口に入った途端汚いものに変化していきます。因(ちな)みに、自分の大好物な食べものをひと口噛んだあともう一度手のひらに戻しその大好物だった食品をよく観察してみてください。それからその一度噛んだ食品をもう一度口のなかに戻してみましょう。ちょっと常識ではできませんね。実際それをやらずとも想像するだけでも試してみる自信のある人などいないはずです。

 咳、痰、膿、尿、便、汗、鼻くそ、耳垢をはじめ、胃や腸など内臓など自分のものでないかぎり他人を不快にするものばかり人間一人一人が所有しているのです。さらに言えば、口から入ったものは内臓を下に行けば行くほど不浄なものに変わってしまい最後は大便として排出されてしまいます。人間の肉体はまさに不浄の塊、不浄の工場といった観があります。
 ところで、不浄随観(ふじょうずいかん)は仏教の冥想法のひとつです。からだが清浄なものとおもっている妄想概念を越えて、からだが不浄であるという事実をふかく観じることができると、まず快楽を求めるからだに対する煩悩が消滅しはじめます。高慢で自我中心的の間違いだらけの生き方に気づき、心が清澄になり、日頃の悩み、苦しみ、不安といった汚れた心がなくなっていきます。

 こうなると、もう安心です。心ははじめて真の安らぎを感じられるようになり、さらには、完全で清浄なる、人間本来の真の本体が輝きはじめ、すばらしい精神世界を目指して励む心にも、縦横な確信が湧出して身についてきます。もう、どんな悪魔にも負けることかありません。

[引用終]

 

 

 


 不浄随観に抵抗して
「本来汚いも綺麗もない」
と反論する人達がいる。

こういう人達は、坐禅を見ても
「座ろうと立とうと関係ない」
と言う。
知識が仇になってる。

悟った人の口真似をしていてはダメだと気づかないのか。
(結論としては真理だが、前提としては自己欺瞞になる)

 

 

 

75頁より引用させていただきます。
 
「死なないのだ」という前提で、この世界ができている。それはまっかな嘘です。嘘を事実だとすることで、何一つもよいことが起こらないのです。起きたこともないのです。ですから、人は心を清らかにしたければ、幸福になりたければ、心の安楽、安全、安心を確保したければ、苦しみを乗り越えたければ、解脱に達したければ、「確実に死ぬんだ」という事実を観察しなくてはいけない。悩みに悩んで生きている今の生き方と、まったく違う安らかな生き方が、たちまち見えてくるはずです。
[引用終]

 

 
 
 
 
 
 
「自分」は、
死を、
超えられない!
 
 
 
この気づき一つだけで、
解き難い人生の秘密が
瞬時に解ける。
(自分は、
ではなく
「自分」は、
です。
ここ大事)



だけど、
ほとんど誰も
この事実に
気づこうとしない。

皆、
自分が死ぬくらい知ってる
つもりになることで
自分を欺いてるからだ。

それで、
上の端的明瞭な
短い気づきの意味
もさっぱり分からない。
 
「死なないのだ」
という前提で、
この世界ができてる。

死んだら、
あの世という
そう悪くない世界
があって、
そこに引越して、
先に往ったみんなと一緒に、
いわば人生パート2
が始まるものと、
のんびり幻想して
一日一日を
ぼんやり送ってる。

さあいよいよ死ぬという
その瞬間ときまで……
 
 
 


上記パティパダー巻頭法話の最後にこういう質問が設けられてる。

すべての人は自分の身体を清浄だと思っていますが、他人の身体は自分にとっておなじように清浄だと思えますか?

あなたはどう答えますか?
 
 
 
 
 
 
終わりに、もう一度
「勝利の経」を、明解な
日本テーラワーダ仏教協会訳
で学びます。
 

(スッタニパータ 第1章11 193-206)

193.
歩く、立つ、座る、横たわる、
伸ばす、縮む。身体の動きはこれだけです。

194.
(この身体は)骨と腱で組み立て、肉と皮膚で舗装されている。
皮膚に隠れているのでありのままには観られない。

195.
身体は腸に充ち、胃に充ち、また、肝臓の塊・膀胱・心臓・肺臓・腎臓・脾臓があります。

196.
(この身体には)鼻汁・唾液・汗・脂肪・血・関節液・胆汁・膏がある。

197.
またその9つの孔からは、常に不浄物が流れ出る。
目からは目やに、耳からは耳垢、

198.
鼻からは鼻汁が出る。 口からはあるときは(食べたものを)吐く。
またあるときは胆汁を、あるときは痰を吐く。
全身からは汗と垢とを排泄する。

199.
またその頭蓋骨の空室は脳髄に充ちている。
しかるに愚か者は無明に誘われて、
身体を清らかなものだと思いなす。

200.
また身体が死んで横たわるとき、膨れて、青黒くなり、
墓場に棄てられる。親族もこれを顧みない。

201.
犬や野狐や狼や虫類がこれを喰らい、
烏や鷲やその他の生き物がこれを啄む。

202.
ブッダのことばを聞いて、智慧ある修行者は、
この(身体の)ことを完全に了解する。あるがままにのみ観る。

203.
<かの死んだ身も、この生きた身のごとくであった。この生きた身も、かの死んだ身のごとくになるであろう>と、自分の身体に対する欲をも、他人の身体に対する欲をも、離れるべきである。

204.
愛欲を離れた智慧ある修行者は、
不死・平安・不滅なるニッバーナ(涅槃)という最高の境地に達した。

205.
不浄で、悪臭を放つ、この身体を人間が守っている。
種々の汚物が充満し、ここかしこから流れ出ている。

206.
このような身体をもちながら、
自分を偉いものだと思い、また他人を軽蔑するならば、
かれは〈観る能力がない〉という以外の何だろう。

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(My Favorite Songs)
アレサ・フランクリン。
「小さな願い」
 
 
 
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