(スマナサーラ長老 ブッダの教え一日一話5/11,12より )
自分というものは、人のことをどうこう言えるほど、立派ではないのです。
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「あの人は頼りにならない」と言っても、自分が同じ立場になったら、人から信頼されるふるまいができるでしょうか。
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他人の欠点や過失をみていては、永久に問題解決にはなりません。
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ブッダの大切な教えは、
「他人のやったこと、やらなかったことみるのではなく、自分自身のことをよくみなさい」
ということです。
(以上引用終。強調は私です)
(ブッダの真理のことば4章50中村 元訳)に
他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。
と。
この種の興味は捨てるのが当然だと、はっきり感じられない人が今でも多いとおもう。
ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ。
と。
これが非常に重要なポイントだ。
いつの時代も、仏法は、ていよく敬して遠ざけられる。
なぜなら、常に場の空気を読み、常に周りの顔色を見て、より多くの貪瞋痴を楽しもうと自分のポジションを調整する世間法と、仏法は真逆の教えだからだ。
しかし、
本物はこれだけ(世間虚仮唯仏是真)
だとおもう。
以上のことについて、
佐々木閑先生の仏教講義「ブッダの教え」を、
ぜひ聴いてください。
佐々木閑の仏教講義「ブッダの教え 8」(「仏教哲学の世界観」第4シリーズ)
動画10:30辺り
「愚かさと賢さの根底には、ブッダが発見した諸行無常。諸法無我。一切皆苦という、日常的な考えとは真反対の、私たちが普通考えている幸せの通念とは全く逆の原理がこの世の中にあるということを、知ってるか知らないかというところに基準が設定されている」
(My Favorite Songs)