山本周五郎の名作「しじみ河岸」
山本周五郎「しじみ河岸」
この朗読を聴いて、なんとなく映画「三度目の殺人」を思い浮かべた。そして「裁くなかれ」の真意をもう一度考えた。
以前にも書いたことだが、山本周五郎の時代小説と聖書は深く関係してるとおもう。
裁けば、その裁きで、裁かれる。律之助の父親がそうだった。誰のせいでもない。自分を自分がそうするのだ。律之助もまたそうだった。
マタイによる福音書 7:1-6 新共同訳より引用させて頂きます。
人を裁くな。あなたがたも裁かれないようにするためである。 あなたがたは、自分の裁く裁きで裁かれ、自分の量る秤で量り与えられる。 あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。 兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。 偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる。
またこうも思った。
ヴィパッサナー実践の秘訣は「ジャッジしない」ということ。「電車と駅のたとえ」アチャン・チャーウィキペディア(英語)もキモはそこにある。ワタクシの判断を一切加えず、今ここの事実を、客観的科学的に観察することがこの上なく重要だという気付きだ。
イエス・キリストの「裁くな」は、相当実践応用問題だが、やはりこの同じ淵源から発してる教えじゃないか。
兄弟の目からおが屑を取り除くことができるためにはまず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見える
と。
これは名作だって、始まって数分でわかる映画ってあるよね。
この「三度目の殺人」なんかまさにそれだよ。
この映画、監督のオリジナル脚本だからね。
是枝裕和て、芥川賞とか獲る気になればすぐ獲れるレベルの人だ。
2018年3月7日(水)発売「三度目の殺人」 Blu-ray&DVD 特典映像一部公開
「三度目」の殺人は、人間社会がシステマチックにやってる。
脳はなぜ信頼できないのか。
昔、脳は必要に迫られて偽造した自分意識(俺・俺のもの)に、今や逆支配されすっかり我欲の奴隷に落ちぶれてる。
おもちゃを取れれた子が「ギャーッ」と叫ぶ。
あれは、おもちゃが欲しくて泣いてんじゃない。
自分のものを盗った!!!
と怒ってるんだ。
あんなかわいい子供がすでに我欲の奴隷になってる。
俺・俺のものが、でっち上げだという事実に、もはや気づくことさえできない間抜け。
そんなもの信頼していいわけがない。
スマナサーラ長老関西月例冥想会 2016.1.17 2/2
「瞑想前の法話」
[メモ]
脳細胞の仕事は他の細胞をとにかく生かすこと、それだけ。
脳は、自分は常に正しいと思って指令してる。
脳には死を認識する力がない。自分の死を想像することも妄想することも不可能。
脳には真理か嘘かは関係ない。生きられるか(生きられ)ないかだけ。
怒り嫉妬憎しみ。自分が生きられるかないかというバイアスで判断する。
ブッダは脳を信頼してなかった。脳はまるっきり信頼できない。
ヴィパッサナーは脳のバイアスを取り除く智慧。
智慧は脳細胞の働きじゃない。
サティ
「瞬間の現在(今・ここ)」に気づくこと。
ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在」に気づき続けること。
(My Favorite Songs)
The Killers - Bright Lights (Official Music Video)
(過去記事統合編集再録)