(ブッダの教え一日一話6/15,16より スマナサーラ長老)
「なぜいいことをすべきなのか」と、あえて説明しなくても、それは自分の「実感」でわかることです。
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「いいこと」が苦しいのは瞬間だけ、後は思い出すたびに、楽しいのです。
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「なぜ悪いことをしてはいけないのか」ということも、自分で「実感」できます。
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「悪いこと」が楽しいのは瞬間だけ、後は思い出すたびに、苦しいのです。
(以上引用終)
ということは、
誰もが、承知のうえで、悪いことをしているってことだ。
おれは善いことをしたがらず、
悪いことをしたがり、
実際にも、そうしているってことだ。
(ブッダの真理のことば ダンマパダ67,68 中村 元訳)から引用
もし或る行為をしたのちに、それを後悔して、顔に涙を流して泣きながら、その報いを受けるならば、その行為をしたことは善くない。
もしも或る行為をしたのちに、それを後悔しないで、嬉しく喜んで、その報いを受けるならば、その行為をしたことは善い。
(同69,71)から引用
愚かな者は、悪いことを行っても、その報いの現われないあいだは、それを蜜のように思いなす。
しかしその罪の報いの現れたときには、苦悩を受ける。
悪事をしても、その業(カルマ)は、しぼり立ての牛乳のように、すぐに固まることはない。(徐々に固まって熟する。)
その業は、灰に覆われた火のように、(徐々に)燃えて悩ましながら、愚者につきまとう。
(以上引用終)
おれは以前のブログで、自信をもって
普通の人間に正邪善悪なんて判りっこない。
と書いたことがある。
自分に善悪はわからないとおもってたが、
仏からみれば、
極悪最下の素凡夫の寝言にすぎなかったんだな。
(My Favorite Songs)
コニー・フランシス 。
「間抜けなキューピッド」