現在、列島は台風の猛威にさらされています。
台風は台風で脅威ですが、先日の熱中症により起こった惨事と、そこから生じた教訓も人々の頭の中から吹き飛ばないことを祈ります。
さて、私は私で、熱中症について様々な持論をブログに書きました。
その一方で、様々な人の様々な意見を見てきました。
その中で、ぜひみなさんに読んで欲しいなと思ったものを紹介したいと思います。
のーないすこうぷ氏(お医者様)のTwitterより
熱中症で運ばれて来る患者の多くが「水分は取ってたのに」とか「スポーツドリンクは飲んでた」とか言うんですよ。なので毎回言ってます。
「休もう」
いやほんとこれ。
でも、教師にはもっと罪深い人種がいて
「水分をとれば大丈夫」「スポーツドリンクを飲めば大丈夫」と言って、尋常じゃない猛暑のなか、練習をさせたり、大会を強行したりするのです。
阿部泰尚氏の社説 小学生の命が犠牲に。「学校はエアコン不要」の根性論が子供を殺すより
上空に居座るふたつの高気圧の影響で、記録的な猛暑に襲われている日本列島。7月17日には愛知県豊田市の小学1年生の男児が校外学習後に熱中症で亡くなるという痛ましい事故が起きてしまいました。現役探偵でもある阿部泰尚(あべ・ひろたか)さんは自身のメルマガ『伝説の探偵』で、2007年に兵庫県内の高校で起こった熱中症事故と今回の死亡事故との共通点等を検証しつつ、教訓を生かせぬ教育現場を強く批判しています。
(続きはリンク先でお読み下さい)
いやー、耳が痛い。
特に、記事の最後の方
豊田市立梅坪小学校の籔下(やぶした)隆校長は「これまで校外学習では大きな問題は起きておらず、気温は高かったが中止するという判断はできなかった。結果として判断が甘かったと痛感している」と記者会見で釈明した。
私はこの校長の「結果として」という言葉が心から離れない。その言葉の裏には、熱中症で吐くぐらいまでなら問題にならなかったのにという言葉が隠れていそうでならないのだ。
これは結果論ではない。設備もなく、適切な救護もなく、多くの引率がいながら起きた事故は、軽度の落ち度といった過失ではなく、十分に予想し得た重過失だと言える。せめて、亡くなった男児児童への言葉が欲しかった。
この指摘は鋭い。
要するに、この豊田市の小学校は、児童が亡くなってしまったので、大きく取り上げられ、批判されているが
本当に批判されるべきは、我が業界に蔓延る
「熱中症で吐くぐらいまでなら問題にない」
「むしろそのくらいまで頑張る事ができる生徒が見込みのある生徒」
という思想だと思う。
新時代の教育。学校を無くし、新しい教育システムを提案するブログの記事 学校での熱中症熱中症による死傷者が絶えない理由より
提言
気象庁の予報で最高気温28度以上の日は、一切の校外学習と体育の授業は禁止。水泳は全面禁止。これは別に極論ではない。学校という宗教の信者がおかしいだけだ。
(一部抜粋。全文はリンク先でお読み下さい)
これも耳が痛い。
この人のブログは、タイトル通り、「学校なんて要らないから無くそう」という内容である。
この人の記事は、基本的に
今の学校や教育システムはここが問題だ
→よってこの活動を無くそう・学校を無くそう
という理論である。
教師として、学校を無くそうという意見には賛同しかねるが
その主張のもととなる、問題点の指摘は、実に鋭く、いつも興味深く拝読させてもらっている。
特に
学校現場ではそのようなことが起こらない。無意味なイベントでも「そのような無意味なことでも集団で我慢してやることに意義がある。」肉体的につらいことでも「苦しいことを意図的にさせることが教育に必要だ。」という信仰があるのだ。
暑さなどの苦しさに耐えることが多少なりとも教育には必要だという迷信をまずなくすべきだ。そこから話が始まるのだ。
この指摘は、まさにその通り。
以前私が書いたように、うちの市では、高WBGTの時の厳しい活動制限がかかった。
それに対して
「これでは何もできなくなる!」と不満をあらわにした職員は少なくない。
その背景には、このブログ主が指摘するような思想があると思う。
