哲学日記

追体験しようという意思を持つ

佐々木閑 仏教講義 8「阿含経の教え 4,その31」(「仏教哲学の世界観」第11シリーズ) - YouTube


www.youtube.com

 

上記講義動画より佐々木先生の言葉を引用させていただきます。

 

追体験をしようという意思を持つということが、お経によって仏教の教えが伝わっていくということの本質なんです。
(強調は私です、引用終)
 
 
(仏法に限らず、実は何でもそうだとおもうが)
仏法は特に、言葉や理屈だけでは会得できません。
追体験をしようという意思が不可欠です。
 
 
(禅に聞け 澤木興道老師の言葉 櫛谷 宗則編)
より引用させていただきます。
 
実験のない科学がツマラヌように、修行のない仏教はツマラヌ。
 
 
 
実物さえあれば言葉は自由自在に表現できる。しかし言葉は実物ではない。言葉の中に実物があるなら、「火、火」と言うたら舌は火傷し、「酒、酒」と言うたら酔っぱらうじゃろうが、しかしそうはゆかんじゃないか。
 
 
 
実物のないものは、何と言うてもダメである。理屈をどう言うてもダメじゃ。言葉は言葉だけのものである。
(強調は私です。引用終)
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