ブッダの真理のことば(中村元訳)
19
たとえためになることを数多く語るにしても、それを実行しないならば、その人は怠っているのである。
──牛飼いが他人の牛を数えているように。
かれは修行者の部類には入らない。
72
愚かな者に念慮が生じても、ついにかれには不利なことになってしまう。
その念慮はかれの好運を滅ぼし、かれの頭を打ち砕く。
20
たとえためになることを少ししか語らないにしても、理法にしたがって実践し、情欲と怒りと迷妄とを捨てて、正しく気をつけていて、心が解脱して、執著することの無い人は、修行者の部類に入る。
34
水の中の住居から引き出されて陵の上になげすてられた魚のように、この心は、悪魔の支配から逃れようとしてもがきまわる。
42
憎む人が憎む人にたいし、怨む人が怨む人にたいして、どのようなことをしようとも、邪なことをめざしている心はそれよりもひどいことをする。
43
母も父もそのほか親族がしてくれるよりもさらに優れたことを、正しく向けられ心がしてくれる。
100
無益な語句を千たびかたるよりも、聞いて心の静まる有益な語句を一つ聞くほうがすぐれている。
104、105
自己にうち克つことは、他の人々に勝つことよりもすぐれている。
つねに行ないをつつしみ、自己をととのえている人、──このような人の克ち得た勝利を敗北に転ずることは、神も、ガンダルヴァ(天の伎楽神)も、悪魔も、梵天もなすことができない。
113
物事が興りまた消え失せることわりを見ないで百年生きるよりも、事物が興りまた消え失せることわりを見て一日生きることのほうがすぐれている。
166
たとい他人にとっていかに大事であろうとも、(自分ではない)他人の目的のために自分のつとめをすて去ってはならぬ。
自分の目的を熟知して、自分のつとめに専念せよ。
174
この世の中は暗黒である。
ここではっきりと(ことわりを)見分ける人は少ない。
網から離れた鳥のように、天に至る人は少ない。
260
頭髪が白くなったからとて(長老)なのではない。
ただ年をとっただけならば「空しく老いぼれた人」と言われる。
261
誠あり、徳あり、慈しみがあって、傷わず、つつしみあり、みずからととのえ、汚れを除き、気をつけている人こそ「長老」と呼ばれる。
344
愛欲の林から出ていながら、また愛欲の林に身をゆだね、愛欲の林から免れていながら、また愛欲の林に向って走る。
その人を見よ!束縛から脱しているのに、また束縛に向って走る。
237
汝の生涯は終りに近づいた。
汝は、閻魔王の近くにおもむいた。
汝には、みちすがら休らう宿もなく、旅の資糧も存在しない。
238
だから、自己のよりどころをつくれ。
すみやかに努めよ。賢明であれ。
汚れをはらい、罪過がなければ、汝はもはや生と老いとに近づかないであろう。
239
聡明な人は順次に少しずつ、一刹那ごとに、おのが汚れを除くべし、──鍛冶工が銀の汚れを除くように。
正しく気をつけて
正しく向けられた心
自己をととのえている
みずからととのえ、汚れを除き、気をつけている
自己のよりどころ
一刹那ごとに、おのが汚れを除く
これらは皆
サティとヴィパッサナー実践
のことだとおもいます。
※サティ
「瞬間の現在(今・ここ)」に気づくこと。
※ヴィパッサナー実践
「瞬間の現在」に気づき続けること。サティをキープすること。
(過去記事統合増補編集再録)