哲学日記

自分こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか? 自分をよくととのえたならば、得難き主を得る。

 

ダンマパダ160偈、自分のご加護しかない


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真理のことば(ダンマパダ)160 中村元訳より引用させて頂きます。

自分こそ自分の主である。他人がどうして(自分の)主であろうか? 自分をよくととのえたならば、得難き主を得る。

(引用終。強調は私です)

 

……自分には自分のご加護しかありません
という言葉を時々私も使ってるん ですけど、それはどういうことかって、(人々は)あまり理解できないんですね。この世の中の人々というのは、自力よりは他力の方が好きなんですよ。

自分にできないことが他の力でできると思ってるんです。
私たちは、この世の中で生きる時に、いつも 自分の過ちは他人のせいにするんです。それが好きなんです。
あの人がああしましたからこうなりました。

自分がこうだからこうなった、とは思わない思いたくないんですね。そうやって、他人のせいにしたいんです。

お釈迦様は(おっしゃいます)、そうではなくて
他人がやってることで自分の心が汚くなるんだったら、心が汚くなるってのは貪瞋痴ということですね、貪瞋痴が自分の心の中に生まれるんだったら、それは他人のせいではありません、それは自分のせいである、と。

(引用終。強調は私です)

 

 

 

 

ブッダの金言

他人が何をしたか、
何をしなかったかを見るな。
ただ自分が何をしたか、
何をしなかったかだけを見よ。

『ダンマパダ』50

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