心を守るワクチン、実況中継は隙間なく ヴィパッサナー瞑想の基礎 #shorts #スマナサーラ長老 #初期仏教 #jtba - YouTube
実況中継ちょっとストップしちゃうと…今までの修行で止めた妄想も100倍になって、いきなり現れてきて心が激しく汚してしまうんですね。だから隙間なく実況中継する。
[感想]
この隙間なくが難しい。
これに関して、昔NHK「松本人志のコントMHK」で見た「シール」という珍しいショートコントを思いだした。
自分の目に入るもの全てに必死でシール張って(文字通り)ラベリングし続ける強迫神経症の男を松本人志が好演してた。
2分30秒あたりにコント「シール」がちょっと出てくる。
作者の狙いはわからないが、
これはひょっとして実況中継(ラベリング)のパロディか?
とその時おもったのを覚えてる。
おれはヴィパッサナーでラベリングしていて、ちょっと似たような強迫神経症的苦痛に悩まされることがあるからだ。
それもあって、おれは手におえないと感じた全方位ラベリングはひとまず止めて、呼吸ひとつにサティを集中するアーナーパーナに舵を切った。理由は、呼吸だけの実況中継なら、たっぷり余裕ができるので強迫神経症的苦痛は起きないからだ。実際に「苦痛」は消えた。
しかしこんどは、たっぷり過ぎる余裕から「退屈」という手ごわい敵手が現れたのだが……
苦の循環・アーナパーナ・サティ ディーパンカラ・サヤレーより引用させていただきます。
サティ、マインドフル、気付いているという事ですが、何に気付いているかというと、吸う息と吐く息にいつも気付いていて、それをいつも覚えている。いつもそこに心を置いているという事です。もしその気付きがなくなると、簡単に妄想とか雑念とか、あるいは不善な考えがスッと入ってきます。だから気づいているという事が非常に大事なわけです。
☆「質疑応答(解脱の過程・涅槃・慈悲の瞑想)」ディーパンカーラ・サヤレーより引用させていただきます。
人間界に人間として生まれてくるというのはとても難しいことです。なぜなら、人間というのは良いカルマを持って生まれて来るのです。今世において大変に良い人生であって、そのよい人生をどのように使うかということが分からないと、結局それを無駄にしてしまいます。
(以上引用終)
瞑想の目的は抜苦。
仏教の瞑想法は非常に多い。
それぞれの瞑想法には、優劣ではないが、違いがある。
たとえば不浄観は初禅まで、慈・悲・喜の瞑想は三禅まで、捨の瞑想は四禅までと、到達可能な境地が最初から決まっている。
その瞑想を続ける限り、どんだけがんばろうと超えられない原理的境域がそれぞれにある。
それぞれの瞑想法には、優劣ではないが、違いがある。
たとえば不浄観は初禅まで、慈・悲・喜の瞑想は三禅まで、捨の瞑想は四禅までと、到達可能な境地が最初から決まっている。
その瞑想を続ける限り、どんだけがんばろうと超えられない原理的境域がそれぞれにある。
過去記事「アーナーパーナサティサマーディ」で引用させていただいた、ブッダのことば「悟る前に最も多くいたヴィハーラダンマ」(相応部マハーヴァーラヴァッガ 19巻399頁1324項)に
とある。
この文献の最後は次のようになってる。
……………………
私が悟る前、まだボーディサッタだった時、当然ほとんどこのヴィハーラダンマ、つまりアーナーパーナサティサマーディにいました。私が、ほとんどこのダンマヴィハーラにいると、体も辛くなく、目も大変でなく、そして取がないので、心も漏から脱しました。
私が悟る前、まだボーディサッタだった時、当然ほとんどこのヴィハーラダンマ、つまりアーナーパーナサティサマーディにいました。私が、ほとんどこのダンマヴィハーラにいると、体も辛くなく、目も大変でなく、そして取がないので、心も漏から脱しました。
この文献の最後は次のようになってる。
……………………
比丘のみなさん。比丘が、不浄なものにも不浄でないものにも不浄という感覚のある人になりたいと望むなら、その比丘は心の中をアーナーパーナサティサマーディで良くしなさい。
比丘のみなさん。比丘が、不浄なものにも不浄でないものにも、不浄でないという感覚のある人になりたいと望むなら、その比丘は心の中をアーナーパーナサティサマーディで良くしなさい。
比丘のみなさん。比丘が、不浄なものも不浄でないものも気にしない人になりたいと望むなら、その比丘は心の中をアーナーパーナサティサマーディで良くしなさい。
(この後も、初禅、二禅、三禅、四禅、空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処、そして想受滅を望むなら、心の中をアーナーパーナサティサマーディで良くしないさいと、同じ文章が続きます)。
(以上引用終。強調処理は私です)比丘のみなさん。比丘が、不浄なものにも不浄でないものにも不浄という感覚のある人になりたいと望むなら、その比丘は心の中をアーナーパーナサティサマーディで良くしなさい。
比丘のみなさん。比丘が、不浄なものにも不浄でないものにも、不浄でないという感覚のある人になりたいと望むなら、その比丘は心の中をアーナーパーナサティサマーディで良くしなさい。
比丘のみなさん。比丘が、不浄なものも不浄でないものも気にしない人になりたいと望むなら、その比丘は心の中をアーナーパーナサティサマーディで良くしなさい。
(この後も、初禅、二禅、三禅、四禅、空無辺処、識無辺処、無所有処、非想非非想処、そして想受滅を望むなら、心の中をアーナーパーナサティサマーディで良くしないさいと、同じ文章が続きます)。
想受滅を望むなら、心の中をアーナーパーナサティサマーディで良くしないさい←教えによれば、究極の悟りは想受滅の直後に来る。つまりアーナーパーナサティサマーディひとつで解脱まで行けると、ブッダは請け合ってるとおもいます。
ターン・プッタタート「アーナーパーナサティ解説」にも、
(アーナーパーナサティは)初めから涅槃に到達するまで続いている一つの実践です。規範を換える必要はありません。他のカンマターナ(念処)に換える必用はありません。
とあります。
(My Favorite Songs)
ペット・ショップ・ボーイズ。
「Always On My Mind」
「Always On My Mind」
(過去記事増補編集再録)