台風は台風で脅威ですが、先日の熱中症により起こった惨事と、そこから生じた教訓も人々の頭の中から吹き飛ばないことを祈ります。
さて、私は私で、熱中症について様々な持論をブログに書きました。
その一方で、様々な人の様々な意見を見てきました。
その中で、ぜひみなさんに読んで欲しいなと思ったものを紹介したいと思います。
のーないすこうぷ氏(お医者様)のTwitterより
熱中症で運ばれて来る患者の多くが「水分は取ってたのに」とか「スポーツドリンクは飲んでた」とか言うんですよ。なので毎回言ってます。
「休もう」
いやほんとこれ。
でも、教師にはもっと罪深い人種がいて
「水分をとれば大丈夫」「スポーツドリンクを飲めば大丈夫」と言って、尋常じゃない猛暑のなか、練習をさせたり、大会を強行したりするのです。
阿部泰尚氏の社説 小学生の命が犠牲に。「学校はエアコン不要」の根性論が子供を殺すより
上空に居座るふたつの高気圧の影響で、記録的な猛暑に襲われている日本列島。7月17日には愛知県豊田市の小学1年生の男児が校外学習後に熱中症で亡くなるという痛ましい事故が起きてしまいました。現役探偵でもある阿部泰尚(あべ・ひろたか)さんは自身のメルマガ『伝説の探偵』で、2007年に兵庫県内の高校で起こった熱中症事故と今回の死亡事故との共通点等を検証しつつ、教訓を生かせぬ教育現場を強く批判しています。
(続きはリンク先でお読み下さい)
いやー、耳が痛い。
特に、記事の最後の方
豊田市立梅坪小学校の籔下(やぶした)隆校長は「これまで校外学習では大きな問題は起きておらず、気温は高かったが中止するという判断はできなかった。結果として判断が甘かったと痛感している」と記者会見で釈明した。
私はこの校長の「結果として」という言葉が心から離れない。その言葉の裏には、熱中症で吐くぐらいまでなら問題にならなかったのにという言葉が隠れていそうでならないのだ。
これは結果論ではない。設備もなく、適切な救護もなく、多くの引率がいながら起きた事故は、軽度の落ち度といった過失ではなく、十分に予想し得た重過失だと言える。せめて、亡くなった男児児童への言葉が欲しかった。
この指摘は鋭い。
要するに、この豊田市の小学校は、児童が亡くなってしまったので、大きく取り上げられ、批判されているが
本当に批判されるべきは、我が業界に蔓延る
「熱中症で吐くぐらいまでなら問題にない」
「むしろそのくらいまで頑張る事ができる生徒が見込みのある生徒」
という思想だと思う。
新時代の教育。学校を無くし、新しい教育システムを提案するブログの記事 学校での熱中症熱中症による死傷者が絶えない理由より
提言
気象庁の予報で最高気温28度以上の日は、一切の校外学習と体育の授業は禁止。水泳は全面禁止。これは別に極論ではない。学校という宗教の信者がおかしいだけだ。
(一部抜粋。全文はリンク先でお読み下さい)
これも耳が痛い。
この人のブログは、タイトル通り、「学校なんて要らないから無くそう」という内容である。
この人の記事は、基本的に
今の学校や教育システムはここが問題だ
→よってこの活動を無くそう・学校を無くそう
という理論である。
教師として、学校を無くそうという意見には賛同しかねるが
その主張のもととなる、問題点の指摘は、実に鋭く、いつも興味深く拝読させてもらっている。
特に
学校現場ではそのようなことが起こらない。無意味なイベントでも「そのような無意味なことでも集団で我慢してやることに意義がある。」肉体的につらいことでも「苦しいことを意図的にさせることが教育に必要だ。」という信仰があるのだ。
暑さなどの苦しさに耐えることが多少なりとも教育には必要だという迷信をまずなくすべきだ。そこから話が始まるのだ。
この指摘は、まさにその通り。
以前私が書いたように、うちの市では、高WBGTの時の厳しい活動制限がかかった。
それに対して
「これでは何もできなくなる!」と不満をあらわにした職員は少なくない。
その背景には、このブログ主が指摘するような思想があると思う。